note_第9回釜飯めしねずみ

中澤日菜子【んまんま日記】#9 釜めしねずみ

 旅に出て楽しみなもののひとつに、駅弁や空弁といった弁当があると思う。
 すこし早めに駅に着いて、あれこれと悩むヨロコビ。ふだんコンビニや惣菜店で食べ慣れたものなのに、旅のお供の弁当は、なぜこんなにもこころ浮き立つのだろう。

 そんな駅弁のなかでもトップクラスの知名度を誇るのは、やはり横川駅の「峠の釜めし」。父の実家が長野にあるので、小さいころから帰省のたびに買ってもらった「思い出の味」でもある。
 昔は車内販売が主だった峠の釜めしだが、信越本線の横川~軽井沢間の廃止にともない、現在ではドライブインなどで買うことが多くなった。わたしも上信越道の横川サービスエリアに立ち寄るたび、いそいそと購入している。

 峠の釜めしの魅力はたくさんあるけれど、やはりまずはあのずっしり重たい益子焼のお釜、この存在感にあるのではないか。
「峠の釜めし、ここにあり」
 全身で主張しているようだ。戦国武将のような威厳すら感じさせる。
「殿。失礼いたす」
 こころのなかでつぶやきながら、紙紐をそっと外し、素焼きの蓋を持ちあげる。ぷぅん。ちょっと甘い醤油の香りが立ちのぼる。だがここでいきなり箸をつけてはいけない。まずはうずらの卵を中心に、マンダラのごとく絶妙に配置された具材を愛でる時間が必要だ。
 たけのこに栗、あんずに椎茸、鶏肉にごぼう……まさに「釜めしオールスターズ」といった面々が並んでいる。
 こっちの具をちょいと齧(かじ)り、味のしみたご飯を掻きこむ。
「次はどれにしようかな。甘い栗を食べたから、紅ショウガで口直しかな」
 味変(あじへん)が容易に可能なところも嬉しい。

 すべて食べ終わったあと、武将、もといお釜が手もとに残る。ここでいつも悩んでしまう。
 これだけ立派なお釜だもの、捨てて帰るのはなんだか惜しい。ご飯が炊けるし、釜揚げうどんにだって使える。いまはあまり見ないが灰皿としてもよく活用されていた。さらにわが家では、画期的な使用法があった。スナネズミのお家である。

 スナネズミ。あまり聞き慣れない名前かもしれない。ハムスターによく似た、ネズミというよりリスに近い齧歯(げっし)類 で、大きな黒い瞳に長いしっぽが愛らしいやつらである。気性が優しいので多頭飼いできるのも魅力のひとつだ。
 いまはいないけれども、通算十五年ほど、わが家ではスナネズミを飼っていた。
 大きめのケージに新聞紙を敷き、エサ箱と給水器をセット。そしてまんなかに、綺麗に洗ったお釜をどんと置く。これがたいへん好評であった(ネズミ連に)。
 なにせ名窯(よう)・益子焼である。うだるような夏、釜に入れば土の肌がひんやり心地よい。そして厳寒の季節は体温を吸い込んでほんのりと暖かいのだ。プラスチックではこうはいくまい。焼き物ならではの良さであろう。
「あれ。ネズミ連がいないな」と思って釜を覗くと、みんなして気持ちよさそうに眠っているすがたをよく見かけた。
 スナネズミの大きさは、しっぽを除くと約十五センチほど。これまたお釜にジャストなサイズである。夏も冬も、みっちりお釜に詰まっては幸せそうに眠っていた。スナネズミにとっては釜めしは食べものではなく、快適な住居であったのだ。

 残念ながらいまわが家にスナネズミはいない。なのでお釜を持ち帰っても利用法がない。
 食べ終わった釜を返却箱に入れながら「ああ、彼らがいれば」と思うことしばしば。
 きっとそのうち「スナネズミ禁断症状」に駆られ、また彼らを迎え入れてしまうことだろう。その際には新しくお釜を用意しなければ。そしてわたしは峠の釜めしを購入するための旅に出る。
 なんだか順番が違うような気もするが、そういう楽しみかたのある旅も、また一興ではあるまいか。


【今日のんまんま】
ご存じ「峠の釜めし」。冷めても美味しいのでお土産にも。んまっ。

釜めし


文・イラスト・写真:中澤日菜子(なかざわ ひなこ)/1969年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。日本劇作家協会会員。1988年に不等辺さんかく劇団を旗揚げ。劇作家として活動する。2013年に『お父さんと伊藤さん』で「第八回小説現代長編新人賞」を受賞。小説家としても活動を始める。おもな著書に『お父さんと伊藤さん』『おまめごとの島』『星球』(講談社)、『PTAグランパ!』(角川書店)、『ニュータウンクロニクル』(光文社)、『Team383』(新潮社)、『アイランド・ホッパー 2泊3日旅ごはん島じかん』(集英社文庫)がある。最新刊『お願いおむらいす』(小学館)が好評発売中。
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