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どんな意見にも「成長の種」がある

記事を見て下さり、ありがとうございます。
今回の記事は、どんな意見でも尊重し、学ぼうとして聴くことの大切さについて書いていきたいと思います。

異なる意見や価値観を持つ人は、皆さんの周りにもたくさんいると思います。そういう人たちと話していて意見の違いを感じたとき、皆さんはどうしていますか?

私は、そういうときに自分の意見が正しいと一方的に主張してしまうことがあります。いわゆる「常識」的な主張から逸脱したものには特にそうしてしまいがちです。例えばこの前は、「人なんて信頼しない方がいい」という主張に対して、「え?なんで?そんなわけないじゃん(笑)」と、つい自分が100%正しいというスタンスで話を聞いてしまいました。

ですが、本当にそれでよいのでしょうか。
十人十色という言葉があるように、人は皆異なる思想を持っています。そしてそれらに絶対的な正解、不正解などないはずです(※1)。つまり、どんな意見も必ず参考にできる部分があります。自分では思いもしなかったものの見方、考え方が見つかるかもしれません(※2)。ですから、たとえ理解が出来なくとも全ての意見は尊重し、何か学ぼうとする姿勢で聴きましょう(※3)。例えば私の話ですが、友人にある書籍を欲しがっていた人がいました。その書籍は一冊一万円という、高価なものでした。私はそれを買おうか悩んでいる友人に「図書館で借りるのはダメなの?」と問いました。わざわざ買う必要もないのではないかと思ったからです。すると友人からは、「書き込みがしたいから図書館で借りるわけにはいかないんだ」という答えが返ってきました。書籍に書き込みをしない私は、それを聴いて「なるほどな」と思いました。話を聴くことで「書籍に書き込みをする人がいる」ということを学べたのです。

お互いの意見の違いがあるからこそ、新たな価値観は生まれます。
だからこそ人間はこれまで成長を続け、豊かな文明を築いてこれたのではないでしょうか。人間は「皆違って皆いい」のです。
私たちの成長を支える全ての意見に感謝し、学ぶことで、世の中の発展にいっそう貢献していこうではありませんか。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

脚注
(※1)多くの人が正しいと思うものはあるでしょうが、絶対的に正しいものはないはずです。全ての意見はあくまで「主観的」であって「客観的」ではないのです。
(※2)全ての意見が主観的ということは、自分の意見も誰かの視点で見ると問題があるかもしれないということです。常に学ぶ姿勢であらゆる意見を聴いていけば、この問題点を発見し、さらにはそれを克服する第3の案が生み出せるかもしれません
(※3)人の意見はそのときの価値観によって支配されています。しかし、人は変化の可能性を秘めた生き物ですから、価値観が時間で変化します。ですから、そのときは理解できずとも、時間が経てばよく解るようになる意見もあるはずです。理解が出来ないと思う意見ほど大切に覚えておくといいでしょう。

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