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女たちよ。料理をやめよう

女性が料理を作ることが長年の謎です。
料理を作ることが家庭の重要な ”仕事” になっていることが理解できない。
その仕事をもっぱら女性が担当していることは、もっと理解できない。

固定観念を払拭する。
食の調達を再考する。
そうして、女も男も自由になる方向を示したいと思いました。

料理を作ってもらうために結婚したんじゃない

何回結婚しても、結婚するたびに違和感なのが、結婚したら急に相手が料理を作ろうとすることでした。
付き合っていたときには全くそんな素振りを見せなかった人が、結婚すると決まった瞬間に、調理器具などを買い揃えようとする。
まるで、就職が決まった学生が社会人になるための準備を始めるように。

ちょ、ちょっと待て。
私はあなたをシェフとして ”雇った” のではない、と言いたくなります。

生きることは、食べることです。
人間にとって日々の食事が重要なのは言うまでもありません。
しかし、それを家庭内で作ることが必須だとは思えないのです。

麦わらの一味の中でサンジが重要な役割を果たしているのは、彼らが外食もデリバリーもコンビニもない海の上で生活しているからです。

料理をするな、とは言いません。
ただ、食事を作ることが義務であるかのような、ましてや、それを女の自分がしなければならない、という考えは捨ててほしい、と思うのです。

女が悪いのか? 男が悪いのか?

お隣に住むアグネス(35歳香港人、子供3人、メイド4人)は、料理というものを一度もしたことがないそうです。

アグネスはやや極端な例だとしても、私が見てきた世界の女性たちの大半はほとんど料理をしません。
「ドイツ人のキッチンは世界一キレイ」と言われますが、それはドイツ人がキレイ好きだからではなく、キッチンをほとんど使わないからです。
彼らは何を食べているのか。
彼らのメインの食事はお昼です。男も女もたいてい外で働いていますから、お昼は外食(社食、中食もあり)になります。
晩には、調理の必要がないものを食べます。パン、ハム、チーズ、サラダ。
そりゃキッチンが汚れないはずです。

日本人には「料理は女が家で作るもの」という固定観念が刷り込まれているとしか思えません。
子供の頃から母親が料理する姿を見てきたからでしょうか。
私も料理する母を見て育ちました。
しかし、20代前半に 5年ほど一緒に暮らした女性が、その固定観念を完全に消し去ってくれました。

元妻の何人かに言われました。

「あんたのいいところは、食べるものにこだわらないところだよね」

ちょ、他にいいところないのかよ。


女も男も刷り込まれています。

女は、「良い妻 = 家庭的 = 料理上手」という、呪いのような図式に囚われているような気がします。
昭和の価値観、とでも言うんでしょうか。
そんな旧時代の亡霊がいまだに残っているとしたら、つくづく刷り込みとは恐ろしいものですね。

男は、「食事は女が作るのが当たり前」と思い込んでいるフシがあります。
厄介なのは「妻に感謝している」とか言う男ほどその思い込みが強いこと。
私が妻なら、感謝はいらんから、作らんでいいよと言ってくれ、と思います。

おふくろの味とか言う男はママのおっぱい吸ってろ

昭和の男たちは、おぞましいことを言っていたものです。

「彼女に手料理を作ってほしいなあ」

「結婚相手に求めるもの? 料理の上手な人ですね」

「料理は手作りにかぎる!」

プロポーズの一例「一生、君が作ったごはんを食べたいです」

家政婦のミタと結婚しろ。

家政婦のミタ


できねーよ絶対。


最凶におぞましいやつがこれ。

「やっぱり、おふくろの味が一番だ」

妻に毎日料理を作らせて、それを食ってるだけの人間が言うことか?

逝ってよし


料理を作ってくれと頼んだ覚えはない

昭和で時計が止まっている男たちは神棚に祀っておくとして。

イマドキの平均的な日本の夫たちのホンネはこんなところでしょうか。

妻が毎日の食事を作るのは、自分が外で働くのと同じようなもの。
自分もときどき仕事を休むように、妻も好きなときに休めばいい。
その気になれば、私は毎日外食やコンビニ弁当でも生きていける。
できれば家庭的な料理を食べたい。妻が料理上手なら尚うれしい。
ただ必須ではない。妻が作ってくれるうちは有難くいただくだけ。

昭和の男たちよりはだいぶマシか。
けれど、彼らにも潜在的な問題があります。
それは、料理を作る労力を、彼らが過小評価している可能性が高いこと。
毎日の献立を考えること。食材の在庫管理。自炊をすることに伴なう諸々の追加労働。エトセトラ、エトセトラ。
これらがいかに気の重い仕事かは、実際にやったことのある人にしかわからないのです。

妻は、それらを善意でやっている(好きでやっているわけではない)こと、そしてそれらが全然ラクな仕事ではないということを、夫にわからせる必要があると思います。

夫は妻に「毎日料理を作ってくれ」とはっきり頼んだことはないはず。

だから、夫から次の言葉を引き出せばいいのです。

「無理して作らなくてもいいよ」

子供も大人も男も女も楽しいもの

小学校の家庭科の時間にクラスで料理を作ったことを憶えていますか?
何を作ったかは忘れましたが、野菜を洗う係、食材を切る係、鍋で煮る係、お皿に盛りつける係などを分担し、みんなでワイワイ騒ぎながら、とにかくワクワクしたことを、私は鮮明に憶えています。

学校行事のキャンプでカレーを作ったことも憶えています。
あれもメチャメチャ楽しかったなあ。

キャンプ

子供だから楽しいのでしょうか。
いいえ。大人も楽しいはずですよ。義務や労働でなければ。

料理を義務や労働でなく、楽しい遊びにするにはどうしたらいいでしょう。
まず、毎日作るのはやめていいと思います。
何かを作りたくなったときにだけ、作りたいものを作ればいいのです。
週 1回くらいでいいんじゃないでしょうか。
ヨーロッパ人の同僚から、日曜日は夫が料理を作る習慣になっているとよく聞きます。
週 1回だと夫は楽しんで料理するそうです。
妻もそうすればいいと思います。

会社のイベントで、クッキング・コンペティションをしたことがあります。
これがメチャメチャ盛り上がるんです。
男も女も、たまにしか料理をしない人ばかりなので、みんなが程よく素人。慣れてる人もいないし、料理したことがない人もいない。
同じことを日本の会社でやったら、女が中心になって、男は見てるだけになりそうです。
ヨーロッパでは女と男が同じくらいの腕前(どっちもヘタ)なので、どっちも真剣で、対等な関係で協力しながら料理に取り組みます。
だから楽しいのです。

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思い出してほしい。
本来、料理は楽しいものだということを。

まとめ

サンジが麦わらの一味にとって死活的に重要な存在であるように、食の調達は家族の重要事項です。
だからこそ、暗黙のうちに妻が家で作る空気になるのではなく、ポリシーをもつべきだと思います。
外部調達の比率を高めることを検討すべきです。
日本ほど食の外部調達が安価な国はありません。
私が日本に住むなら、週のうち少なくとも5日は外部調達にします。

家庭から医療、教育、住居、被服、介護、育児がアウトソースされていき、最後に残された自前主義が料理です。

料理をやめよう。
やめることで、料理から楽しさを取り戻そう。
キッチンは職場ではない。
貴女の部屋でもない。
強いて言えば、家族みんなのプレイルームです。

#料理はたのしい

(追記)
「〇〇をやめよう」をシリーズ化することにしました。
👇 第 2話です。

👇 第 3話です。

👇 第 4話です。