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【自分】非常勤講師になるまで

〇客室乗務員をリタイアした理由

「コロナ」で退職せざるを得ない状況になりました。
それこそ1年前までは空を飛びまくり、月の半分以上家を空ける生活。
来月のフライトはどこ行くんだろう
アメリカ行けたらアバクロ買い漁ろう・・・
という感じで普段と何も変わらない日々を呑気に過ごしていました。
コロナを認識し始めたのは去年の2月頃でしょうか。
まさか1年後リタイアしているなど考えてもいませんでした。
緊急事態宣言あたりからエアライン業界は大打撃を食らい、とうとう世界では破綻する航空会社も出てくる事態に。

そしてあれだけ身体を酷使して働いていたにも関わらず
突然私たちにもやってきた何も予定の無い生活。

特殊な世界で働いているからこそ、職を失うと何もできない。
所詮井の中の蛙である事を思い知らされ、不安と喪失感で一時期は1日中ベッドに引きこもり、完全に無気力状態でした。

〇非常勤講師になるまでの流れ

元々のキャリアプランとして、CAの経験を積んで、結婚や出産を経た後に
将来何かしら指導する立場に移行できればいいなと漠然とした目標はありました。

しかしCAとしてまだまだキャリアを積めるタイミングでのリタイアです。
指導どころか、生きる為に、お金を稼ぐ為に何ができるのかばかり考える毎日。

先ほど何もできないと言いました。
本当に何もできません。大した資格も無ければ、人より秀でた能力もない。
ただ日々CAとしてのタスクをこなして過ごしていただけなので。
名刺交換のやり方やパソコンの使い方すらわかりませんでした。
機内で誰かにおもてなしは出来ても、一般的に行われている事が出来ない。
「鳥籠から出ても生き伸びる術がわからない」 そんな感じです。

ただ、私には大学時代に得た「実績」が3つありました。

・大学内で初のCA内定者であった事
・客室乗務職として5社以上から内定を貰っていた事
・母校から来るOCやセミナーの依頼は断らずに全て引き受け
 私の存在を知って入学を決めた学生が数人いた事

ここで私なりに変なプライドは取っ払い、母校に私なりの営業メールを送りました。とにかく、出来る事があれば何でもしますと。
当時は既に自分自身を"何て惨めな人間なんだろう"と思っていた訳で、世間から割と腫物に触るような扱いを受けていたので、大学から「いえ、結構です」と言われる恐怖心があり一旦踏み留まりました。
(そもそも自分に手伝える事など特に何もないと思っていたので)
ですが逆境に何度も立ち向かって生きていきたという自負がありました。
何もできない私だけれど
大変な世の中になってしまい、不安を抱えた学生に勇気を与える事くらいはできるのではないか?と考えた末
断られる事を覚悟して教務課、入試課、学科長、在校中お世話になった先生、連絡先がわかる範囲で手当たり次第メールを送りました。(今考えたらちょっとウザい奴)

〇「キッカケ」はどこに落ちているのかわからない

翌日、大学側から早速連絡がきました。以下だいたいの内容

〇〇さん、ご連絡ありがとうございます。
去年までエアラインの授業を担当していた先生が突然辞職する事になり、適任の方を探している最中でした。
実は〇〇さんに声をかけてみては?と教授会で話が出ていました。
しかし現在大変な状況下なのは承知していた為、別の方にお願いをするつもりでした。良いタイミングでご連絡を頂き誠にありがとうございます。
是非一度来校して頂けますでしょうか。

プライドを捨て、ダメ元で送ったメールが
「キッカケ」を運んでくれました。あの時メールを送っていなかったら
このチャンスは別の方が掴んでいたはずです。

「この先の生活が変わるかもしれない」
シンプルに胸の高まりを感じました。

こんな感じで大学へ足を運び、学科長と話をし、今私は学生を指導する立場になっています。

もっともっと先に考えていた次のステージが突然私の所にやってきました。



次回、非常勤講師になる為に行われた採用面接や模擬授業の様子を
記していきたいと思います。

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