Dialogue avec……
ディスプレイ画像の縁すれすれに<外>からの声。
それは、どんな超管理回路にも除去不可能な条件として組み込まれている見えない亀裂、言い換えれば、何時しか我々に植え付けられ感染してしまった『自己免疫不全ウイルス』から贈り与えられた触発因子だ。
――今夜、私は裁かれるのだという。
いや若しかしたら、裁くのは私の方かも知れない。
私は、その法廷が、何時しか超コントロールの空間へと移行していくのを見る。
そして、そこでこの私に降りかかる災厄を。
そこでは、ウイルスである私が被告なのか、
すなわち、この私に感染したとされる彼がウイルスである私を見ているのか、
それとも彼が被告なのか、
すなわち、ウイルスである私が彼を見ているのか
もはや分からない。
私と彼は決して出逢うことはないのだが、
お互いがお互いの背後にいるのだ。
……仮に、私が彼を見ているのだとしよう。
私は彼を見ることによって、彼の存在を何らか「与えてしまう」のか?
もしそうなら、一体どのような存在を、そしてどのようにして?
例えば、これは多分最悪の場合だが、
私は彼を憐れんでしまうかも知れない。
むろん、こんなことはあり得ないように思える……
だが、もし彼が罠に落ちたならばどうであろうか?
あるいはつねに罠に落ちざるを得ないのだとすれば?
例えば、彼は密かに何の変哲もない箱の中に隔離されてしまい、ただそこにいることを「確認される」だけで、その都度私=ウイルスに、そして同時に人々=皆に隷属してしまうという仕組みだ。
その時は、彼と運命を共にする致命的な病原体として、私=ウイルスも彼に隷属してしまうだろう。
「それでは、いいですね。いつもの検査です……」
――我々の想像を超えた超コントロ―ルのゲームがそこにある。
……ゲ―ムだって? いや、私はそんなことは語っていない。
私にはどうしても、「彼と私との関係」が見えないのだ。
何時もの光景の中で、人々は何時ものように通り過ぎて行く。
余りにありふれた光景こそ、誰一人見ることのできない恐れを孕んでいる。
人々に召喚され、確かに裁かれる私は、その法廷にはいないのだ。
そしてもちろん彼も。
何故なら、私と彼が共に召喚されるとき、その法廷は、すでにそこには無いのだから
(…………)
以上の作品は2005年07月24日に私のブログにアップされた。オリジナルは90年代半ば頃に書かれた草稿『ゼロ-アルファ』のごく一部である。(改変無し)
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