見出し画像

お寺に通わされていた違和感

 母は、仏教系の学校出身だったり、祖母の影響で、お寺のお手伝いをしていて、小学生の頃は、よくお寺に付き添った。(といっても、母の作業が終わるまで、階段に座って、3ⅮSのドラクエでずっと遊んでいた) 

 一緒に、お祓いを受けるとき、お坊さんがお経を唱えている間、防災のためにかけられた布団から除く仏を目にすると、「あーここには、自分が求めている神はいない」と感じてた。素直に気味悪かったし、居心地悪くてなんでこんなものに憧れるのか理解できなかった。仏の周りでお坊さんや住職さんが世話していて、なんだか吐き気がしそうだった。何度、訪れても、神仏を目の前にして、歓迎されているようには感じなかったし、恐怖心しかなかった。「自分の血にここのエネルギーは流れていない!」と十代の時に感じた。それから行かなくなった。ここは、母親が選んだ場所であって、自分の場所じゃない。祖先が眠っている場所だけど、自分の場所ではない。

 母は2世にしようとしていたのかな。それとも、子供を連れて行くと住職が優しくなるから?いずれにしても、住職やお手伝いさんや信者やお坊さんと控室で一緒にご飯を食べたりしながら、絶対ここは自分の居場所じゃないと確信していた。そこで働く人は、濃いくまがあって怖そうな顔をしていて明るい雰囲気がなかったし、幸せそうに見えなかった。なぜかみんなピリピリしていた。今すぐにでも人を説教するような雰囲気があって、厳しくて頑固そうなイメージ。本当は、その人たちと一緒に山登りをする提案があったんだけど、母親に「あれはお世辞なだけで本当に言ってるわけじゃないんだ」と説得してなんとか逃げ切った。危機一髪だったよ笑 必死に住職に媚びて嫌われないようにしている親を見てきた。神聖な場所でも、そこに定住する人がつくる波動によるのだと思う。

 先祖を愛しているけど、血の流れが続いている自分というより、完全に独立した存在でありたい。だから、バックグラウンドがどうであれ、どんな文化であれ、それを反復しようとは考えない。必死になって葬式を仕切る母親の横で、くつろいで嫌な顔をされるのが好き。「常識がない」と腹が立っている人を見るのが楽しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?