働くことに希望を持っていた大学生が社会人になって気づいたこと
社会人になってもうすぐ4ヶ月になる。
ありがたいことに現在はしたい仕事をさせてもらえており、充実した日々を送ることができていると思う。
就職先や仕事内容に対する就職前と就職後の間のギャップはあまりなく、あの時の選択は間違っていなかったなと感じる。
ただ、実際に社会人になってみて、「働くこと」に対する考え方は少し変わってきたなと思う。
大学4年生の就活を終えた頃は、働くことに対して希望しか持ち合わせていなかった。
仕事は楽しいものだと考えていたし、残業は自分がしたいことなら喜んでするよ!とすら思っていた。
でも、仕事が始まってからそうした考えが薄れるまでにそれほど時間はかからなかった。
そして、徐々に仕事での幸せはプライベートでの幸せには到底敵わないと感じるようになった。
そして以前のような考え方が徐々にできなくなってきた。
今の仕事においては、誰かの人生の選択に大きな影響を与えられたなと感じる瞬間がある。
その瞬間は仕事をしていてよかったなと思うし、間違いなく幸せを感じることができている。
でも、面白い小説に出会った瞬間の方が何倍も幸せだった。
素敵な景色を見た時の方が何倍も幸せだった。
遠距離恋愛中の彼女と久しぶりに会ってゆっくりお出かけできた時の方が何倍も幸せだった。
僕はこれまで、「言葉で他者の未来に影響を与える」というのを絶対軸とし、これを踏まえて仕事に生きがいを見出す生き方を追求してきた。
そして、これからもこの軸を大事にしていきたいし、仕事には変わらず生きがいを持ち続けたいと思っている。
ただ、そこに重きを置きすぎないようにしてもいいんじゃないかと思うようになった。
具体的に言うと、
『言葉で他者の未来に影響を与える』という絶対軸はブラさないままで、『日々の幸せを損なわない』という軸を追加しよう
つまり、
他でもない自分自身を第一に大切にできる生き方を前提としよう
と思うようになった。
僕がこれから目指そうとしていた道は、自分がしたいことにはばっちり合っている。
でも、間違いなく日々の幸せを損なってしまい、自分を大切にはできなくなる。
だから、もう少し別の道も考えてみようと思うようになった。
長い時間をかけてようやく見つけた道から目を背けるのは怖いけれど。
もっとよい道なんて本当に見つかるのかという不安もあるけれど。
こうしたことを話すと、ひょっとすると「おまえは甘い」と思う方がいるかもしれない。
その通りだと思う。
僕が自分に甘いのは間違いない。
でも、素直に自分への甘さを出すことができるのは悪いことじゃないと僕は思っている。
きっと現代人のほとんどが、なんらかの自分への甘さを抱えて生きているはず。
でもみんなそれを押し殺して生きすぎではないかな?
その我慢は誰のための我慢?
自分自身、もしくは本当に大切な人のための我慢であればいいけど、不特定多数の人のための我慢になっていないだろうか。
自分を殺してまで他の誰かのために頑張らなくてもいい。
自分が不幸せな状態にいるのに、他の誰かを幸せにしようと思わなくていい。
自分が幸せになって初めて、誰かを幸せにしようと考えればいい。
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