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映画レビュー:五十四本目「私は二歳」



また打ちのめされた。
自分も、似たような環境で育てて頂けたのだろうということを考えて。

公開が1962年。
昭和37年。
敗戦から20年足らずの日本では、この様に子育てしていたのだろうという描写に。

サラリーマンの船越英二。
専業主婦の山本富士子。
男の子を授かるも、子育てで案の定揉める。
病に罹る。
私も散々罹った。
高熱を出した私を背負って病院へ駆け込む道すがら、空を見上げて笑い出した私に
「この子は助からないかも知れない」
と母が泣いた話を思い出す。
母は、私の兄を乳児のまま
亡くしている。

育児に関して、気の強い母親は夫と度々衝突する。
男は弁が立たないので、腕力で終わらせようとする。
が、映画の中の夫は極力折れる。

が、団地暮らしから夫の実家に越すことになり、ここで案の定な嫁姑問題に。
我が家では、父方の両親の家庭が早くに破綻していたので、「平和な母方の祖父母」vs.「終わってる父方の両親の、それぞれの家庭」の関係に縛られて生きることになる。

旦那の母親との「3.5人生活」(本編より)は窮屈でも、嫁の山本富士子は全てキッチリと吐き出すタイプなので、また何とか遣り切れていた。
でも、多くの主婦は下唇を噛み締めて生きていたのだろうと推測する。
そういう時代だったし、我が母も義母との折り合いは、決して良いわけでは無かったと思う。

義母を演じるのは、浦辺粂子。
余談だけど、私が端役で出演した映画にも出演する筈だった方。
が、台本も当て書きされたほどの役だったのに、撮入寸前に火事でお亡くなりになられて、お目には掛かれず。
代役は、乙羽信子さんでした。
そちらにはお目にかかれて光栄でした。

閑話休題。

息子が事故で死にはぐったことで、子育てに関して意気投合し、ようやく嫁姑問題が決着する兆しが見えた所で事件が。

男で未婚を選んだ自分には解らないけど、昭和の子育てって、こんなにも大変だったのかと。
意思を持ってからの子供の目線なら、幾許かの記憶はあるけれど、幼少期の家庭での記憶はほぼ無いので、覚えていない、見ていない所での軋轢や衝突は何百回も起きてただろうなと。

市川崑らしいカメラワーク優先の撮り方を嫌う人は居たけど、それがこの作品を未だ佳作だと評価し、現代に遺す手立てに加担してくれているのだと思う。

何より、「二歳」の子を演じてくれた子役の笑顔の素晴らしさが良かった。
子供の笑顔に勝てるオトナなんて居ない。
居ちゃ、いけない。

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