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近未来クリエイティブは「答えなき世界に旗を立てること」がテーマ

私は量子論と宇宙が好きだ。昔からぼんやりとスターウォーズとか宇宙についてのことが好きだった記憶がある。

2年前くらいから改めて量子や宇宙のことをかじりはじめて、気づいたことがある。ここに次のクリエイティブのテーマが隠されているのではないか、と。

きっかけは、この記事を流し見したことだ。

SFプロトタイピングなんて、こっちに傾倒した奴らにとってはよだれもののキーワードである。引用すると、

企業経営や政策立案において、進むべき方向性を見極めるための“シナリオ”づくりをSF作家に依頼するケースが増えている。将来起こりうる出来事を物語形式で“予言”してもらうことによって備えを強化するのが狙いだ

すごく面白いし、もやもやしていた自分の未来像に対してすこし輪郭が見えた。これだ!、という少しばかりの実感とともに。

コロナパンデミック時の、映画「コンテイジョン」の役割

新型コロナのパンデミックが起きたとき、あなたは映画「コンテイジョン」を見ただろうか?Netflixで見られるようになったためかなりの人が見ていると思う。

内容はここで扱わないが、私が思ったのは、「想像もつかない未来への道筋を知りたい」という人々の欲求が根幹にあったのでは、という仮説だ。

確かに日常を振り返れば、毎週のしいたけ占いを見るひとは多いし、昔は動物占いで一喜一憂したり、就活の適正判断を職業選択にしている人も多いと聞く。歴史を見れば、宗教なんてそのものである。

不確実性が高い社会において、ある種の具体的な未来への方向づけは、精神への安定をもたらすのでは、と考えた。それを”旗を立てる”と言い換えることにする。

私達が日常で求めるのはSF的な難解な文章の羅列ではなく、初見のわかりやすさ、伝達のしやすさだ。だからこそ、メッセージを旗としてシンプルにする必要性が増してくる。

その状況下で、私達のようなクリエイターは何をテーマにするべきなのだろうか?

きっと近い未来において、「答えなき世界に旗を立てること」がテーマになると私は考えている。

「答えなき世界」の多様化と旗の大切さ

「答えなき世界」とは、少しばかり飛躍した言葉だが、量子論や宇宙物理学の話をかじっていると当たり前になる。

量子や宇宙のことを説明できる?と聞かれたらこう答えるだろう。「いや、頭よくないしわからないよ」「全然わからない」と。そもそも興味もない場合が多いと思う。

実を言うと、最先端の量子論や宇宙物理学でも”答えが分からない”ことが普通なのである。まさにそれを日々研究し、仮説を立てて実験や証明をしているのが実際だ。

社会を見渡すと、あたかもすべての物事に答えが用意されているような気がしてしまう。そして、答えが分からない人を排除したり批判したりする。

しかし、実際は「答えのない世界」のほうが多い。そもそもよくわからない世界の上で生きているのが人間なのだ。

これからもっと「答えのない世界」は多様化すると思う。LGBTQのジェンダーの議論、人種の議論、貧富の議論、宗教の議論、環境問題の議論、ひとたびSNSを開けば色々な正義がうずまき、混沌とした世界が当たり前だと気づく。

旗を立てることが当たり前になる時代

これからのクリエイターに大切なのは、その世界観を受け入れて、ある種の旗を立てることではないだろうか。

自分自身を代弁するために、どこかの誰かのかぼそい声を代弁するために、今は存在しない未来の誰かを代弁するために。抽象的な正義ではなく、具体的な問いとして。

その旗を見て、ある人はこちらに向かい、ある人は背を向けて歩くだろう。この旗の下にいた人は、次の日には遠くの旗の下にいるかもしれない。

ただ、それでいいと思う。「答えなき世界」が当たり前という土壌のうえに、みなが旗を立てること。その旗が見えることで一つの道ができることが大切なのではないか。

一つの旗が集合することで、大きな一つのうねりになる可能性がある。ノーベル物理学者の言葉に「More is Different」という言葉がある。

構成要素が同じものでも、量が集まることで何かが変わる、予測もつかない何かが起こるという意味で使われている言葉だ。

私達クリエイターができることは、まず自分自身の旗をつくること。旗を立てることを許容する文化や風土をつくること。そして、誰かのその行為を手伝うことであると思う。

無数の旗がたち、世界が変わる「More is Different」

イーロン・マスクが頭に浮かぶ。彼は本気で火星に人が移住できるように、有人ロケットの打ち上げをNASAと実行するまでこぎつけた。

旗の数が増えていくほど、同じ色の旗が増えるほど、社会においてなにかが変わるきっかけになりうるのではないだろうか?

これからは「More is Different」のように、大きな一つの旗ではなく、小さな無数の旗の集合で考えるべきではないか。そして色々な旗を許容していいし、複数の旗を持ってもいい。変化も許容する。

私自身は、数年前からSEMIOSISという名前でそれをコンテクスト化・映像化する試みを続けているところだ。答えなき世界を視覚化してみたい、という欲求にも似た活動だ。

そして何より、この活動の根本は「答えなき世界」で旗を立てる行為を自分自身が継続し、他人のそれを許容できるような心持ちになるための訓練でもある。

「答えなき世界」を考えることは、すごく体力を必要とする。特に初めての場合、バカにされるだろうか、失敗しないかと思うだろう。

私は思う。仮に「答えなき世界」が土台なのであれば、今の自分の行為そのものの成否や良し悪しを判断すること自体ナンセンスであると。

だからこそ、行為そのものが価値をおびるのではないか?やっているのか、いないのか、のみに収斂するだけだ。

そして、「答えなき世界」に旗を立てる行為は、クリエイターにとって無限の創造の余地があるのではないか。

そんな好奇心が、私達の創作の根源になる未来が待っているといいなと思う。そして、良い方向に社会が変わっていく手伝いができるといい。

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