雨の泰勝寺跡(細川家墓所)
こんにちは。残暑が厳しくまだまだ暑い日が続きますね🥵しっとり涼しかった梅雨の時期が懐かしい☔️ということで、今回は6月のしとしと雨の日に訪れた熊本藩主細川家菩提寺•泰勝寺跡(国指定史跡)の散策レポートをお届けします。今回はおしゃべりはほどほどに?写真多めで記事を進めたいと思います。雨の中の日本庭園と苔むした墓所を散策している気分を味わって頂けましたら幸いです。(と言いつつ結局4300字💦)
まずは簡単に泰勝寺跡の説明をさせて頂きます。泰勝寺は立田山の麓にあった熊本藩主•細川家の菩提寺です。加藤家の跡を継いで熊本藩主となった細川家第三代•細川忠利が寛永14年(1637)、この地に泰勝院(泰勝院は初代細川藤孝の法名)として建立したのが始まりです。こちらには細川初代藩主藤孝夫妻と二代忠興、その妻ガラシャの墓である「四つ御廟」をはじめ、歴代藩主と住職の墓、細川家にゆかりのある宮本武蔵の供養塔などがあります。本記事では美しい庭園を眺めつつ、「四つ御廟」並びに、仲良く並んだ春山和尚のお墓と伝宮本武蔵供養塔を順路に沿って観ていきたいと思います。こんな感じで↓
それでは早速、行ってみましょう👟
ここで例によって少し補足説明しますと、細川家の墓所はこちらともう一つ、熊本城下にある妙解寺跡の墓所があります。案内板にも記載がありましたが、妙解寺の墓所には三代・細川忠利夫妻をはじめ歴代藩主、子女の廟があります。また、細川忠利の殉死者と森鴎外の「阿部一族」の主人公・阿部弥一右衛門の墓もあります。妙解寺は新町に住んでいた頃一度訪れましたが、また行く機会があれば記事でご紹介したいと思います。
玉子さんの辞世の句、彼女の強さを如実に表していますよね。一度聞いたら忘れられないほどのインパクトあります。入り口料金所で貰った三つ折りパンフレットの表紙にもこの句が書かれていましたよ。玉子さんと忠興さんの間には外から見たら仲がいいのか悪いのか分からないエキセントリックな逸話がたくさんあるようですが、私はなんだかんだで2人の間には強い愛情の結びつきがあったように感じますね。私には玉子さんは天下一気が短いと評された忠興さんの上をいく強さがあったように感じられ、忠興さんの妻は彼女じゃないと務まらなかったんじゃないかと感じます。玉子さんと忠興さんは戦国最強のパワーカップルだと思いますね。(←多分パワーカップルの使い方間違ってる)
解説書によるとこの供養塔は古い五輪塔の残欠を集めたもので、いつからともなく武蔵の供養塔と呼ばれているものだそうです。宮本武蔵は寛永17年(1640年)熊本藩主・細川忠利に招かれて晩年を肥後(熊本)で過ごしましたが、泰勝寺の春山和尚を無二の友とし、その薦めに従って一心に坐禅に取り組んだそうです。仲良く並んで建つ春山さんのお墓と供養塔を見て、後世の人々がこれは武蔵さんの供養塔だと考えたのも納得ですよね💡春山さんは武蔵さんが肥後で過ごしていた時まだ20代の若者だったと考えられますが、ピュアでチャーミングな御老人だった武蔵さん(肥後での晩年のエピソードからの私の勝手なイメージです。)のことですから、若い春山さんのアドバイスにも対等に真剣に耳を傾けたことでしょう。私はこの仲良く並んだお墓と供養塔を見て、2人が楽しそうに禅問答をしている姿を思い浮かべましたよ✨
その後武蔵さんは正保2年(1645年)に亡くなり、泰勝寺で藩葬として葬儀が行なわれました。
武蔵さんが亡くなった時、春山和尚に成仏するよう引導を渡してもらったという「武蔵の引導石」も泰勝寺の近くにあるようです。(私は今回時間の関係で見学していないのですが。)
因みに武蔵さんのお墓がある熊本市北区の武蔵塚公園も今年の2月に散策してきたので、おいおい記事にしたいと考えております。
※晩年の武蔵さんが五輪書を著した霊巌洞の散策記事はこちらです。↓記事の最後にリンクを貼っている吉川英治氏の随筆には、吉川氏が泰勝寺跡を訪れた際のエピソードなども書かれていますので、ご興味のある方は是非ご一読ください。
あとがき
この日の泰勝寺跡は雨天で薄暗く、しかも墓所ということでちょっと怖いながらも雨の音、鳥たちの囀り、立ちのぼる緑の匂い、しっとりとした湿気などを全身で堪能しリフレッシュできました。庭園全体が昔のままの雰囲気で、またこの日は私以外周りに誰もいなくて、時空のラビリンスに迷い込んだような不思議な感覚を覚えました。そして今回の散策では特に細川家の歴史、そして忠利さんと光尚さんの両親•祖父母•曽祖父母への追慕の念、忠興さんと玉子さんの夫婦愛、武蔵さんと春山和尚の友情など人と人との間の愛情を強く感じました💖今回は記事で取り上げませんでしたが、こちらには利休七哲にも数えられた細川忠興の原図に基づいて復元された茶室「仰松軒」があります。(現在も茶会などで使われているそう)茶室前には京都で細川忠興が愛用し、豊臣秀吉や師・千利休も使用したと伝えられる手水鉢もありますよ💡泰勝寺跡を訪れた際はあわせて見学してみて下さいね❣️
最後までお読み頂き、ありがとうございました😊
アクセス情報はこちらから↓