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執着というものは、そんなに自在に手放せるものなのか?(朝note)

おはようございます。木月まことです。

自分はアラフィフの人ですが
かなり長いあいだ、ミュージシャン(プロ)になるという執着を手放せなかったんです。
ただ、運悪く(?)かどうかはわかりませんが
「それはムリだから、手放せ!」という人がまわりにひとりもいなかったんです。
そこで、非常に長くそれをひっぱってしまったんですが
震災の年あたりに、いくつかのことが重なって、さすがにプロとかは諦めました。

そのころは、SNSってやってなかったんです。

ところが、SNSをやるようになってからは
「手放せ!」「手放せばうまくいく」というメッセージをかなり頻繁に見てきました。
そういうメッセージは、うまくいってないことがあるときには、非常に刺さります
「これを手放しちまえば、明日から、すべてが晴れ渡ってくるのでは?」という期待が膨らむいっぽうで、
「そんなに簡単に手放せるものなのか?」という疑問もわきます

noteもはじめからうまくいってなくて
6年近くやって、もっともスキ数が多い記事で24スキですから
「手放せ!」「手放せばうまくいく」というメッセージは
ほんと何回も刺さりました。

「はてなのほうが(noteより)向いてるってことか?」
「SNS自体をやめちまえってことか?」
「WordPressにチャレンジしろということか?」
「リアルに専念しろということか?」
と、ほんといろいろ考えました。

「いまあるものを手放せ!」式のメッセージは、その他
たとえば、いまのバイト先とか、恋愛の対象とかにも
少しでも暗雲が垂れ込めると、たちまち刺さります

「いまの職場が、オレの不幸の源泉では?」とか
すごく短絡的な発想に支配されます。

女性ですと
こどもを産める年齢に上限があるので
見込みのない恋愛に(ムダに長く)執着するのは避けたいですよね。

でも、それ以外のことは、執着なんて、意思的にそれをムリに断ち切ろうとするより、時間が解決するのを待つしかないことも多いと感じることがあります。

SNSって
「手放せ!」「手放しさへすればうまくいく」式のメッセージがあふれていて、
「続けろ!」「いいから続けろ!」「そんなに簡単に手放すな!」式の
鬼コーチ式(昭和のスポ根的な)のメッセージはあんまりないんです。

たしかに、甲子園で優勝できるのはひとにぎりで、プロの選手になれる人はさらに限られます
昔の日本も、大東亜共栄圏とか鬼畜英米みたいなことに執着して大失敗しました。
時代は変化が激しいんで、ひとつのことにこだわるより、変わり身が自在な方が有利なのかもしれません。
だから、「続けろ!」っていうメッセージは無責任になりやすく
「手放せ!」というメッセージがはやります。

たしかに、ムリな執着は、細胞の癌化を助長する可能性もあるかもしれず
さらっと生きるのが当世風で有利なのかもしれません。

ただ、会社をすぐ辞める新卒の人とか
あまりにあっさり見切りをつける人の増加も目立ってるようです。
見切ったほうがいいのか、もう少し頑張ったほうがいいのかは
ケースバイケースなので、一般論で結論を出しにくいですが

で、結論なんですが
心的執着って、病的不安とか病的猜疑とかを除けば
ムリに手放すこともないんじゃないかって
「ストーカー殺人」とか、はた迷惑な行為につながらない限り
執着の多くは、自然にそれが薄れるのを待つしかないんじゃないかって思うことも多いです。

執着を仮に手放しますよね?

で、恋愛でも人生目標でも、別の対象が、まぁ現れるもんですが
しばし、似たような経過をたどります
それは、その人のアプローチや、その人の根本カルマに変化がほとんどない場合が多いからです。

そうすると、肝心なのは「手ばなす」ことではないのかもしれません。

ただ、ミュージシャンの執着を手放そうとしなかった自分に
誰一人それを「手放せ」と言う人がいなかった部分がビミョーに災いしたとも言えなくもないかもしれないので
やめちゃえ
やめちゃえ!
手ばなしちゃえ!
というメッセージがある程度飛んでくるのもマイナスとばかりは言えなくもないかもしれません。

「手放せ」or「続けろ」
どっちがどうってのは、結果次第なんでしょうけど
健康も大事ですし

執着って、そんなに意思的に手放せるものなのか、とふと思ったので
noteに書き記した次第です。

以上、朝noteでした。

御一読ありがとうございました。

(あとがき)
全然関係ないはなしですが
ふたつまえの記事を、山門文治さんという方が
「今、このnoterが面白い」で取り上げてくださったので
久々に、PVが3桁行きました。
見てないと思われますが
この場を借りてお礼を
全然関係ないはなしで恐縮でした。

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