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薬物依存症を違う角度から書いてみた

一般社団法人DMWの臨床心理士@ヨシザトさんです♪

我々は「依存症」という状態で苦しんでいる人に
お会いすることが多いです。

今回は「薬物依存症」について
独り言を書いてみました😜

独り言なので、読んでも読まなくてもいいですよ(笑)

ただ、我々のような

『薬物依存症で苦しんでいる人の支援者』からみた「薬物依存症」

ってこうみえるんだな、
という一つの視点(角度)と思ってもらえたら嬉しいです😄


依存症臨床の現場にいると
「私は依存症なのか、そうでないのか」問題
が、いつも、くっついてくる。


そういう二元論的な話をしても
あまり生産的でない気がする。

背景に、
「依存」=悪いこと、悪いもの
というのがあるのかもしれない。

ところで・・・
お金の使い方で

「消費」「浪費」「投資」

という考え方がある。


その線引きも曖昧なところはあるけれど、
依存というのはそのうちの「浪費」に近いものだと思う。


心のエネルギーもこの3つに分けられると思う。
「消費」と「浪費」と「投資」。


まずは収入がないと支払いもできないのと一緒で、
体のエネルギーが充電されていないと、
消費も投資もできない。


浪費しているからエネルギーが充電できない、
という表現もできるかな。


浪費と分かっていてもそれが減らせない、
投資になるものに出会っていない、
投資にエネルギーを費やせていない、

この状態が依存だと思う。


人によって、時期によって、成長によって

「何に価値を置きたいか」「何に価値を置いているか」

というのが変わります。

なので、
何が「消費」で何が「浪費」で何が「投資」なのか
時期によって、変わるかもしれない。


でもそれを見直すことはいつでもできると思う。

それは、あるままに自分を見る、ということ。

マインドフルネスが役立つ。
あるいはダイアローグ(対話)が役立つ。


薬物の問題は
『使用者の個人の責任』の問題だけではなく
薬物を利用して被害者を作ってまでも何かを得ようとしている
『社会システムを作っている側』の問題だと思う。


あと仮に違法薬物を使ってしまっても
慢性的な依存症になる人と
そうでない人がいる。

(👆意外とこれって知られていない)


「人」というよりそうならない事例がある、
と言っていいかもしれない。


依存症にならないケース(事例)は
その薬物を使ってしまった人(私からみたら被害者)が
守られるネットワークがあるかどうか、
だと、つくづく思う。


先日も私のクライアントで


違法薬物を勧められて
初めて使用してしまった人の相談を受けた。
(半ば脅されていた)


その人が連続使用に至らなかったのは、
信頼できる人が複数いて、
そしてその人に相談ができたから、
という理由だった。


私もその一人だと、その人は言っていた。


勧める人(儲ける人)と勧められる人(搾取される人)
がそこには存在しているんだよなぁ。


客観的にみたら「浪費」なんだけど
『なあなあ、これは「投資」だよ』、
というストーリーを持ってくる社会。


ここを取り締まらないと
薬物問題は終わらないだろうなぁ。


騙される人が悪い、という物語が
早く終わらないかなぁ。
(長い独り言だな)



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