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愛情とは冷えた麦茶だ

 窓から見える景色が、薄暗くなって行き、夜が来たことを知らせてくれた。キーボードを叩いている手を止め、床に転がしてあったリュックを拾い、腕時計を見る。短い針と長い針は真下から少し、ズレたところで重なっていた、時刻は7時半過ぎだ。

「今から全力で帰れば、見たいテレビ番組に間に合う」

 そう思った僕は、大学の研究室のメンバーに「お疲れ様」と声をかけて、急ぎ足で自動ドアを潜り外に出た。
 そうすると、「暑ッツ」と出すつもりがない声が出た。ドアが開け放たれた瞬間から、熱を帯びた空気の壁が身体全体を覆って、先程まで適温に保たれていた、身体中の血液が急に一度だけ上がる。先程まで見ていたアルミサッシで囲われた景色は、日差しが消えたことは知らせてくれるが、室外の気温や、湿度は知らせてくれない。夕方とは言え、蒸しかえるような暑さは、まだまだ健在で、僕は帰るのが嫌になり、涼しくなるまで大学でYouTubeでも見ていようかとも考えた。けれども、大好きなテレビ番組が始まってしまうので、気持ちを立て直し、自転車に跨る。黒いサドルは、夜になってしばらく経つというのに、未だに太陽の熱を宿していて、その温かさが鬱陶しい。

 自転車はスピードに乗っているときは涼しいが、ひとたび立ち止まると、自分が発した熱気が身体の周りから離れていかなかった。僕は、信号に引っかかる度に、噴き出す汗にイライラを超えた感情の動きを感じた。

 30分ほど漕いで、家に到着、テレビ番組はもう始まっている。ポケットから急いでカギを取り出し、ドアを開錠したのち、リビングの電気をつける。母親はまだ、仕事から帰ってきていないみたいだ。僕は、リュックを下ろすと、床に転がっていたリモコンでテレビの電源をつけた。背中から出た汗は、Tシャツだけでは飽き足らず、リュックの生地にまで浸透している。皮膚に張り付く、肌着の感覚が気持ち悪い。

 目線をテレビに固定しながら、冷蔵庫を開けて、ポットに入った麦茶を取り出し、ビールジョッキの満杯まで注ぐ。冷蔵庫の渇いた冷気が、汗で粘着質になった肌を撫でて消えた。そして、勢いよく麦茶を喉へと流し込んだ。唾液が押し流され、体内で胃液と混ざり合う。かき氷を食べた時のように、頭がキュッと痛くなったが、無視して飲み続ける。一息で飲み干し、「ふはぁ」と息継ぎをした後、もう一度、ビールジョッキに麦茶を注ぎなおす。しかし、今度はジョッキが満杯にはならない、ポット内の麦茶がなくなってしまったのだ。僕は、半分ほど満たされた麦茶を飲み終わったあと、空になったポットとジョッキを台所のシンクの中に置いた。

 しばらく、テレビを見ていると、母親が帰ってきた。左手には、買い物用に使っている、大きなエコバックがぶら下がっていた。夕飯の食材を買ってきたのだろう、母親は「ただいま」と声を発するより早く、冷蔵庫がある台所へ向う。そして、流し台に放置された、麦茶が入っていたはずのポットと、ビールジョッキを見て言った。

「また、そんなに一気にお茶飲んで、!  せっかく作ったのに、すぐなくなっちゃうじゃない」

「お帰り、今日は、暑かったから喉が渇いてたんだよ」と返すと、

「確かに、自転車で帰ってきたら、飲みたくなるよね」、

と会話が続いた。

 そして、ひと通りのラリーが終了した後、母親は「息子のために、毎日麦茶を作るって、愛情よね」と小さく呟いた。

 僕は、テレビ画面に釘付けになりながら、聞こえた言葉に、確かにそうかもしれないと思った。帰宅した直後に、汗だくで麦茶をガブ飲みすると、気持ちいい。人生が豊かになる。しかし、麦茶を作る行為にはゴールが設定されていない。昨日作ったから今日は要らないなんてことにはならない。大学生の兄と高校生の弟だけで、ヤカン一つ分ぐらいは、余裕で消費できてしまうため、毎日麦茶を作らなくてはいけないのだ。半永久的に続くので、ランニングコストは無限大。けれど、成果物がなくなるのは一瞬。まるで、自転車と同じように、漕ぎ続けなくてなならない。

 また、冷えた麦茶を冷蔵庫に用意するという行為は、意外と作業量が多い。いや、作業量が多いというより、放置しなくてはいけない時間が長いのだ。沸いたお湯に、麦茶パックを入れて放置。粗熱を取るために、洗面台に水をためて、ヤカンを放り込み放置。そして、ポットに移し替え冷蔵庫で放置。放置とは、ほったらかして良い時間でもあるが、作業途中という面もあり、麦茶がどの状態であったとしても、頭の片隅に、麦茶が存在する。つまり、適切なタイミングで、適切な処置をしなくてはならないのだ。これは、意外と疲れる。

 生活の中で、麦茶は必要不可欠なものではない。水分を補給する方法は、麦茶を飲むことだけではないからだ。これは、緑茶も美味しいよね!という話ではなく、水道水でも、さらにはコンビニで買ってきたペットボトルのお茶でも問題はないといことだ。けれど、帰宅した直後に汗だくで飲むのが、冷えた麦茶だとかなり嬉しい。人生が豊かになる。

 この日以降、僕は冷蔵庫に佇んでいる麦茶ポットを見つけるたびに、”母親の愛情”を秘かに感じている。

 

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