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アンノウン・デスティニィ 第12話「越境(3)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第12話:越鏡(3)

<登場人物>
鳴海アスカ‥山際調査事務所諜報員
山際瑛士‥‥山際調査事務所ボス
三谷新‥‥‥通称シン・山際調査事務所のコンピューターエキスパート
日向透‥‥‥若き天才科学者・優性卵プロジェクトの精子提供者

(鏡の世界)
キョウカ‥‥‥鏡の世界のアスカの仮の名前
瑛士‥‥‥‥‥鏡の世界の山際の仮の名前・山際調査事務所ボス
アラタ‥‥‥‥鏡の世界のシンの仮の名前

【2035年5月10日、鏡の世界・つくば市・山際調査事務所】
「さくっと説明するよ」
 キョウカがマグカップを置く。
「ふたつの世界は鏡の表と裏で左右対称になってる。似ているけど違う、ここが重要。そして、ふたつの世界を管理してるのは、あたしたちの世界のほう」
 なんだか自分の世界を低く見積もられたようでアスカは憮然とする。
「あんたは鏡の存在を知らなかったでしょ。あたしたちは知ってる、常識としてね」
 ふふん、とキョウカが誇らしげにいう。自分自身にばかにされているようで、よけいに腹立たしい。
「こっちには内務省サイバーセキュリティ局鏡界部がある」
「何それ?」
「ふたつの世界の境は鏡界といって、キョウは鏡ね。そこを監視してる省庁よ」
「国境警備みたいなもの?」
「そう、越鏡は禁止されてる」
「エッキョウって?」
「文字どおり鏡を超えること。つまりワープ」
「あたしは逮捕される?」
「どうだろ」
 キョウカは瑛士をちらっと見る。
「とりあえずは、ないな」瑛士が顎をさする。
「鏡界部による監視は取り締まりよりも、行方不明者捜索の目的のほうが大きい」
 アスカが怪訝な顔をする。
「鏡界はいつどこで開くか、わかんねえ。かつて神隠しといわれたものの多くは、偶然開いた穴に落っこちて越鏡したまま帰って来れなくなったってのが定説だ。越鏡の報告があがったら、まっさきに全国の警察に行方不明の照会をかける。違法越鏡を疑うのは、そのあとさ」
「意図的な越鏡は」と言葉を切る。「不可能じゃねえけど難しい。鏡界部のデータをハッキングするか、スパコンにかけるか、物理や数学の天才でなきゃ解けねえくそ難しい理論と数式に挑むか。おまえさんも偶然だろ」
「違う」とアスカは首をふる。「あたしは目的をもってワープした」
「なんだって」瑛士が目をむく。
 アスカはキョウカに視線を戻す。
「キョウカ……さん、にも透から宅配便が届いたでしょ」
「透って誰?」興味なさげにたずね、「ね、呼び捨てにしてくんない。同じ顔から、さん付けされると気持ち悪い」と付け足す。
「日向透よ、知ってるでしょ」
「数日前に研究室の爆発事故で亡くなった天才科学者様ね。連日、メディアが騒ぎたててるから名前くらいは知ってる」
 それがどうしたの、という顔を向ける。
「会ったこと……ないの?」アスカが驚愕を顔に貼りつける。
「残念ながら」とすげない。
「じゃ、じゃあ、優性卵プロジェクトは?」たたみかけるように問う。
「何それ?」
 アスカは混乱で脳髄がショートしそうだ。
「少子化特別措置法は?」
「このあいだ衆議院で可決されたね。去年、それがらみで長塚大臣にひと月お眠りいただいたでしょ」
 そこは同じなんだ。優性卵プロジェクトだけが違う?
「ふたつの世界は似ているけど違う……て言ったよね」
 アスカが確認するようにたずねる。
「そう。アスカとあたしが24時間一挙手一投足まったく同じ行動をするわけじゃない。鏡だって一日中見ないし、それといっしょ。鏡を覗いたときにつじつまが合ってればいいの。生死とかイベントとか重要なポイントがね。アスカはアスカだし、あたしはあたし。別の人格。今のこの状態がまさにそうでしょ」
 いわれてみれば。とすると。
「優性卵プロジェクトは政府の極秘計画だから、こっちの世界にも隠してるってこと?」
「いや、そいつは変だ。そんな重要事項が反映されないのはおかしい。鏡にひずみができてんのかもしんねえ」
「その優性卵プロジェクトって何なの」キョウカが疑問をつきつける。
 うまく説明できるかどうかわかんないけど、と断ってアスカがこれまでの経緯も含めて話した。天才の遺伝子を人為的に組み合わせる計画で、少子化阻止特別措置法の裏で進められている政府の極秘プロジェクトであること。アスカと透が第1号被験者で、それがきっかけで知り合ったこと。透の研究室が爆発した日の午後に、透とアスカふたりの受精卵が盗まれたことも。
「あたしは受精卵をとり戻すために越鏡してきた。これに従って」
 アスカは透のメモを胸ポケットから取り出す。
「この数字の羅列は何だ? 暗号か?」
 メモを手にして瑛士が眉をしかめる。
 アスカはちらっとアラタに目をやる。彼は先ほどから背を向けてすごいスピードでキーボードを操作していた。
「前半の数字はGPS座標。うしろが日時。この場所で、この日、この時間に空間つまり鏡界が開く。数字の意味はシンちゃんが解読してくれた」
「てことは、日向透は自力で鏡界が開く場所と時間を計算して特定したのか」
 驚きだな、と瑛士が目を丸くする。
「まさに天才だ。そりゃ、政府が欲しがるわけだ、彼の遺伝子を」
 アスカはリュックの内ポケットからUSBを取りだす。
「これに計算式が書き込まれてる。たしかめますか」
「ある意味これは、ダイヤモンドより価値あるUSBだな」
 瑛士はUSBを明かりにかざして目を細める。
「おい、シン。じゃねえ、アラタ」
 瑛士がUSBをアラタに手渡そうとすると
「エウレイカ!」
 なつかしい単語を叫び、アラタがデスクチェアごと振り返る。
「何を見つけた」
「ここ最近の越鏡データを鏡界部のコンピューターから拝借しました」
 にたりと眼鏡をすりあげる。
「越鏡は3回。5月2日に向こうへ。翌3日に向こうからこっちへ。同じくきょう10日にこっちへ。これはアスカさんですね」
 アスカがうなずく。
「それと」といいながらアラタが画面を切り替える。これ、と指さした箇所には
 《愛の行方》と記されていた。
「なんだこれ? 暗号か?」瑛士の声が裏返る。
「暗号ってほどじゃあ」とアラタが眼鏡の奥でかすかに笑う。
「越鏡データと紐づけされてたけど鍵がかかってなかったんで、メモていどじゃないですかね」
 首をひねっていた瑛士が「ひょっとして黒龍会のことか」とアラタをみる。
「そのひょっとして、でしょう」
「センスのかけらもねえな」
「あはは、そっかあ」とキョウカも笑いだす。「アムールだから愛」
 アスカもやっと納得がいった。
 黒龍会は中国東北部のアムール川、別名黒龍江こくりゅうこう流域の黒河こくが市に本拠を置くチャイニーズマフィアだ。アムール川は中国とロシアの国境を流れ、黒河市の対岸はロシア極東の州都ブラゴベシチェンスク。国境の街だ。黒く光る川面は鏡のようだとも、黒龍の銀にきらめく鱗のようだともいわれる。黒龍会の紋章は、黒い龍がハートの形に向かい合い尾を絡め合っている。黒龍会は数年前に日本に進出し、末端支部の事務所がつくば市内にもある。「愛」を名乗るところが腹立たしいとアスカは常づね思っていた。
「愛の行方、つまり黒龍会の構成員の足取りを追ってるんでしょう」
 いうまでもないですけど、とアラタが付け加える。
「黒龍会が受精卵を……盗んだの?」アスカが不審げに問う。
「それはわかんねえ。だが、この2回の越鏡は同一人物だな、まちがいなく」
 瑛士が画面を指の関節でたたく。
「短期間で往来してっから、鏡界部も非合法の越鏡とみなして足取りを洗ってんだろ」
「そのセンが濃厚ですね」アラタも瑛士に同意し、「鍵がかかってなかったから、鏡界部は卵のことは知らないと考えるのが妥当。だが、この人物をAとすると、Aは受精卵の存在を確実に知っていたことになります」と早口で分析する。
「黒龍会は受精卵のことを知ってた?」
「Aが黒龍会のやつとはまだ断定できねえ」
 瑛士はアスカの鳶色の瞳に焦点を合わせる。
「これからどうする」
「潜入する、黒龍会に」アスカの瞳に力がこもる。
「ま、そうなるか」
「クモの糸くらい細いけど。それしか手がかりがないから」
「となりゃ、準備がいるな」
 瑛士が腕を組んで天井の梁を見あげる。
「とりあえず腹減った。キョウカ、めしの準備してくれ」
 
「どうやったらカレーがこう……」と瑛士がスプーンを皿に突きたてながらこぼすと、キョウカが大きな目でにらむ。その目をよけながら「アスカは料理が得意か」とたずねる。
「いえ……同じレベルです」
「ま、そうだわな。基本的なパーツや能力はいっしょか」
 はあああ、と大きなため息をつく。
「文句いうなら、あたしを料理当番からはずしてよ」
 薬の調合は天才的なのに……。瑛士はぶつぶつ小声で繰り返していた。
 ふたりのやりとりを笑いながらアスカは、この日常をあたしは捨ててきたんだと寂しさにつかまりそうになる。それをごまかそうと、また、大きな笑い声をあげる。
 食べた皿を洗いながらアラタが「ボス、俺」といいかけると、瑛士が「泊まるんだろ」とあとの言葉をついだ。
「おまえのこった、これが気になんだろ」透のUSBをアラタに手渡す。
「好きなだけ挑戦してみろ、天才とやらに」
 俺は寝るからあとは勝手にしろ、と尻をかきながら階段をのぼる。なかほどで思い出したように振り返り、「銃は手もとに置いとけよ」と寝る前の歯磨き忘れるなと同じレベルで言いおき階上に消えた。
 
「脚を怪我してるでしょ。見せて」
 キョウカが暮らしている離れのログキャビンは温室と向かい合うように建つ。それは向こうの世界と同じだ。けどここも、配置がきれいに左右対称だ。関心して寝室を見まわしているとキョウカに脚の傷を指摘された。
「越鏡するときに、何かにがりって削られたような感じがした。ふたつの世界の間に鏡があるのだとしたら、鏡でついた傷みたいなもんじゃない」
「そうかもね。あたしにはそんな傷ないし。ちょうど作ったばかりの軟膏があるから、試してみる?」
 キョウカがアンティークの薬箪笥の上から三段目、右から二列目の小抽斗こひきだしから、プラスチックのピルケースを取り出す。乳白色の軟膏はジャスミンの匂いがした。
「どうしてこんな危険を冒してまで受精卵をとり戻したいの? 任務でもないのに」
「透は死んじゃったから」アスカはぐっと奥歯をかみしめる。「あたしと透をつないでいるものは、もう受精卵しかない。卵には透の遺伝子が残されてる」
「恋人だったの?」
「わからない。そういう関係になれてたのかは。でも、セックスはした。一度だけだけど」
「で、明日、どうする?」
 キョウカがパジャマを放ってよこす。
「黒龍会の事務所に潜入したいけど、そのためには下調べも必要だし。とりあえず、もう一度ラボに行ってみる」
「オッケー。あたしもつきあうよ」

 群青の闇に白い筋をひく月光が、双子よりもそっくりな寝顔を照らし、プラチナブロンドの髪が金の波を描いていた。

(to be continued)

第13話に続く。


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