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アンノウン・デスティニィ 第30話「帰還(1)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第30話:帰還(1)

【2035年5月3日15時40分、もとの世界、つくば市】
 白く光る空間だけがあった。
 まばゆい光のなかに押しだされ、目が眩んだまま視界が戻らない。目は開けているつもりだが、何も見えない。ただ光だけを感じる。ノゾミはいつもこんな世界にいたのか。それならこのまま視力が戻らなくてもいいと、アスカは思った。ノゾミに無理やり光へと突き飛ばされた。まだ抱きしめていた体温がこの腕に残っている。アスカは自身の両腕をぐっと抱きしめる。
 しだいに霞んでいた視界が戻り、白く無機質な壁に囲まれた部屋だとわかった。壁に照明の光が反射している。部屋の中央に銀に光る立方体の箱があり、その前にジュラルミンケースを手にした白衣の人物が立っていた。
 白衣がゆっくりと振り返り、銀縁眼鏡をはずす。
 アスカは夢をみているのかと思った。足がふらつく。
「おかえり」
「……透」と唇を動かしたつもりだが、声になっていたかわからない。
 研究室の爆発で亡くなったんじゃ……、生きていた、の?
 それでなくともアスカは越鏡を繰り返し時間感覚がおかしくなっていた。
「ここには監視カメラはないよ」
 そうだった。上田の言葉を思い出す。聞いたのは体内時計的には一週間まえのことだけど。何年もむかしのように思える。
「研究室の爆発事故は……」
「あれは自作自演。黒龍会とその黒幕を混乱させるために、ぼくの存在を消す必要があった」
「瑛士が、受精卵の価値をあげるために透は暗殺されたんじゃないかって」
「同じことをぼくも考えた。だから先手を打った」
 この人はなんでもお見通しなんだ。
「アスカ、きみを巻き込んでごめん」
「ひょっとして答えが視えたの? プロジェクトを止める答えが」
「ああ、視えた」透が複雑な笑みを浮かべる。
「はじめは、こんなくだらない生命の冒涜プロジェクトの被験者なんて断ろうと思っていた。ただの学者であるぼくには、国家プロジェクトに協力はできても止める力はない。だが、その瞬間に視えたんだよ、プロジェクトを止める方法が」
 透があの遠くをみつめる瞳で語る。
「法案の成立自体を阻止しなければならない。けれど、これが百年の大計だと思いこんでいる人物を説得するのは困難だろう。それには結果を見せるのが一番だ」
「アンノウン・ベイビーたちが障害を持って生まれてくること、20歳までしか生きられないことね」
「働ける人間を増やしGNPを上げるという経済に根ざした発想から出発しているのだから、その根幹をゆるがす事態を突きつけるしかない。ただし理論や計算上の数値では、予測でしかないと切って捨てられるだろう」
「証拠として未来の映像が必要……」
「そんな非現実的なことって思うよね」透が軽く笑う。
「鏡の世界との往来、つまり越鏡と同じ理論を使えば時を超えることも可能だと考えた。鏡のベクトルを変えればいいのだと」
 簡単にいうけれど。実際に体験したいまでも、アスカには信じられない。
「ぼくはアメリカにいる間に軍事訓練も受けている。一人、いや鏡の世界のもうひとりのぼくと二人でなら、なんとかなるかもしれないと考えた。けど、最初に存在を消しているから動きに制約がかかる。プロの助けは欲しかった。きみを巻き込むかどうかは最後まで悩んだ。だからUSBに託した」
「シンとアラタが解けなきゃ話にならないものね」
「それからは、きみを誘導するために時空を動き続けた」
「バンクラボの回廊で消えたのも透だったの?」
「ごめん。ジュラルミンケースを当てるつもりはなかったんだ」
「コウモリリュックを作ったのも、透?」
「いや、あれは鏡の世界の日向透だ」
「それで、パパおじさん」やっと納得がいく。
「彼にはずっとノゾミをケアしてもらった。ぼくは時空間の移動を繰り返していたから」
「どうして、向こうで正体を明かしてくれなかったの?」
「明かしたらどうしてた?」
「そりゃ、透といっしょに」
「ぼくが透視できるのは一場面でしかない。その先にどんな危険があるかわからなかった。矛盾してるけど、いつでも諦めてもとの世界に戻ってほしかった」
「だから、いつも寸前で……」
「黒龍会の連中があれほどしつこく絡んでくるとは想像できてなかった。きみとキョウカを何度も危険にさらしてしまった。そのたびに計画の断念を考えたよ」
 アスカは透の苦悩を想った。法案成立阻止という大きな目的のまえでは、アスカの危険に目をつぶらなければならない。冷徹な科学者としての目と、繊細な良心との間で何度ゆれたことだろう。
「計画はいつから?」
「黒龍会が受精卵を強奪に来ることを視たときからかな。これを利用しようと考えた。それに参議院を法案が通過する前でなければならない。ぎりぎりのタイミングだった」
 透が腕時計に目をやる。
「そろそろ時間だ」
「どうしても、向こうに行くの?」
「ここに置いておくと確実に受精卵は黒龍会の手にわたる。彼らがどこに売るつもりかわからないけど、いずれにしても、ノゾミの運命は学園で育つよりも酷くなることは確かだ」
「盗んだところを捕まえても、黒幕がわからないから、引き渡す相手をまちがえると捻りつぶされるということね」
「そのとおり」
「廃棄すればいいんじゃ……」
 アスカは無駄とわかりながら言い募る。
「それじゃあ、法案成立を阻止できない」
「ここに、未来の画像がある」
「ノゾミが写ってる部分は消えるだろうね。それに、あの子がいなければ武装蜂起も難しい」
 そういうことか、とアスカはようやく腑に落ちた。4歳のノゾミが「することがある」と言ったのは。ノゾミには視えていたのだ、自分の役割が。
「ぼくは、この卵をあるべき場所に還してくる。きみは、きみの約束を果たして」
「帰って来るよね」強いまなざしを透に向ける。
 それには答えず透は寂しそうに笑いズボンを降ろす。両脚にびっしりとアスカと同じ傷がついていた。父親につけられたのではない。透が自らの意思でつけてきた傷だ。
「ぼくは越鏡を繰り返しすぎた。きみも傷だらけになったね、ごめん」
 何を意味するのか、問わずともアスカにはわかった。
「これを、きみに」
 ロケットペンダントをアスカの首にかける。
 耳もとで何かをささやくと、アスカを白い光の中へと押しだした。

(to be continued)

31話に続く。


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