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「福祉国家」の起源 ベヴァリッジの素顔

 

(2004.10作成 一部改訂)

 ※以下は、かつて筆者が在籍した社会福祉学大学院博士課程前期の課題に対応して提出されたものであるが(ただし筆者の本来の専攻・研究領域は哲学である)、広く福祉等の現場スタッフまたは社会福祉等に関心を持つ一般の方々(例えば社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員等国家資格取得者および取得志望の方々等)にも示唆を与える記述になっている。



はじめに

 以下に、本論の構成を述べる。まず、これまでのいくつかの研究成果を踏まえ、ウィリアム=ベヴァリッジ(以下ベヴァリッジと表記する)の社会哲学の素描を行うと同時に、ベヴァリッジの社会哲学(以下「ベヴァリッジ社会哲学」と表記する)における基本的態度が抽出される。

  さらに、ベヴァリッジの社会哲学を社会思想の歴史的コンテクストの中で簡潔に位置づける。その際、社会思想の歴史的コンテクストを過去と現在および近未来の二つの方向で焦点化する。過去の方向のコンテクストとして、ジェレミ・ベンサム(1748-1832)の社会哲学を、また現在および近未来のコンテクストとして、ハイエクフリードマンの社会哲学(新自由主義)を取り上げる。


基本的態度



 

 周知のように、ベヴァリッジは、『社会保険および関連サービス』(以下「ベヴァリッジ報告」と記述する)(注1)において、社会保障の目的を「国民全てに対するナショナルミニマム(国民的最低限)の保障」とし、その基盤を均一拠出・均一給付の原則による社会保険とした。ここには、「普遍主義」的理念が見られると理解するのが普通である。

 

 しかし、この「普遍主義」をさらに支える土台として、柏野(注2)は、「ベヴァリッジ自身の自助(自活)原理」を指摘している。すなわち、この論点に関して、ベヴァリッジ報告は、個人の「行動意欲・機会・責任感・自発的行動の余地」を重視した「自己責任の論理にもとづく自由主義(的個人主義)」を奨励している。この点から、ベヴァリッジ社会哲学の自由主義(的個人主義)の性格が素描され得るし、またそこから彼自身の思想的構えとしても自由主義(的個人主義)という側面がクローズアップされる。ここにおいては、ベヴァリッジの「自助(自活)原理」という社会哲学と思想的構えとしての「自由主義(的個人主義)」が重なり合っている。

 

 次に、上記の「自助(自活)原理」及び「自由主義(的個人主義)」が想定する「対象者像」に関して、垣田(注3)の所説を見てみたい。垣田によれば、「ベヴァリッジが(社会保険から漏れる者を救済する補完的位置づけを与えられたー引用者による補足)国民扶助に懲罰的な側面を与えたのは、できる限り扶助の対象とならずに賃金(労働)と保険給付によって生計を立てるインセンティブを国民に付与したかったからである。つまり、扶助を抑止的なものにすることによって、社会保険に適合的な個人に仕立て上げようとする意図がそこにはあった」とされる。こうした理解は、上述の解釈と整合的であり、彼の社会哲学及び基本的態度との間に矛盾は見られない。むしろ、我々は、この懲罰的・矯正的な一種の社会適合主義において、個人の自発性に基づいた自助原理をあくまでも政策上貫徹しようとする彼の「思想的・倫理的構え(エートス)」としての「基本的態度」を明確に再確認できるといえよう。


 もちろん、ここにおいて自己決定能力に「劣る」あるいは「欠ける」とされた、言い換えれば、「経済的自立を志向するといった個人像」(注4)から排除される「聾唖(ママ)者」・「知的障害(ママ)者(ママ)」・「浮浪者(ママ)」・「道徳に欠けた者」が「国民扶助の対象者」とされるという「選別主義」(より普遍的には「優生主義」)的社会哲学を見ることは容易である。だが、この意味での「選別主義(優生主義)」と先の「普遍主義」の関係を本論では必ずしも「矛盾」とは捉えず、むしろこれら両者の関係性を上述の「社会思想の歴史的コンテクスト」において位置づけながら論じたい。

 柏野によれば(注5)、個人的な生活史においても、また同時に歴史的社会的背景においても、ベヴァリッジの社会哲学とその基本的態度を育んだものは「19世紀資本主義の特徴」としての「「個人主義」と「自由主義」という相関連する概念」であり、彼は「「自由市場・自由競争」のエートスの洗礼を受けたことは否定できない所であろう」とされる。すなわち、彼はウェーバーのいう「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の申し子である。だが、基本的には同じこのエートスから発すると言える「社会民主主義」との差異において、「ウェブ夫妻にあっては体制変革のためのナショナル・ミニマム政策は、ベヴァリッジにあっては自由社会の擁護のために提唱されることになる」(注6)。


 このように、彼が「体制変革」という発想を排除するのは、個人の自発性それ自体の国家的統制を全面化することにより、自助原理に従う個人が根絶されてしまうというリスクを排除しようとしたからである。この意味での「自由社会の擁護」において、我々は「国家に先立つ個人(自由主義・個人主義)あるいは自由市場・自由競争のために必要とされる限りでの国家的統制(土地の独占的利用と私的使用の規制等(注7))」という社会哲学と基本的態度のやや複雑な複合を見ることができる。彼が失業を「労働市場における調整の不完全性による需給の不一致の問題と見なした」という永嶋の主張 (注8) もこの論点を裏書しているといえるだろう。

 

起源

 

ジェレミー・ベンサム

 


 柏野は、「自由社会を擁護するためには自助原則を基盤としつつ、自由の目的的抑制が必要とされる。そのことをベンサム主義者は熟知していたのであろうか」(注9)と述べ、「ベンサム主義者」としてのベヴァリッジ像に注意を促している。また、坂本は、「ベンサムの考え方によれば、人はより楽しく暮らせるならば働く必要もなく、相対的に好ましくない状況におかれなければ窮民は減少しない。この考え方の影響を受けて、低賃金でも労働者として自立して生活している人々よりも救済を受ける者の生活が悪くなるように新救貧法に取り入れられたのが劣等処遇の原則である」(注10)と述べている。ここから、「ベンサム社会哲学」によって理論的に洗練された「劣等処遇の原則」を上述のベヴァリッジの「自助原則」が忠実に継承していることが理解できるし、ベヴァリッジ自身「扶助は保険給付よりも何か望ましくないものであるという感じをいだかせるものでなければならない」と報告の中で述べている。(注11)


 上述のようなベンサムの社会哲学及の流れを汲む社会思想の歴史的コンテクストを再確認するために、あらためてベンサム自身の社会哲学を簡潔に見てみたい。

 

 ベンサムと言えば、『道徳と立法の諸原理序説』(1789) (注12)に見られるような、立法者の任務は国家における幸福の総量をできるだけ増加させることであるという「最大多数の最大幸福」があまりにも著名であるが、近年の研究により、ベンサムが「私的財産権の枠内で弱者や貧困な人々の権利や利益を擁護する立場にたっていたこと(中略)少数者や弱者をも含めて、期待・失望・不安・恐怖等々といった感情や情念が人間にとって大きな役割を果たすこと、そしてとりわけ人間の自由が「落胆防止」や「期待」の実現に依存することを重視しつつ理論を構築していたこと(中略)彼がもっとも重視したのはいうまでもなく「生存」と「安全」である(中略)貧困問題は彼にとって社会の基本に関わる重要問題であった」といった諸点が明らかにされている。(注13)


 このようなベンサム社会哲学を継承する歴史的コンテクストにベヴァリッジを位置づけることが重要である。それにより、上述のベヴァリッジにおける「選別主義」と「普遍主義」の関係を必ずしも「矛盾」として見るのではなく、むしろ整合的かつ根底的な水準で彼の社会哲学と基本的態度を同時に読み解くことができる。

 

新自由主義(ネオリベラリズム)――ハイエクとフリードマン

 

 「新自由主義(ネオリベラリズム)」は、その今日的(現在及び近未来的)形態において広く解するなら、「政府からの支出は可能な限り抑制し、基本的には多様な民間諸主体の自己責任=選択の自由(自由市場における自由競争)において諸問題に対処する」という社会哲学(同時にこれが基本的な態度となり得る)であるが、本章では、上述したベヴァリッジの社会哲学(同時に基本的な態度)との連関、また一定の整合性をたどれる限りでの社会思想の歴史的コンテクストとして、以下に田端によるハイエクとフリードマンの所説を紹介したい。


 田端によれば、「ミニマムの保障が何程かの所得再分配の機能を果たすことは否定されえないであろうが、ハイエクはこれをいわば「社会秩序」を維持するための費用(中略)とみなしているのであって、ミニマムの保障を超える所得再分配の制度は全面的に否定されている。このような立論は、社会保障についての「最低限保障(safety net)」を主張するものであり、現実の「福祉国家」=社会保障制度に対してはほぼ全面的に否定的な議論になっているといってよいであろう。ただここで、以上のような立論のゆえに、ハイエクがベヴァリッジのプランに一定の評価を与えている点は注目してよい」(注14)。また、フリードマンに関しては、「ナショナルミニマムを保障し、かつ私的インセンティブを害しないとされる負の所得税」(注15)という基本的な政策志向を持つとされる。


 結論

 

 結論として、これまでの議論から、「社会哲学におけるベヴァリッジの基本的態度」を、最も広くは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(エートス)」を土台として、とりわけベンサムの社会哲学から「新自由主義(ネオリベラリズム)」にまで及ぶヨーロッパの社会思想(自由主義・個人主義)の歴史的コンテクストの内に位置づけることができる。ベヴァリッジを読み解く際に我々が留意すべきことは、「福祉国家(政策)」という照準点を堅持しながらも、同時に上述した深く広範な知的伝統においてベヴァリッジを位置づけることによって、彼の社会哲学が内包する可能性を未来に向けて引き出していくことであろう。
 果たしたそれは、いまだその命脈を保ちながら未来の時を開くことができるだろうか。

 

【注】

 

(注1) Beveridge,W Social Insurance and Allied Services(Beveridge Report),Cmd6404,1942(山田雄三監訳『ベヴァリッジ報告 社会保険および関連サービス』至誠堂 1969)
(注2)柏野健三「『社会保険および関連サービス』(ベヴァリッジ報告)における自助(自活)原理はいかにして確立されたか」岡山商大社会総合研究所報第22号2001年10月 p.157-167.
(注3)垣田裕介「ベヴァリッジ社会保障計画における対象者像―社会保障の「包括性原則」との関連に着目して」日本社会福祉学会第49回大会発表(2001年10月20-21日) http://www.h3.dion.ne.jp/~kakita/report2001.pdf
(注4)同上p.5.
(注5)柏野健三 前掲論文 p.157
(注6)同上p.159.
(注7) 同上
(注8)永嶋信二郎 博士論文「W.H. ベヴァリッジの社会保障論の原点:
1909年失業論の研究を通して」要旨
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/00/summary/nagashima.html p.3.
(注9) 柏野健三 前掲論文 p.158.
(注10)坂本真紀子「イギリスの貧困問題―労働倫理とスティグマー」2001年度一橋大学社会学部学士論文
http://members.jcom.home.ne.jp/katoa/02sakamoto.htm p.20.
(注11) 同上 p.27.
(注12) An Introduction to the Principles of Morals and Legislation (1789) なお、http://www.ne.jp/asahi/village/good/bentham.html に要約がある。
(注13) http://www2.chuo-u.ac.jp/library/bentham/
(注14) 田端博邦「福祉国家論の現在」
『転換期の福祉国家』東京大学社会科学研究所編 東京大学出版会1988年 p.38.
(注15) 同上p.42.    

【参考文献・資料】


Beveridge,W Social Insurance and Allied Services(Beveridge
Report),Cmd6404,1942(山田雄三監訳『ベヴァリッジ報告 社会保険および関連サービス』至誠堂 1969)
『英国社会福祉政策の発達』柏野健三著 西日本法規出版2003年
『社会政策の歴史と理論』柏野健三著 西日本法規出版 1997年
『福祉国家の父 ベヴァリッジ その生涯と社会福祉政策』(上)
ジョゼ・ハリス著(柏野健三訳)西日本法規出版 2003年
『社会福祉学一般理論の系譜-英国のモデルに学ぶー』岡田藤太郎著 
相川書房1995年
『新版社会福祉士養成講座1社会福祉原論』福祉士養成講座編集委員会 
中央法規 2003年
柏野健三「『社会保険および関連サービス』(ベヴァリッジ報告)における
自助(自活)原理はいかにして確立されたか」岡山商大社会総合研究所報第22号2001年10月
垣田裕介「ベヴァリッジ社会保障計画における対象者像―社会保障の「包括性原則」との関連に着目して」日本社会福祉学会第49回大会発表(2001年10月20-21
日) http://www.h3.dion.ne.jp/~kakita/report2001.pdf
永嶋信二郎 博士論文「W.H. ベヴァリッジの社会保障論の原点:1909年失業論の研究を通して」要旨
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/00/summary/nagashima.html
坂本真紀子「イギリスの貧困問題―労働倫理とスティグマー」2001年度一橋大学社会学部学士論文
田端博邦「福祉国家論の現在」
『転換期の福祉国家』東京大学社会科学研究所編 東京大学出版会1988年
http://members.jcom.home.ne.jp/katoa/02sakamoto.htm
www.nsu.ac.jp/econ/staff/komine/hope/entry0210.pdf
http://www2.chuo-u.ac.jp/library/bentham/
http://www.ne.jp/asahi/village/good/bentham.html

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