九州南朝の征西府が置かれた都🍃菊池一族の本拠地 菊池市歴史さんぽ③ 【菊池武光公墓所他】
こんにちは。今回は菊池散策レポートの3回目です。熊本県菊池市は鎌倉時代後期から室町時代にかけて栄えた菊池一族の本拠地で、南北朝時代には征西将軍宮・懐良親王を迎え、九州南朝の征西府が置かれた都市です。菊池散策前半では、菊池観光協会さんで端末とイヤホンをお借りして、ボイシネウォークというサウンドアトラクションを体験しました。散策レポート1〜3回目は、アトラクション用に指定された散策ルート上の史跡をご紹介します。(ネタバレになるため、アトラクションの音声内容は記事には記載しませんが、よくできていてとっても面白かったですよ♪)
菊池一族の最盛期を築いた15代菊池武光公とその時代を説明した【予告編】及び散策記事1〜2回目をご覧いただけますと、今回の散策記事をより一層楽しんでいただけると思います↓
散策ルート紹介
本記事中の散策ルートをオレンジ線で表しています。散策マップは、菊池神社で頂いたものを拝借
今回3回目の記事では、菊池神社を下り国道387を渡って菊池公園に入り、守山城の二の丸跡に建つ観月楼→三の丸跡に建つ金毘羅宮→菊池五山の一つ東福寺→菊池氏正統最後の当主・菊池能運公墓所→菊池五山別格・正観寺にある菊池武光公墓所の順に巡ります。今回は里の風景や古い水路など、美しい日本の原風景を堪能できた散策路でしたよ✨
それでは早速行ってみましょう👟
菊池神社を下って、国道387号に出ます↓
国道を渡って菊池公園内に入りましょう♪
公園内の一角に、西南戦争の際の官軍墓地の案内板を見つけました↓
案内板の周辺は近代の戦没者慰霊碑や平和塔などが沢山あり、どこに西南戦争の官軍墓地があるのが分からなかったため、墓地の写真はありません。(後日調べたら平和塔の裏にあったもよう)
因みに西南戦争の中心人物・西郷隆盛も、菊池一族の末裔だってご存知ですか?奄美大島潜伏時代は「菊池源吾」と名乗り、子供達の名前にも「菊」の字を付けていましたよね💡案内板には薩軍が菊池の西覚寺に一時本陣を置いたとありますが、西郷さんは先祖の土地に本陣を置いた際、どのような心境だったでしょうね。
散策ルートを先に進みましょう。右手に旧守山城二の丸跡の広場が見えてきます。その一角に、観月楼展望所が建っています。
観月楼
この場所には南北朝時代、懐良親王を慰めるために菊池武光が建立した御殿・月見殿が建っていて、観月の宴が催されていたそうです🌕ここでも武光さんの宮さま(懐良親王)への心尽くしが感じられますね。
征西府が太宰府に移されるまでの菊池征西府時代の十数年間は、宮さまと武光さん20代〜30代の若者です。年も近いし、親しく酒を酌み交わしたり、仲良く馬を並べている姿が目に浮かびます。宮さまは九州に上陸してからの10年間というもの、強力な支援者を求めて漂流していましたが、武光さんと菊池一族に菊池に迎えられ、やっと気が休まったんじゃないかと思います。安心できる環境で腰を据えて力を蓄える事ができたからこそ、九州制覇と太宰府征西府の繁栄に繋がったのだろうと思います。(そして、目標に向かって邁進する菊池征西府時代が2人にとって最も楽しく充実していた時期だったのではないかと私は感じました。)
菊池公園は、桜の名所としても有名です🌸菊池神社が建てられた明治時代に、南朝の本拠地・吉野の桜にちなんで、桜が植えられたのだそうです。観月楼からの眺めです↓ 桜の時期はさぞかし綺麗でしょうね✨
さて、そろそろ散策ルートに戻って先に進みます。ここから次のスポットまでは分かれ道がある山の中っぽい道↓だったのですが、サウンドアトラクション端末が迷わないように説明してくれたにも関わらず、道間違いました😅(←方向音痴)
守山城三の丸跡に建つこちらの金刀比羅神社さんは、明治から大正期に、一生に一度は讃岐金刀比羅宮にお参りしたいと願う人の代拝所として造られたそうです。ブルーの屋根と赤い鳥居のコントラストが可愛い💓
それでは次に、武光さんが制定した菊池五山のひとつ、東福寺に向かいます👟
東福寺
東福寺は938年創建と言われる古いお寺で、武光さんの代に菊池五山の一つに定められたそうです。本堂は江戸時代後期に建立されたもので、境内には菊池一族として活躍した武村(10代武房の子)や覚勝(12代武時の弟)の墓などがあるそうです。今はこじんまりとした無住のお寺になっていますが、昔は広大な寺域を持つ格の高い禅刹だったそうです。
本堂にお参りして次の史跡に向かおうと振り向くと、この素晴らしい里の景色↓ いいですね〜😆
写真中央左寄りに2本の高い杉の木があるの見えますか?この杉の木の下に、前回の記事でご紹介した13代菊池武重さんのお墓があります。「菊池千本槍」を考案し、「菊池家憲」を制定して菊池一族の礎を築いた方ですね💡それにしては水田の中にポツンとお墓があってちょっと寂しいな、と思ったのですが、昔はあの場所も寺域内で、歓喜院と呼ばれた坊があったそうです。(武重さんのお墓は散策ルートから少し離れているので今回は行っていません。)
それでは、寺の建っている高台から麓まで石段を降りて、次の史跡、菊池氏正統最後の当主22代菊池能運公墓所に向かいます。寺からの階段を降りたらこんなに趣のある水路がありましたよ〜✨水路沿いにテクテク歩いて目的地に向かいましょう♪
この築地井手のたもとに、菊池能運公の墓所があります。
菊池能運公墓所
菊池能運は当主である父の死去をうけて1493年に22代当主に就任しますが、1503年親戚の宇土為光との戦いによって負傷した傷が元で、翌年に23歳で没したそうです。ここで初代則隆より続いた菊池氏の正統は絶え、当主の座は能運のはとこ・政隆→その子武包に移りますが、その後武包は大友氏に追われて菊池を去り、武包の死去により菊池家は途絶えることになります。
それでは、これから今回最後の目的地、正観寺の菊池武光公墓所へ向かいます🏃♀️
正観寺は、武光さんが菊池五山の上位に位置する五山別格として、1344年に建立した菊池一族の菩提寺です。菊池氏全盛の頃は末寺十数寺を抱え、全国十刹に数えられた、西国屈指の大寺院だったそうです。現在では寺院跡に、近代末に改築された地蔵堂が建っています↓
さて、武光さんのお墓はどこかというと、地蔵堂裏の高台に建っている庫裏(くり)の奥にありました。分かりにくい場所なのですが、サウンドアトラクション音声が丁寧にルートを教えてくれるので指示に従い進むと辿り着けます。
菊池武光公墓所
わ〜❗️なんて明るくて綺麗なお墓✨新緑の冠を戴いて見た目にもとても涼やかなのですが、それにも増して印象深かったのが、この場所に漂う芳しい香りなんです😳植物の、それも多分花じゃなくて木の香り(木の花かな)なんじゃないかと思うのですが、柑橘系のようなとても爽やかな香りなんですよ〜❣️それも、ほのかに香る感じじゃなくって、結構濃厚に香っているんです〜✨
これなんの演出ですか〜❓お墓なのに爽やかすぎます〜😆武光さん、亡くなった後までひとたらしなんですね〜😆
スミマセン、お墓の印象が意外過ぎて興奮してしまいましたが、詳しい説明を現地案内板から引用しますね↓
このお墓は江戸時代に作られたものなんですね。南朝の雄として名を馳せた武光さんですが、江戸幕府の統治下では「幕府に対抗した者」と見做され、その墓も省みられることなく廃れ果てていたそうです。そこで、郷土の偉人を讃え、相応しい墓を建てたいと立ち上がった渋江紫陽(しぶえしよう)、松石(しょうせき)という親子が、同じく亀趺の墓を持つ楠木正成のお墓を参考にして建てたものだそうです。
因みに亀趺とは、「亀蛇(きだ)」と呼ばれる空想上の生き物を台座にした墓のことで、めざましい孝徳を積んだ人だけに許される特別な墓とされていたそうです💡
さて、1〜3回に渡りご紹介してきましたサウンドアトラクション用の散策ルートはこれで終了になります。実際にはイヤホンから武光さんと宮さまの声が聞こえていて、一緒に散策している設定だったのですが、武光さんにお墓の前で「今までありがとう、ここでお別れだ」的なことを言われて、もう終わりなんだな〜としみじみ感じて寂しかったです😢
第4回目の菊池散策レポートでは、菊池川沿いの深川地区を歩きます。菊池一族お抱え刀鍛冶・延寿一族の屋敷跡に建つ八坂神社や、武光さんが本城を守山城に移す前の一族の拠点・菊之城跡などをご紹介します。(因みに来週は肥後花菖蒲の記事の投稿を予定していますので、菊池散策レポートはお休みになります🙇♀️)次回も宜しくお願い致します!
あとがき
ここでは第3回目のあとがきとして、菊池武光さんについて感じた事を述べたいと思います。
武光さんは庶子の出にも関わらず実力で当主の座を獲得したり、13代武重さん以来一族の支えとなっていた聖護寺よりも、自らが制定した菊池五山を重視したりと、既存の枠に囚われない改革派、そして百戦錬磨の猛将のイメージがありますが、一方で、遠く故郷を離れて九州に来られた懐良親王を慰めるために能や観月の宴を催すなど、きめ細やかな心遣いができる優しさを併せ持った方だったんだろうと想像します。
それから、南朝方の武士達が懐良親王とやり取りした文書の中には、後の恩賞に与るために自分の軍忠を書き連ねたり、恩賞に対する不満や督促を述べたものなどが残っているようなのですが、武光さんに関してはそのような文書がない印象です。(参考文献の森先生の本を読んだ限りですが)無くなっちゃっただけかもしれませんし、実際どうだったかは分かりませんが、武光さんは本当に私利私欲なく懐良親王を支えていたんじゃないかなぁと想像しました。もしくはそんな文書をやり取りする必要がないほど信頼関係があったのかも。そうだったら素敵ですね✨
武光さんに限らず、菊池氏には家相伝の文書がなく、史料が余り残って無いようなのですが、だからこそ余計に想像が膨らみ、菊池一族に魅力を感じるんじゃないかと思いました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました😊
【参考HP】
菊池市公式ウェブサイト「菊池一族」
【参考文献】
・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族ことはじめ」パンフレット冊子
・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子
・菊池市経済部商工観光課 「幻の都 城下町菊池」冊子
・菊池市観光課 「菊池源吾物語」パンフレット
・菊池夢美術館「歴史の栞 菊池一族」パンフレット
・菊池市「菊池遺産ガイドブック2021」
・ミネルヴァ日本評伝達『懐良親王』森茂暁著 2019年 ミネルヴァ書房
・『皇子たちの南北朝』森茂暁著 1988年 中央公論社
・マンガ日本の古典「太平記」上中下巻 さいとう・たかを著 中央公論新社
【画像引用】
・菊池地域振興局総務振興課 菊池一族 歴史を巡る散策マップ
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