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『関係資本を溜め込もう』(福島民報「民報サロン」2021年10月23日寄稿)

 私が移住した浪江町の居住人口は着実に増えているが、いまだ約千七百名。よく東京の友人に「寂しくないのか」と聞かれる。でもこの問いは自分の実感とあまりにもかけ離れている。ここでは町を歩けばそこかしこで知り合いに出会いあいさつをする。時が経つにつれその割合が増えていく。
 自分がいた東京には一千万人を超える人が住んでいる。人は多いが交流は多くなく、関係を持っている人は一握りで、九百九十九万九千人とは一生交わることはない。むしろ満員電車でしかめ面で押し合ったり、渋滞でクラクションを鳴らしあったりする関係。
 人とのポジティブな関係性をどれくらい持っているか、この「関係資本」(社会学では「社会関係資本」と呼ばれる)は、顔が見える地方のコミュニティの方が蓄積しやすい土壌がある。そして、人の幸福度は、その「関係資本」によって最も大きく左右されるというのが実感だ。
 お金、すなわち「金融資本」はもちろん必要だが、一定以上増えても幸福度は上がらないという多くの研究がある。金融資本で関係資本を購入することはできないし、代替もできない。周りの人を利用してビジネスに成功し金融資本を溜め込んでも、関係資本を削っているので、幸せにはならないはず。実際、そういう起業家も目にしてきた。
 また、最近このことを痛切に思い知らされたのが、いまだ域外に避難されている浪江町民の方々のお話を伺った時。ある男性が「(賠償により)お金はもらったけど、周りの人が昔の話をしてもわからないし、暮らしていて全然楽しくないんだ」と顔を歪ませながら語ってくれた。彼が失った故郷という関係資本をお金で埋めることなど、到底できないのだ。
 この関係資本と幸福度の関係は、まち全体についても言える。まちのなりわいを産み経済を回すために金融資本は必要だ。しかし地元企業やコミュニティを破壊する形で外部の金融資本を呼びこんだとしても、それは、関係資本を毀損(きそん)して金融資本に置き換えることにほかならず、まち全体の幸福度向上にはつながらない。
 「新しい資本主義」のあり方が議論される中で、国民総幸福(GDW:  Gross Domestic Well-being)という指標の議論が盛んだ。これまで国民総生産(GDP: Gross Domestic Product)を最もけん引してきたのは人口増による経済成長だったことが分かっている。しかし、GDWは単純に人口を増やしたり金融資本を蓄積したりしても増えず、関係資本が鍵となるだろう。「生産性」とは無縁の地域のお茶会や井戸端会議を関係資本の観点からとらえ直すと、これらこそ資本の源泉だ。
 浪江町では、避難指示によりまちがバラバラになり、時間が断絶され、多くの関係性が失われた。この町の再生の途は、関係資本を更に削って金融資本を呼び込むことではないだろう。地元企業の創意工夫と外部との連携により稼いだ金融資本で、町民の繋がりを取り戻し、域外の人も呼び込み、関係資本をこの町に溜め込んでいきたい。(浪江町樋渡、東の食の会専務理事)

*この記事は、福島民報「民報サロン」(2021年10月23日)に寄稿したものです。

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