見出し画像

407 主体性と当事者性


はじめに

教育においてだけではなく、社会で求められているのは、主体性です。日本の学校でも多くの学校で主体性の育成を教育目標に掲げる学校が増えてきました。主体性とは、物事に自ら進んで取り組む力のことを指します。しかし、主体性の育成には当事者意識をさらに持たせていくことが必要です。
この当事者意識が日本の教育の欠点なのです。
海外では、当事者意識を主体性と同様に大変重要な教育目標に据えています。今日の教育目標は、当事者意識をもたせることの大切さと日本の教育の欠点についてお話してみたいと思います。

主体性がなぜ大切なのか

生きていく中で多くの事柄や人や物と関わります。そのなかで、チャンスや幸福が他者から与えられるのを待っているだけだったらどうでしょうか。
間違いなく、得られるものが手に入らない、感じることができる機会が減ることになるでしょう。
主体性があるからこそ、自分で判断して行動できますし、理想に近づいていくことができるのです。それだけ、主体性というのは大切なのですが、主体性風なだけの教育がまだまだ多いように思います。

自主性と主体性

自主性が高いと教師や保護者からの指示を待つまたは、指示される前に行動に起こせるため、指導する方もされる方も互いにストレスが少なく、良好な精神状態で学習できるでしょう。
一方、主体性といった場合には自らの判断に基づいた上で、自分の責任のもとで行動できる性質をさします。よく夢や目標に向かって歩み出す力や新しいことを創造する力が高い低いという話をすることがありますが、主体性はまさにこの力に影響を及ぼすのです。

主体性と当事者性

そして、当事者性です。この当事者性とは、本来、該当の出来事を体験したこと、あるいは関係する出来事や人々と同じ属性の人物であることを意味します。または、周囲の人や他者からそのように見なされている場合も当事者という意味になるでしょう。
主体性が高い人は、自分が当事者であるという認識に敏感になれます。それは自分自身の事としてどこまでの範囲に目を向けることができるのかという自らの意識の向け方にも関係しているからです。
日本の教育は、全員が同じレベルを目指して教育することを前提とした仕組みに満ちています。合格するまで何度もテストをしたり、全教科の成績をまんべんなく伸ばすことを目指したりと進学するためにはそうした競争すら必要とします。
この教育方法によって、諦めず繰り返し取り組む姿勢を身につけ、努力によって能力を伸ばせると信じていますが、伸ばせるのはどんな力なのでしょうか。また、そうしなくても伸ばせるとしたらどうでしょうか。
主体性や当事者性を置き去りにして、宿題やテスト漬けの毎日の中で自分のやりたいことや夢を見つける時間もないまま気が付けば社会に出る手前まで来てしまっているような現状ではないでしょうか。

世界の多くの教育現場では、日本の教育の弱点は、まさに主体性と当事者性の欠如にあるということに気づいています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?