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実は幕末最強!?佐賀藩の知られざる実力

影は薄いけど、幕末最強は佐賀藩なんだよね〜

江戸時代の後期、幕府から明治新政府に変わる明治維新において、いくつかの藩が中心的な役割を担った。俗にそれらは「薩長土肥」と呼ばれ、明治維新以後も重要な役割を担う。

この「薩長土肥」はそれぞれの藩の頭文字をとってつけられた名前だ。

'薩'と'長'は、言わずと知れた薩摩藩と長州藩。
'土'は土佐藩を示す。

これらの藩はそれぞれ西郷隆盛や木戸孝允、板垣退助などが明治新政府において中心的な役割を担い、多くの人にとって馴染みの深い藩かもしれない。

しかし一方で、「薩長土肥」の最後の文字、'肥'を示す肥前佐賀藩の存在感は際立って薄い。

多くの人にとっては、この佐賀藩の存在を知らない人も多いのではないだろうか。

そんな、ひときわ影の薄い佐賀藩だが、先日、佐賀藩に関する書籍を読んだ。

今の人にとって馴染みの薄い佐賀藩だが、実は佐賀藩は「幕末最強の軍隊」を持っており、明治新政府が江戸幕府を倒すことに大きく貢献している。

今回は佐賀藩がどのように「幕末最強の軍隊」を持つにいたり、幕末から明治にかけてどのような貢献をしたのかについて紹介する。

1. 先進的な藩主のもとで成し遂げた佐賀藩の近代化

まず、佐賀藩を語る上で、欠かせない人物がいる。
それは、10代藩主の鍋島閑叟(なべしまかんそう)だ。

鍋島閑叟

鍋島閑叟は、若干17歳で藩主に就任した後、藩財政の立て直しと軍隊の近代化、若き才能の発掘に尽力した。

当時、鎖国体制の中にあった日本において、真っ先に西洋の技術を取り入れて実践した人物でもある。

鍋島閑叟のもと、江藤新平や大隈重信、副島種臣(そえじまたねおみ)、大木喬任(たかとう)などの才能が見出され、日本国内では最も高度な技術と高い軍事力をもった藩として広く知られるようになった。

2. 幕末最強の兵器:アームストロング砲

鍋島閑叟主導の下で、佐賀藩は他藩よりも先行して近代化を達成する。

その象徴が、当時の最新鋭の兵器とされたアームストロング砲の製造だ。

幕末に使用されたアームストロング砲

アームストロング砲は、これまでの大砲の射程範囲を飛躍的に向上させ、他藩では決して造れない兵器だった。

このアームストロング砲は、明治新政府軍と旧江戸幕府軍が戦った戊辰戦争でも大活躍。明治新政府軍がそれぞれの戦地で優位な戦闘を進められたのも、佐賀藩による最新鋭の武器による貢献が大きかったとされる。

3. 明治新政府で重要な役割を担った、江藤新平

戊辰戦争で重要な役割を担った佐賀藩からは、藩主だった鍋島閑叟をはじめ、多くの人材が明治新政府に登用される。

その中でも、初期の明治新政府において重要な役割を担ったのが、江藤新平であった。


江藤新平

身分の低い家柄に生まれた江藤新平は、鍋島閑叟に見出され、閑叟が最も信頼する家臣だった。

江藤新平は明治新政府において多くの職務を遂行したが、特に重要な功績としては、司法制度の確立が挙げられる。

江藤は、フランス民法を模倣しながら日本で初の民法制定に大きな貢献を果たした。

政治闘争に負け、最後は佐賀の乱で命を落としてしまったが、明治新政府の骨子を作った人物としては外すことのできない功労者だ。



幕末を学んでいると、佐賀藩が歴史の表舞台に出ることは少ない。しかしながら、佐賀藩は、近代的な思想が最も根付いた藩であり、明治以降に日本が発展していく上で、多くの人物が重要な役割を担った。

佐賀藩を見ていると、改めて、歴史の形成には寄与していることが再確認される。歴史の複雑さと面白さを感じられて楽しかった。

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