芸術の存在意義

いつかは迎える最期。
それがいつかはわからない。

何年後なのか、もしかしたら明日かもしれない。
ならば後悔せずに全力で今を生きるしかないのでは、と。

どうせ死ぬなら、とっとと死のうぜ。
自ら命を絶つ人の気持ちも正直わかる。
これを言うとメンヘラだとか、精神疾患だとか言われるのかもしれないけど。

生きる意味、とか
自分の存在価値を見出せない、とか。
人間誰しもそんな瞬間はある、はず。

死にたい、よりかは
生きることに疲れた、なんだと思う。
消えたい、いなくなりたい、に近い感覚。

1人で抱え込まないで、なんて綺麗事に過ぎない。
だって他人から「死にたい」なんて聞きたくないもの。
それをわかっているから1人でどうにかしよう、と思うのではないか。

自らこの世を去った知り合いがいる。
その時の周りの安堵した異様な空間。
居た堪れない気持ちになった。
その人のことを慕っていたか、というとそうではないけど。
嗚呼、せっかく死んだのに、ってよくわからない感情が芽生えた。
もちろん悲しみに暮れている家族や友人もいた。
その中に「自分がどうにかしてあげられたのでは」と悔やんでる人もいたかもしれない。
数年経った今も、その思いが薄れずに残っているのかどうかは本人にしかわからない。

生きたくて死んだ人と
死にたくて生き続ける人
どっちが幸せなんだろう、なんて不謹慎なことを思う。

本人の望み通りに叶うのが理想だと思うけど。
生きたい、死にたい、と嘆き叫ぶその気持ちの重さに良し悪しをつけるのは如何なものか、と。

「生きたい」
「死にたくない」
「死にたい」
「生きたくない」

似ているようで、大きく違う。
カテゴライズする必要性はないんだろうけど。

人間って面白いよね。
語彙のニュアンスって絶妙だよね。
言葉にできない表現ってあるよね。

ああ、芸術ってそのためにあるんだ、と今日も気付きの日。

あっという間の一週間。
無駄にしてしまったなぁ、と反省も多い。
けど、全部必要な時間だったのだろう、と。
遠回りなようで、私には必要だった道のり。
時間はかかるけど、これがきっと最短距離。
視点を変えて、あんまり深く落ち込まないように。
型にハマらないように。

さぁ、寝て起きたらまた一週間の始まり!
踊って、教えて、いっぱい頭使って。

好きなことに人生捧げてる、って幸せじゃないか!

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