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【ディスカヴァー春の応援企画】#わたしの受験記(京大出身/グローバル事業部杉田の場合)

4月から受験生になる学生のみなさま、
来年からではないけどそろそろ受験のことを考えなきゃという方々にもオススメしたい一冊が、
喜多川泰さんの『手紙屋 蛍雪編』。

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3日間連続で社員がリレー形式で受験の思い出(#わたしの受験記)を語ります。
2日目の本日はグローバル事業部の杉田がお送りします。

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受験。
中高一貫の準進学校に通っていたわたしは、いつからともなく受験は当たり前のものと思うようになっていた。中高6年間のカリキュラムは高校2年生までで完了し、残り1年間は受験対策。
環境は整っていた。

志望校を決めたのも早かった。
といっても、学校として目指す大学がいくつか提示されている中で、あっさりと決まったのだった。
迷ったのは学部くらいで、まわりがどんどん決めはじめたころ、入学後に文理5分野から2分野選べるという、一つに決めかねた私にぴったりの学部を見つけた。

それが高校1年生の春頃だった。

そこから学校ではベテランの先生たちの授業を受け、高校3年生になってからは毎日自習室に通った。
それまでの定期テストと違って、受験で出題される範囲は比べ物にならないくらい広い。
授業を受けて、質問に行って、繰り返し復習する。友達と単語や公式、年表の問題を出し合って確認する。
目標を決めて先生や友達、家族と共有したことで、なんだか責任が生まれたような感覚だった。一発勝負の受験に向けて、毎日できることに励んだ。負けず嫌いな性格も役に立ったのかもしれない。

そうして迎えた受験当日。家から2時間かけて、試験会場である大学の教室に着いた頃には緊張も解け、案外落ち着いていたような気がする。2日間にわたる、すべての試験が終わるときにはもう、悔いはなかった。

約2週間後、合格したことを知った。


受験を意識したり、志望校を決めたりしたのは早かったが、その実感が湧いてきたのはすべてが終わってからだった。
一定期間打ち込んだ経験は、振り返ったときに全体像がわかるのかもしれない。

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思い起こすと、受験勉強の過程で学んだことは勉強の中身だけじゃなくて、勉強するという行為そのものだったように思う。

その中には、自分なりの忍耐力や集中力のコントロールの仕方だったり、人の話を最後まで聞くことだったり、ちょっとした疑問を抱いたときや一度で理解できないものに出会ったときのストレスに対処する方法など、いろんな要素が詰まっていた。
継続の必要性も身をもって知ったし、小さな成功や失敗もたくさん経験した。
(第一志望には合格したものの、他の大学のある学部には、センター利用を含め4回受けたうち2回は不合格だった)
そのどれもが、今の自分を形づくっているような気がする。

受験勉強でインプットした知識自体は忘れたとしても、その過程で習慣づいたことはなくならないし、そのときは何とも思っていなくても、自分の価値観にじわじわと影響を与える考え方の軸がつくられたように思う。

一つの目標に向かって人と励ましあいながら、また導かれ支えられながら努力するという経験はやっぱり特別なものだと思う。
社会人になった今も、そういう経験をたくさんして、自分を鍛えていきたいと思う原体験が私にとっては受験だったのかもしれない。


迷ってはいけません。一度つくると決めたら、それでよかったかどうかは問題ではありません。まずは完成させてしまうことが大切なのです。そして、一つの意味を手に入れたあとで、また別の何かを手に入れていけばいいのです。

-『手紙屋 蛍雪編』(喜多川泰著・ディスカヴァー)より

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▼その他、喜多川泰の名作が紹介されている特設サイト
https://d21.co.jp/column/kitagawa_yasushi/


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