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九州南朝の征西府が置かれた都🍃菊池一族の本拠地 菊池市歴史さんぽ 【予告編】

こんにちは。GWに熊本県菊池市の史跡を散策してきました!菊池市は、平安後期から室町時代にかけての450年間24代に渡って繁栄した九州の一大豪族、菊池一族の本拠地です。そして南北朝時代には、南朝の征西将軍宮・懐良親王の御所となり、九州南朝の征西府が置かれた地でもあります。菊池市には菊池氏24代に渡る多数の史跡が広範囲に点在していますが、今回は南北朝時代に懐良親王を菊池に迎え、一族の最盛期を築いた15代菊池武光と、その次世代の後征西将軍・良成親王と菊池武朝の時代にスポットライトを当て、次回より関連史跡を散策実況形式でご紹介していきたいと思います❣️

本記事では【予告編】と称して、上記に挙げた魅力溢れる人物達の紹介と時代背景、そして菊池一族プロモーションのための菊池市と菊池観光協会のユニークな取り組みをご紹介します♪

時代背景

15代当主菊池武光達が活躍した南北朝時代(1336〜1392年)についての説明です。菊池市のパンフレットから引用させて頂きます。

鎌倉時代の末期、武士たちの心は幕府から離れ始めていました。天皇中心の政治を目指した後醍醐天皇は、全国の武士に呼びかけて倒幕を果たし、天皇による新たな政治「建武の新政」を始めます。しかし、これも武士には評判が悪く、倒幕の英雄足利尊氏が離反し、後醍醐天皇に対抗するために別の天皇を立てました(北朝)。京都を追われた後醍醐天皇は、奈良の吉野で朝廷を開きます(南朝)。この後日本は56年間、動乱の世となるのです。

菊池市「菊池一族ことはじめ」パンフレット冊子p.2

主な人物紹介

征西将軍・懐良親王(かねながしんのう)

後醍醐天皇が南朝方の勢力回復を狙い、各地に派遣した皇子の一人。わずか8歳ほどで征西将軍に任じられ九州に下向。従者は五条頼元(武官じゃなく文官!)を筆頭としたわずか12人。数々の苦難の末10年の歳月をかけて肥後入りを果たす。最初肥後の阿蘇氏を頼る予定だったが、阿蘇氏内部で惣庶の対立もあり、阿蘇入りを変更し菊池に入る。すでに菊池氏内部の惣領権を確立させていた敏腕当主、菊池武光の加護を受け、菊池に征西府を置く。菊池にて成人(20歳前後)。武光と共に南朝再興のために九州各地を転戦し、太平記にもある筑後川の戦い(大保原合戦)で勝利を収め、太宰府に征西府を移し、12年に渡る九州南朝方の最盛期を築く。(通交の中で明の洪武帝が懐良親王を「日本国王」と認めるほど)しかし、吉野の南朝朝廷の要請で、中央の都への大遠征を図るも失敗し、征西府衰退のきっかけとなる。その後、九州探題に任命された幕府きっての智将・今川了俊(北朝方)によって、1372年太宰府征西府は陥落。この時期武光を失った懐良親王は菊池退却後、失意のうちに征西将軍職を甥の良成親王に譲る。晩年は現在の福岡八女に隠棲し、1383年50代半ばで同地で没したとされている。(九州には懐良親王の墓と言われるものが複数あります。)

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九州下向時、幕府の支配が広がっていたため、陸路での移動は難しく、海賊を味方につけて海路で移動した。画像引用:菊池市「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子p.17

菊池武光(きくちたけみつ)

12代菊池武時の側室の子であり、当主の候補外だったが、26歳の時、北朝方に奪われた菊池本城をわずか6日間で奪還し、当主の座を掴みとる。当主となって間もなく、南朝の征西将軍・懐良親王が肥後入りし、武光は懐良親王を菊池に迎え入れ、2人は運命的な出会いを果たす。これ以降、武光と親王は固い絆で結ばれ、南朝復興のために九州各地を転戦。武光は軍事的にも政治的にも優れた手腕を発揮し、筑後川の戦いに勝利し、九州制覇を成し遂げる。菊池から太宰府に征西府を移し、九州南朝方の、そして菊池一族の最盛期を築き上げるが、前述した中央への大遠征に失敗し、幕府(北朝方)が派遣した九州探題・今川了俊によって太宰府征西府は陥落。武光と懐良親王は現久留米市の高良山に撤退。武光はこの頃亡くなったとされていますが、死因や時期はわかっておらず、混乱を避けるために隠されたと考えられており、今でも謎のままだそうです。

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画像引用:菊池市「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子p.3

後征西将軍・良成親王(りょうせいしんのう)

後醍醐天皇の次に皇位についた南朝の後村上天皇の皇子。叔父である懐良親王の後継者として太宰府に赴き、1374年に征西将軍を継承。当時の当主・菊池武朝と共に南朝再興を目指して奮戦するも、1391年、征西府最後の砦、八代城が陥落。翌年南北朝は合一。親王は南北朝合一後も南朝再興を目指すも夢叶わず、懐良親王と同様に、当時居を構えていた八女で亡くなったとされている。

菊池武朝(きくちたけとも)

菊池武光の孫。武光の嫡子で16第当主を務めた父菊池武政も武光死去の翌年に戦没したことにより、わずか12歳で家督を継ぎ、17代当主となる。武朝は菊池に引き上げた後、南朝最後の親王・良成親王と共に南朝再興を目指し、側近達に支えられながら宿敵今川了俊を相手に15年以上に渡り戦いに明け暮れるが、1391年征西府最後の砦、八代城が陥落し南北朝合一が成る。出頭を命じられた武朝は厳罰覚悟で今川了俊のもとを訪れるが、用意されていたのは肥後の領主である「肥後守護」の地位だった。これは南朝方では最も名誉ある待遇だったそう。
 因みに、1384年に南朝内部で武朝と良成親王の失脚を目論む一派が、南朝朝廷に2人を貶める訴えを起こすという事件が起こったそうですが、その時若干21歳の武朝は自ら筆をとり、一族が示してきた忠義の数々と自らの潔白を主張する直訴文を朝廷へ提出し、名誉が守られたそうです。この時の「菊池武朝申状」は一族の歴史を伝える貴重な資料となっているそうです。

今川了俊(いまがわりょうしゅん)

菊池武光の軍事力に支えられ、征西将軍懐良親王の天下であった九州を攻略するため、室町幕府(北朝方)が九州探題に任命し、九州に差し向けた幕府きっての智将。了俊は綿密な征西府攻略計画を練り上げ、1372年に九州に上陸。巧みな作戦で一年もたたないうちに太宰府を陥落させた。その後、20年に及ぶ菊池一族率いる征西府との攻防戦ののち、1391年征西府最後の砦八代城を陥落させ、南北朝合一に貢献した。

因みに人物紹介の中では、私は宮さま(懐良親王)推しです笑 懐良親王は、太平記を元にした作品群の中では、護良親王(大塔宮)や廉子さんの産んだ皇子達と比べて影が薄い印象が否めないですが、菊池散策の記事で、懐良親王や九州南朝の世界の一端を知って頂ければ嬉しく思います。

菊池一族プロモーションのための面白いアクティビティ!

菊池市と菊池観光協会では、菊池一族のプロモーションのため、デジタル技術を駆使した面白いアクティビティを実施されています。アナログ中年の私も勇気を出して体験してきましたよ😆下記にご紹介しますね☆

①ボイシネウォークを使用した「武光公の道連れ菊池さんぽ」

ボイシネウォークの説明です↓

様々なテーマで創られた空間の中で、映像や音・などの特殊効果演出を歩きながら体感していくタイプのサウンドアトラクションです。
体験者はスマホと専用イヤホンを装着し、色々な場所で新感覚の観光案内やホラーやドラマ仕立ての推理ゲームを体感することができます。

ボイシネウォーク公式HP

具体的には、専用スマホとイヤホンを装着して指定された史跡散策ルートを歩くと、ポイントごとで音声が流れてきたり、スマホ上に画像が現れたりします。「菊池さんぽ」では、以下のようなストーリー仕立てになっています↓(以下画像は「武光公の道連れ菊池さんぽ」パンフレットから引用。

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史跡を持つ町あるあるの切実な思いをそのまま表したようなストーリーで共感度ハンパないです!メチャクチャ応援したくなります😆

そして、武光公と懐良親王はこんなイケメンキャラの設定になっています💕↓

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そして、ちびキャラになった武光公と懐良親王を肩にのせて歩いて、史跡に着いたら解説してくれたり、ルートを説明してくれたり、その他いろいろ音声で楽しめる仕組みです。↓ ちび武光公とちび親王、めちゃくちゃ可愛くないですか〜😆

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因みに次回からの散策記事では、ネタバレにならないように音声の内容は記載しません。ご興味を持った方は是非、菊池を訪れて体験して下さい!

②感じる、菊池一族の軌跡 菊池一族ウォークラリー

菊池市内に点在する、菊池一族の史跡32箇所にある案内板のQRコードをスマホで読み取り、下のような画像をダウンロードし、集めたポイント数に応じてオリジナルグッズをゲットできるウォークラリーです。

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私も史跡を回って頑張って画像集めました😵お目当てのグッズと交換できたかは、散策記事の最後にお伝えしますね!

注)この景品が貰えるウォークラリーは2022年10月31日をもって終了したそうです。(11/30追記)

因みに菊池市では、菊池一族プロモーションの為イケメンイラスト満載のカッコいいHP作成されてます↓ 

菊池市にご興味を持たれた方は、Kikuchi News Online のnoteのページも覗いてみられて下さい❣️

まとめ

菊池の史跡巡りには以前から行きたいと思っており、新緑の季節に行こうと決めていた思い入れのある街です。菊池市は史跡の宝庫で、市内には広範囲に史跡が点在しているため、GW中に菊池に4日間通いました。そのため、記事も予告編含め6回のシリーズにする予定です。散策日は幸い天気にも恵まれ、いい写真(スマホのですが)がたくさん撮れましたので、五月晴れの新緑輝く散策路を一緒に楽しんで頂けましたら幸いです🍃✨

私事ですが、5月はnoteを始めて一周年の節目にあたります。一年の集大成としてこの菊池散策の記事を是非ともいい感じて最後まで書ききりたいと思っていますので、宜しければお付き合い頂けましたら嬉しいです。

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ちび懐良親王とちび武光公の缶バッチ各220円(*≧∀≦*)   菊池観光協会で購入できます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考文献】

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族ことはじめ」パンフレット冊子

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子

・『皇子たちの南北朝』森茂暁著 1988年 中央公論社

・マンガ日本の古典『太平記』上中下巻 さいとう・たかを著 2000年 中央公論新社

【引用文献・HP】

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「菊池一族歴史さんぽ」パンフレット冊子

・菊池市役所 政策企画部 菊池一族プロモーション室「武光公の道連れ菊池さんぽ」パンフレット

・ボイシネウォーク公式HP

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