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「目を合わせるな!撮影して戦うのだ!」『NOPE』で示されたジョーダン・ピール監督の世界との戦い方。

NOPE!

ジョーダン・ピール監督最新作『NOPE/ノープ』、いや~大興奮でした。
先日公開の『トップガン マーヴェリック』に続いて好き嫌いとか良し悪しとかを別にして、映画館の大画面・大音響で観ると「映画って最高~!」って気分になる映画でした。

大画面で大空!そして荒野!・・・そこをものすごくダイナミックに移動する馬・バイク・そしてUFO。
そして音!『NOPE』は音響もエキサイティングでした。

夜の荒野に大音響で響き渡る妹のエメラルドがかけたレコードの音楽。ズシーン!って感じで響く低音のぞくぞくすること・・・そしてその音が大音響のままギューンと減速してゆく異様な音空間・・・その音が完全にストップすると・・・何かが起きる!という演出。 
いや~さすがホラーの革命児ジョーダン・ピール監督、みごとです。
夜の荒野の静寂の中、大空を上下左右に動き回る「ジェットコースターの悲鳴」みたいな演出も怖ろしくて素晴らしかったなあ。全く体験したことのない音世界・・・(うっとり)

前回のnoteで「次回『ベター・コール・ソウル』の後編を書く」と宣言したんですが、『NOPE』を見て大興奮してしまったので、こっちを先に書きますw!待ってた人ゴメンなさい!
『NOPE』は映画としてもあれこれ書きたいのですが(盛大にネタバレしますw)、もちろん演技についても書きたいことがあるのです。

「目をあわせるな!撮影して戦うのだ!」

映画がはじまるとすぐ、映画業界がいかに映画史の一番最初から黒人を搾取してきたかについての告発が始まります。
うわ!さすが『ゲット・アウト』『アス』のジョーダン・ピール監督、UFO映画でもその切り口から入るのか!と。かなりワクワクしたんですが、それに続いて子役、アジア人、そして馬やチンパンジーなどの動物たちが見世物にされて酷い目に合う描写が続いてゆきます。

そう、たくさんの方が指摘されている通り、『NOPE』は映画に搾取されてきた者たちの「映画史に対する復讐」の物語なのでしょう。

でもボクがそれよりも気になったのは「UFOと目を合わせたら食われる」という設定です。(あ、ネタバレ始まってまーす)

これって主人公OJがUFOと目が合いそうになった時のバッと目を逸らすときの動作を見ればわかるんですが・・・「ブラック・ライブズ・マター」ですよ。
アメリカの黒人が道端で白人警官と目が合うと、職質されて暴行されて逮捕されるという・・・その暴行で黒人が何人も殺されてしまったことが告発されたことで「ブラック・ライブズ・マター」の一連の騒ぎが始まったんですが、なぜそれらは告発されたのか?
それはその暴行の瞬間がスマホで撮影されて、SNSで拡散されたからです。

白人警官たちと目を合わせることで自衛するしかなかった黒人たちは、警官たちの悪事を「撮影する」ことで戦ったんです。

撮影された動画によって、暴行をした警官は解雇され、警察組織自体にも大きなダメージを与えました。その「ブラック・ライブズ・マター」の動きを阻む黒幕として動いていたのが当時のトランプ大統領だったりしたんですが。

「目を合わせてはダメ!撮影して戦うのだ!」というのは『NOPE』での主人公たちのUFOモンスター「ジーン・ジャケット」との戦い方そのものです。
ジョーダン・ピール監督はあちこちのインタビューで「コロナ禍に起きたことにインスパイアされて『NOPE』の脚本を書いた」と言ってますが、コロナ禍の時期に起きたことといえば・・・2020年5月からの「ブラック・ライブズ・マター」ですよ。
目が合わないようにボヤかして表現してますけど(笑)。つまりこれはトランプみたいな巨大な差別主義モンスターを撮影して倒す!という物語なんです。

ジョーダン・ピール監督は『ゲット・アウト』でも『アス』でもそうなんですが、問題点や敵を徹底的にメタファー化して描くんですよね。で炎上を避ける。しかも徹底的にスペクタクル(見世物)化して大勢の観客を楽しませることによってそれを拡散して、敵の悪行を暴いてゆく。それが彼の映画の戦い方です。
でもそれってよく考えてみると「相手と目を合わせずに、撮影して映画化することによって戦う!」という『NOPE』での主人公たちの戦い方と完全に一致しますよね。

『NOPE』という映画は、ジョーダン・ピール監督が映画を撮ることによっていかに世界と戦っているかを示して、「俺はこれからも映画で世界と戦うぜ!」と高らかに宣言している映画だと思うのです。

だからこそ今回の『NOPE』は勝利して終わります。前2作のようなバットエンドではないわけです。
ラストで怪物ジーン・ジャケットを倒したあとに、愛馬にまたがったOJが煙の中から現れるという素晴らしい勝利宣言のショット・・・いや~涙腺決壊しました。

「表情筋で表情を作る」というタイミング重視の演技法。

演技ブログなので、『NOPE』の演技についても語りましょう。
ジョーダン・ピール監督作品は『ゲット・アウト』にしても『アス』にしても、登場人物たちの奇妙な表情や不自然な表情が何かの予兆を示していたり、物語の伏線になっていたりします。 不自然であることが重要・・・リアルな芝居は求められていないのです。

『NOPE』は人物の演技は前2作に比べると描写がリアルよりではありますが、でも基本的な演技法は前2作を踏襲しています。

それは「表情筋で表情を作る」という演技法です。

一般的な演技法では表情は感情などの俳優の内面の動きによって作られるじゃないですか。 最近の演技法だったら表情は環境や状況に対する反応によって作られることが多いです。
・・・なのですがジョーダン・ピール監督作品に出てくる芝居は表情筋のコントロールによって作られます。だから怖いのです!

ボクがこの表情筋の演技法に出会ったのは90年代なんですが、たしか「笑顔を作ると脳からドーパミンが出るから楽しくなる」みたいな科学的推論から、従来の感情→表情とは逆の、表情→感情が可能なはず!みたいな演技法だった筈です。
この演技法を誰が考案したのか、そもそも何という名前の演技法なのかボクにはわかりません。自分には関係ないなと思ってずっとスルーしていたので(笑)。

この表情筋の演技法を使うメリットはまず、人間の生理的にありえない表情が作れること。そしてジャストなタイミングで表情の変化を起こすことができることです。

ボクがその90年代に聞いた話では、「メソッド俳優の感情の変化が遅い!そしてハッキリしない!」ことに対するカウンターとして使われ始めた演技法だということらしいです。たしかに表情筋をコントロールすればジャストなタイミングで望んだサイズの表情を作ることができますからね。

ジョーダン・ピール監督はコント俳優出身なのですが、たしかにコントはタイミングや間が笑いのキモになってくるし、分かりやすい表情が求められるのでこの表情筋の芝居をする人が多い気もします。(ジム・キャリーとか)

この表情筋の演技法を使う最大のデメリットは、そうやって作られた表情は「映画」においてはやはりどこか不自然に感じられることです。嘘くさくなる。

だから『ゲット・アウト』『アス』を見たとき、びっくりしたんですよ。あまりにその不自然な表情が怖いので!そしてそれが見事に物語の一部として機能している!・・・こんな使い方があったのか!とw。

目の周囲の筋肉はコントロールできない。

『NOPE』においてこの表情筋の演技法を多く使って芝居していたのは主人公の妹:エメラルドと、元子役の韓国人テーマパーク経営者:ジュープでした。

特にエメラルド役のキキ・パーマーは、ほぼ全てのセリフを歌のようにラップのようにリズミカルに処理していて、それに合わせて細かく表情を切り替えています。見事。これはこれで凄い演技だと思いました。

ところが映画後半になって、ちょっとづつ芝居が空回りし始めます。
映画前半はエメラルド自身がエンターテイナーを演じているようなシーンが多かったのですが、後半はその余裕がなくなって素のエメラルドの情感が出てき始めます。そしてラストシーン、エメラルドのアップの長回しです。

ここはエメラルドの心の動きを描く長い長いショットなのですが、表情筋の動きだけでは表現しきれなかったですねー。 エメラルドが何を感じているのかも、何を見ているのかすら伝わらないショットになってしまっていました。だから長く感じましたよね。これは 表情筋の演技には目から伝わる心情のディテールが無いことが原因です。

表情筋を使って目の芝居をする場合多くは、眉間にしわを寄せたり眉間の筋肉を使う、そして頬の筋肉を使って目を細めたり、瞼を動かして目を見開いたりするわけですが・・・肝心の目の周囲の筋肉、心が動いたときに一番反応する部分なんですが、ここの緊張やリラックスは意志の力ではコントロールできないんですよ。いわゆる「目が死んでる」演技になってしまいます。
口の動きは意識でコントロールしきれるんですが、目の動きは意識では半分しかコントロールできないのです。

よくいるじゃないですか、いつも笑顔なのに目が怖い人とか、表情豊かにふるまっているのに目が死んでいる人。職場とかによくいますよねw。あれは表情筋で笑顔とかの表情を作っている人です。どの職場にもいます。
でも、そういう人も飲み会では目が死んでなかったりw、心を許せる友達と一緒に遊んでる時とかには柔らかで豊かな表情があったりします。

目の周囲の筋肉の緊張と緩和は心の動きでしか起こらないんですよ。

シビアなタイミング+情感。

韓国人テーマパーク経営者のジュープも目が死んでましたねーw。

OJ とエメラルドに対して秘密の部屋を紹介するシーン、スピーディーに素晴らしくエモーショナルな芝居をしているんですが、目だけ無表情なんですよ。まあ営業トークだもんなと思って気にせず見ていたら、奥さんとの二人の愛のシーンでも目は死んでましたね。あれ?この人奥さんに何か隠し事してるのかな?とか思ってしまったくらいです。

だからUFOが出てきて食われる直前のアップのショット、ジュープの一番の見せ場ですよ。これも惜しかったですね。頬の筋肉を使って表情を作ってましたが、その表情で固まってしまっていたので、何を感じているのかも何を見ているのかも観客に伝わらない。見せ場なのに・・・。
逆にOJの牧場にジュープがチケット持ってきた時の芝居は良かったですよ。サングラスをかけていたのでw。ユーモラスでいいシーンでした。

では主人公OJを演じてるダニエル・カルーヤは今回どうだったのかというと、それがかなり良かったんですよ。
確かに眉間の筋肉とかを使って、まさにジャストのタイミングでリアクションしたりしていたんですが、目が死んでなかったんですよね。目の表情がイキイキと豊かな情感のディテールを表現していました。
おそらく筋肉を動かすタイミングでほぼ一緒に心も動いていたのではないでしょうか。もしくはポイントポイントだけでも心の動きとシンクロさせていたか・・・いずれにしても他の俳優たちよりも一枚上手というか、豊かなディテールでもって魅力的なOJを演じていました。

演出側が要求するシビアなタイミングの芝居を見事にこなしながら、そこに本当の情感も入れてゆく・・・そこが『ゲット・アウト』に続いて彼が二度目の主演を任された理由なのかもしれないですね。

映画館で観よう!

というわけで『NOPE』、大興奮だったんですが、
ボクが残念だったのは、『NOPE』って「見る」「見られる」の関係性がテーマの映画でもあるのに、目が死んでる人物が多いので、「見ちゃダメだ!」「見ちゃった!」「見られてる!」みたいなサスペンスがちょっと散漫になっていた印象があったことですね。
取り返しのつかないことが起きる!みたいな予感が俳優たちの表情でもっと出せたら・・・まあ贅沢な要求ですがw。

でもなあ、OJが愛馬たちとコミュニケーションする時の表情はもっと情感あふれるキラキラした目で演じて欲しかったな~と思う私なのです。

さて、そんな『NOPE』ですが、この映画は配信で観てはダメ。映画館の大画面・大音響で観てこそ映画の喜びが溢れ出すってものです。『トップガン マーヴェリック』と同じですね。

次回こそ、『ベター・コール・ソウル』の後編を書きたいと思ってます!来週はまた3連休なので・・・がんばります!

小林でび <でびノート☆彡>


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