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「浪江とウクライナを地続きに」~昨年の振り返りと今年の抱負

2022年、個人の振り返り

 2022年は、世界も日本も、自分個人にとっても激動の年でした。

 私の住む福島県浪江町では、震災前2万1000人いた人口が一度ゼロになりましたが、帰還者・移住者が徐々に増えて、昨年末には2000人弱まで回復しました。私の行政区(自治会)では再建された神社で櫓を組んで盆踊りが震災後初めて行われました。
 そして、隣の双葉町では8月末に復興再生拠点の避難指示が解除となり、11年半経ってついに全ての市町村で居住が可能になりました。

 個人としては、浪江町に移り住んで一年が過ぎ、具体的なアウトプットを出す年になりました。(主なものだけ挙げます。)

<NoMAラボ>(まちづくり)

  • 住民が全国に離散し、想い出を語り継いでいくことも難しいこの町で、まちづくりの前にまず記憶を紡いでいくこと、その上に住民が創りたい町を主体的に創っていくことが大切。そのために、住民が残したい記憶と創りたい町の姿を、「異彩を、放て」を掲げる大好きなヘラルボニー(知的障害を持ったアーティストのプロデュース会社)のアーティストに描いて頂く「なみえアートプロジェクト『なみえの記憶・なみえの未来』」を発表し、第一弾アートを町の中心地に、第二弾アートを駅前に、掲出・発表させていただきました。

  • 町の課題を、行政にすべて依存するのではなく、住民の手で楽しみながら解決していく形を作るべく、エンタメ草刈りバトル「草刈りなみえ」を開催しました。80名ほどの住民の方が参加して老若男女混成のチームに分かれ、刈った草を高く積む「高さ部門」と刈った草でアートを作る「アート部門」で楽しみながら競いました。

  • 買い物の困難・不便を解消するための新サービスを開発すべく、凸版印刷さん、日産自動車さんと、町の複数店舗の棚のリアルタイム映像をタブレットで見て買い回り、日産さんが運行しているオンデマンド交通が貨客混載で自宅にお届けするという「なみえバーチャル商店街サービス」の実証実験を行い、利用いただいた住民の方々に好評を得ました。

<東の食の会>(食のブランドづくり)

  • 皆が関わって楽しみながら日本にない作物を実験的に育てることで、この地の農業のイメージを一新し、その中からこれまでにない高付加価値のブランド作物を生み出していくコミュニティ実験農場「なみえ星降る農園」。春に50人で50種の種まきを行って栽培を開始、多くの方々が浪江を訪れて忌避剤となるヒトデを撒き、雑草をむしるなど関わってくれて、多くの作物の収穫に成功。収穫した珍しい野菜は地元のお店や東京のレストランでも提供いただきました。

  • 浪江町の請戸漁港が誇る希少な高級魚「シラウオ」をリブランディングしてオンライン販売、即時完売しました。バンコクへの輸出にも成功し、請戸漁港から震災後初の輸出となりました。

  • サステナブルな漁業に取り組んでいる福島・三陸の漁師自ら、海洋プラスチックゴミ問題を啓発すべく、海洋プラスチックから作られた繊維を使い、漁師のアイディアをデザインに取り入れて作ったスニーカー「UMINOKUTSU」をPatrickさんから、私たちの漁師団体Fisherman’s Leagueとのダブルネームで販売しました。

<発信>
 浪江町・福島県浜通り地域の発信にも力を入れていますが、昨年、域外から浪江町に訪れてくれた方を案内したりお話させていただいた方はざっと数えてみたら400名を超えていました。
 メディアでの発信もできる限り断らずにできることは全部やろうと取り組み、様々なメディアで発信の機会をいただきましたが、
・日経新聞とテレビ東京によるYoutubeチャンネル「日経テレ東大学」での放送が再生17万回以上
・ヨーロッパのニュースサイト「euronews」でのディベートが再生15万回以上
と内外の多くの方々に見ていただき、ポジティブな福島の発信を届けることができました。
 また、国内最大規模の経済ニュースプラットフォーム「NewsPicks」で地域経済を発信・解説するRe:gion Picker、国内最大の音声プラットフォーム「Voicy」のパーソナリティも始めました。
(ちなみになんと、OVER Allsによる双葉町の壁画アートにも描いていただき光栄です。。。)

ウクライナ侵攻と新年の誓い

 足元に全力を尽くし、明るい兆しも多く生まれましたが、日本全体、世界に目を向ければ暗澹たる気持ちになることの多い一年でした。中でもやはり、ロシアによるウクライナ侵攻には衝撃を受け、自分の人生を考えさせられました。

 2月24日に武力攻撃開始。仮にも国連常任理事国が、領土的な目的を持ったあからさまな軍事侵攻を、しかも大規模に市民を巻き込んだ形で行うという事態。この21世紀に帝国主義・全体戦争の時代に時間が逆戻りするとは思っていませんでした。
 自分はもともと国際紛争を未然に防ぐために働きたいと外務省に入ったのですが、民主主義・自由主義・資本主義が広がって国家間の相互依存が進み、少なくともいわゆる先進国間での武力紛争のリスクは下がっていく、むしろ、日本の経済的衰退、地方経済の疲弊と少子高齢化が喫緊の課題だと判断し、それに取り組むために外務省を辞しました。完全に見立てを誤り、自分は人生の判断を間違っていたのかと大きなショックでした。

 何か自分にできることはないかと模索した結果、9月にウクライナ周辺国支援の一環として、隣国のモルドバに行きました。ウクライナ難民の施設も訪問、ウクライナ国内で支援活動を行う団体のお話も直接聞くことができました。また、モルドバを案内してくれた現地の方が、この冬はロシアからの天然ガス供給が途絶え極寒を乗り切れるかわからず、自宅に暖炉と煙突を作ったと言っていて、戦争がすぐそこにあるというリアリティを感じました。
(モルドバ自体も国内に親ロシア派住民を多く抱え、自治地域にはロシア兵も駐留していて、ウクライナの次の標的とも言われており、親EUの現政権の経済基盤を安定させることが喫緊の課題で、今年、具体的な支援活動を計画しています。)

 ただ、それから3か月が経ち、いまだロシアからウクライナの都市に対する砲撃は行われ続け、ウクライナの反攻でかえって追い詰められたロシアによる核攻撃のリスクが高まっているにもかかわらず、気が付けば日々の生活に追われ、いつしかこの状況に慣れてしまっている自分がいるのを認めざるを得ません。
 ホロコーストをはじめ歴史上の惨劇を想う時にいつも、なんでこんなことを世界が、国際世論が許すのだろうと思ってきましたが、自分が生きているこの時にまさにその惨劇が起こっていて、自分が傍観者になっているという事実。
 無力感と焦燥感と、どう折り合いをつければいいかわからずにいましたが、落ち着いて考えてみて少し考えがまとまってきました。世界にも日本にも悲劇的なことは無数に起こっていて、すべての事象に当事者性をもって臨むのは難しい。だったら、その当事者性を、まず足元から始めるしかないのではないか。自分の地元の防災、独居高齢者、担い手不足、産業の疲弊、、、ローカルのコミュニティにも産業にも課題は山積している。それに取り組まずに急に日本全体、まして海を越えて世界の課題に当事者として向き合うことなどできないのではないか。結局、自分が取り組んでいるところに戻ってきました。
 裏返せば、各々のローカルの課題に当事者性を持って取り組むこと、その先に、自分のローカルと他のローカルが繋がっていく。そうして初めて世界が地続きになっていくと思うのです。
 
 そんなわけで一周回って、今年もあらためて、浪江町・福島県浜通り地域のコミュニティの再生、産業の再生に全力で取り組みたいと思います。そして、一度ゼロになり、離散と分断からコミュニティと産業を再生したモデルとして、世界に輸出できる形を作りたい。そして近い将来、戦後のウクライナにそのモデルを伝えることができればと思います。
 福島県浜通り地域には、チェルノブイリの視察に行った方も多く、おそらく日本で最もウクライナの方々とつながりを持つ方が多い地域だと思います。この地域の方々と共にいつかウクライナを訪問し、福島の方々の経験をウクライナの方々に直接伝えられることができれば。そんな、ここ浪江とウクライナが地続きになる日を思い描きながら、日々、具体的なプロジェクトに一つ一つ取り組んでいきます。

2023年元旦 高橋大就

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