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【精神】社会から断絶されていくのが怖い

社会から断絶されていくのが怖い。

私が無職になったのは、2018年の12月。だから、現在2021年の3月で2年と3ヶ月になる。家族皆が床につき、独りなった深夜、毎晩私は自分の行く末について考える。

「これから先どうやって食っていこう?」
「親が働けなくなったら、どうやってサポートしていこう?」
「これまで私を助けてくれた人たちにどうやってお返しをしよう?」

いちばんは「自分がどうやって食っていくか」だが(これができないと他の2つができない)、今のところ、短期的なモノも長期的なモノも含めて、将来の職業リストには13個の職業が並んでいる。それぞれに向けて着々と準備を進めている。

最近になって、ようやく真面目に家計簿をつけ始めた。将来に向けた準備をするために必要な資金を貯めておくためだ。資格をとるなら、資格取得に必要なテキスト代、免許が必要なら免許取得に必要な講習費用などを用意しておくためだ。

Excelで家計簿をつくっていて、不細工な表を見るたびに、私は複式簿記やExcelについてもっと学んだ方がいいな……等、他に学ぶべきことも見つかったので、これは良いことだと思っている。何か目標がないと人生にハリが出てこない。毎日どこかに向かって進んでいる実感がないと、ものすごく不安である。というわけで、現在の私は目標に向かって、牛歩ではあるが、毎日、歩を進められているように思うので、そこはよしとしよう。

以前にも、このnoteで話させていただいたことだが、私は今のところ、スポット的な働き方が許容される、比較的(私にとって)精神的負荷が小さなアルバイト等を除いて、雇用関係に入ることを望んでいない。正しくは、雇用関係に入れるような病状ではない。

細かいことは以前も述べたので、今回は言及しないが、私の場合、理由は結構明確で、「身体が動かない(家事等が毎日できない)」「頭が動かない(特にインプット面)」「極めて不安定な精神状態」の3つが雇用関係に入って継続的に働けない理由である。要は、この3つが原因で、「雇用主に対して安定的な労働力の提供を約束できない」というのが、私が働けない理由であり、今後、障害年金を申請しようとしている理由である。

特に上に3つ並べた理由のうち、「頭が働かない(特にインプット面)」というのが、非常に厄介である。

雇用関係に入らず、フリーランス、ひいては個人事業主として働くことを目指すとしても、これから勉強しなければならないことは山ほどある。さっき言った資格の勉強なんかもそうだ。

インプットの面で難を抱えていると本を読むのに、めちゃくちゃ苦労する。私は、時たま、このnoteでも他者の文章を引用するが、本当はもっと参考文献をきっちり精査して、ちゃんとした裏付けのある記事を書きたいのだが、病気による認知障害がそれをゆるしてくれない。できることと言えば、せいぜい目次を読んで気になった箇所に目星をつけて、そこだけ目を皿にして何十回も拾い読みをするというやり方で、これは私が研究室時代にやっていたリファレンスの調査の仕方と全く異なる。いや、「調査」とすらいえない。このように、noteを書くだけでも困難を感じているのが、現状の私の脳ミソというわけだ。

ここまで、私が現在抱えている「就業にあたっての困難」について、簡単に述べてきた。このような困難があるから、私は多くの人のように、企業の正社員を目指すということをしていないし、できないという話をした。

しかし、そんな私(無職期間2年以上)にも正社員として、結構魅力的なオファーが時折舞い込んでくる。先月は誰もが名前を知るような外資系コンサルティング会社からオファーが来たし、今月に入ってからも業界ではかなり有名な化学系メーカーからも研究開発職としてのオファーが舞い込んできた。実は、その他にも条件だけをみれば、かなり良いオファーが何件か来ているのだが、私はそれを苦渋の思いでスルーする決断をしてきた。

私は正社員として勤めるということを、1度経験して死ぬような思いをしたし、実際に死にかけた。しかも、精神を患って未だ回復の途上にある。毎日12錠の薬を飲まないと心身ともに安定状態が保てないというのが現状で、正社員に戻るのは「私の中ではもうナシだな」と固く決意したはずなのに、魅力的なオファーが来ると心が揺れる。昨日、私は以下のようなツイートをした。

1. すでに職に就いている人からすると、コロナって大ピンチなんだろうけど、これをチャンスと見ている企業もあって、そういう企業からのオファーが時々くる。私の年齢的にもこれが最後のチャンスだから、どう動くべきか悩む。

2. いうても、現在正社員で働くのは病状からいってほぼ不可能だから、他の選択肢探るしかないんだけれども。

3. ここで選択肢ミスると私の人生が詰む可能性が高い。もう2回くらい人生詰んだことあるから、またか……って感じなんだけどね。今度詰んだら、本当に首括らないといけないかもしれん。

4. スポット的に入れるアルバイトでかつ精神的負荷の小さいモノは、もうすでに考えているんだけれど、リスクヘッジとして(悪化・再発とかでいつ働けなくなるかわからないから)、まずは障害年金の申請をして、生活基盤の後ろだてをもった状態で職探しをしようと考えている。

5. あとは、長期的視点に立って稼ぐ方法を確立しなくちゃいけなくて、ここがいちばんしんどいところ。案は何個か用意した。

2番目のツイートについては、すでに話したとおり。私が、条件面で魅力的な企業からの正社員のオファーに心が揺らいでしまうのは、1番目のツイートに記したとおり、私の年齢が大きく関与している。

私は現在20代の後半で、アラサーといっていい年齢だ。今月には誕生日を迎えてまたひとつ歳をとる。たぶん、30を超えるとこういうオファーは一切来なくなるだろう。私にとって最後のチャンスがこの数ヶ月~1年くらいの間なのだ。30を超えると、大した職歴もスキルもない者は、社会から断絶される。完全にいないモノ扱いされる。選考に行っても門前払いを食らうことがほとんどになるだろう。

もし、方向転換をするのであれば、今がラストチャンスだ。

社会から断絶された世界で一人で己の力のみを頼りに生きていくか、社会の荒波に揉まれながらまた死にそうな思いをしてやっていくのか。人生の岐路に立たされている。選択肢をミスったら「死」だ。(どちらを選んでも「死」である可能性もあるが……)今までは、「まだ若いから」で許されていたことがこれからは許されなくなる。挑戦して、その結果、失敗した30代もそこそこの「おじさん」をどこの誰が救ってくれるというのだ。自分を救うのは自分しかいない。

ムリをして正社員で働くことも考えた。しかし、そのたびに「悪化」「再発」「自殺」というワードが、私の頭の中から湧きだしてきて、踏みとどまった。

結局、今の私にとっては、4番目のツイートに示したように、障害年金という後ろだて(言葉は悪いが)を得ながら、短期的な稼ぎを得る手段にひとまずありつき、そうやって日々の生活を凌ぎながら、5番目のツイートに示したように、長期的に稼げる方法を確立していくというのがベストだと判断している。

無職期間が長いと、社会から断絶されることへの恐怖や不安というものにたびたび苛まれる。もう戻れないという「不可逆性」に対する恐れだ。生死の境を跨いだら二度と戻ってこれないという意味では「死」に対する恐怖と近いモノがあると思う(私は特殊な事情で「死」に対する恐怖はほぼ失われてしまっているが……)。これは、30という年齢を迎えようとしていることも影響していると思う。

毎日を文章を書き、英語の勉強をし、Excelの関数を覚えていき、亀が歩行するが如き速度で読書して過ごしている。そうしていたら、あっという間に、カレンダーが1つ下の段まで進んでいる。「決断」までの時間がまた1週間削られたのである。そして、自分の経歴に「社会から断絶された1週間」がプラスされる。履歴書・職務経歴書の効力は日に日に薄まっていく。自分のこれまで生きてきた時間の意味が「社会から断絶された期間」によって希釈され薄まっていっているような気がしてならない。どんどん低濃度で価値の低い人生になっている。私から見てそうではなかったとしても、第三者の目にはそうとしか映らないだろう。いつの日か

「私は無意味な人生を過ごしてきただけではなかった。人生を『空白期間』で希釈してきただけではなく、ちゃんと意味のある活動をしてきたんだ。私は大勢の人が歩む道からは逸れてしまったが、人とはちがう道を歩んできただけだった。」

そうやって、自分を肯定できる日が来るように、人生を脇目も振らず、一心不乱に邁進していくしかない。私が救われるとしたら、そうやって、自分の歩んできた道を振り返って、自分を肯定できたときのみであろう。

30というのは、今まで持っていた「若さ」というアドバンテージを失う歳である。覚悟は決めていたつもりであった。しかし、色んなモノを見て心が揺さぶられるということは、そう強固なモノではなかったのかもしれない。そろそろ覚悟を決めないといけない。私ももう「若く」はないのだから。

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