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国境を出てから Vol.1

バリバリッ 機銃射撃だ。畳を一枚あげて窓に当てる。ソ満(*ソ連と満州)国境の夜明けは早いがまだ四時前。握り飯を作って居た。集合は七時だが幼児ばかりなので早起きして準備して居た。

直線距離にして五十米(*メートル)位に警察隊があるので影響をもろに受ける。射撃の続く中を軒下伝いに集合場所へ。主人は早くから警備に付いて姿は見えない。生後八ケ月目に入ったばかりの次男を背負って(6才5才3才 当時は数え年)を連れて乗れそうなトラックは無い。

絶望的な私に「伊藤さんの奥さん。早く」思いがけない人のお陰でトラックに乗せて貰った。子供達に各々焼米の袋を持たせてある。出発し始めて居る。「乗れたか」主人はそう言ってすぐ行ってしまう。家族揃って居る人達がとてもうらやましかった。

昭和二十年八月十日東満総省東寧県老黒山本村(ホンソン)満州炭礦宿舎を出た日。厳しい避難行出発の日だった。国境は山岳地帯だ。目も眩みそうな千仭の谷細い山道を激しいアップダウンに肝を冷やし続け乍ら、夕方、小学校らしい所に着いた。南京虫に責められ乍ら板の間に子供等はぐっすり眠って居るのに眠れずに居ると「満炭のトラックが谷に落ちた。死者も出て居る」 私自身谷底へ落ちた様なショックだった。死者一名重症一名。主人の無事を念じ乍ら出発命令に追われて。出発直前に主人が来た。無事だったと思った途端に倒れそうになる。今日からは主人と一緒だ子供達も明るい表情で。

又あの激しい登り降りに内蔵が引っくり返る様な思いをし乍ら真っ暗な道を。ライトに照らされて犬の様な物が飛び交う。狼の群れだとの事に憚えあがる。土砂降りの雨の中 日本軍の部隊に着く。川の様な激しい流れの中、転びそうな子供の手を必死でにぎりしめ乍ら漸く屋内へ。空腹と全身びしょ濡れ 頂いた一ケのお握りを食べると子供は眠り出す。替わりのオムツが濡れた事が悲しかった。寒い一夜が明けた。


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