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厳しさという名の優しさ

「優しい」、「優しい人」ってどういうイメージがありますか?

・褒めてくれる人?
・話を聞いてくれる人?
・自分のことをわかってくれる人?
・何かやらかしても赦してくれる人?

上記のような人も優しさの一面としてはあるでしょう。いわゆる「母性的な優しさ」ですね。

「優しさ」にはもう一面あります。それが「父性的な優しさ」と言われる「厳しさ」です。

▼ 相手に本気だからこそ厳しく

本来は家や学校でも行われるべきことで、どんなに遅くとも会社で「叱られる」、「相手から厳しく言われる」ということは経験あるかと思います。

昭和のころはそれこそ体罰やらパワハラというのが世の中に蔓延していて世間の問題となり、平成〜令和となるにつれて減ってきました。

体罰やパワハラの前提は、行っている本人が相手を屈服させたい等の思いから来ているため論外です。「叱る」という行為と混同してはいけません。体罰やパワハラは決して行ってはいけませんし、やられたら屈せずに戦いましょう。

それとは違い、「叱る」、「厳しく接する」というのは、相手に対して本気に思ってるからこそ行われる行為です。上下関係関わらず、対等に思っているからこそ出ます。

恋人関係や、部活など、本気でより良くしたいと思っている者同士だからこそ成り立ちます。

▼ 叱られたくないし怒りたくない

叱られることが好きという人はいないでしょう。叱られれば落ち込むし、もしくは相手に対して反発したくもなります。厳しく言われることで、なんとなく「また言われるんじゃないか」と思って、近寄りたくなくなります。

しかし、冷静に考えると、それは相手も同じで、わざわざ叱りたくないものです。「相手に嫌われるんじゃないか」と思って、関係性が薄い人にわざわざ言おうと思わないでしょう。

僕も経験はありませんが、昭和や昔は、町中で他人の子供に対しても叱るような大人が居ました。いわゆる雷親父という人です。

しかし、今では関係性が薄い他人の子供にわざわざ叱っては、その親が文句を言う世の中です。

「叱る」、「厳しく接する」という行為すら勇気がいる行為となってきました。

▼ 厳しさの無い環境に改善は無い

会社や部活で、褒めることを是として、あまり他部署や他人に対してあまり叱ることがない、厳しく接しないという会社や部活があります。

一見するとホワイト企業であったり、優しい人達だと周りのことが見えるかもしれません。居心地も良いでしょう。

しかし、叱られない、厳しく言われないということは、パフォーマンスが十分でなくとも改善に気付きにくい(自分で気付くしかなくなる)ということになります。

相手に対して、叱ってくれる、厳しく接してくれる人というのは、今の御時世においてはもしかしたら誰より優しい人なのかもしれません。

「赦す」というのも勇気がいる優しさもありますが、「叱る」というのも勇気がいる優しさなのです。

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