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アンノウン・デスティニィ 第31話「帰還(2)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第31話:帰還(2)

【2035年5月11日、つくば市・山際調査事務所】
 ざりっ。
 覚えのある痛みがまた左脚に走った。これで6つめ。最後の傷になるだろう。
 視界をおおっていた白い霧が晴れていく。チ、チチチチ、チ。鳥の鳴き声が届く。光の帯が樹間からこぼれる。靄がはれると、目の前にはなつかしいログキャビンがあった。光を反射する温室。帰ってきたのだ。スマホで日付を確認する。2035年5月11日05時50分。ミラーナンバーの早朝。
 風にのってコーヒーの薫りがただよう。シンがサイフォンで淹れるコーヒーにちがいない。階段を駆けあがる。こんな早朝からシンがいる?
「ただいま」
「アスカ先輩!」
「よお、おかえり。えらく勇ましいかっこうだな」
 血痕のついた白衣と脚の傷を認めて山際がいう。
 異変があったことは、足を踏み入れるなりわかった。
 事務所にいるはずのない男が二人、椅子に縛りあげられている。黒スーツは見知らぬ顔だが、もう一人の男にアスカは目をみはった。
「あなたは……たしか基礎応用科学研究所の岡島所長」
 岡島は憔悴しきった顔でうなだれていた。
「あの男は?」アスカが顎を向ける。
「本人はだんまりだがな。岡島によると、鏡の世界から来た黒龍会のやつだ」
 5月2日に越鏡した人物か。
「何があったの?」
「それより奪還できたのか?」
「詳しいことは、あとで」ちらりと岡島に目をやると、山際は察した。
「まずは、俺たちの昨日を報告しよう」
 シンがアスカの前にコーヒーのマグカップを置くと、山際は品川のホテルでのできごとを語りだした。
 1307号室前に岡島が現れるとすぐ、シンに同室のカードキーを入手するよう指示した。鍵が到着するまで盗聴器で中の様子をうかがう。部屋に押し入ると岡島に銃口が向けられていた。山際は男の手首に一発撃ちこむと、岡島の両足首をつかんで手前に引きずり、ひしゃげたその背を踏んで、男の腰にタックルしベッドに押し倒す。すかさずスタンガンを押し付け毒針で眠らせた。口の中を探り歯にしこまれた毒の丸薬を取り除く。岡島は入り口付近でシンに押さえられながら震えていた。レンタカーで事務所に連れ帰り朝方まで尋問していたという。
「で、わかったのが」と渋面をつくる。「胸のむかむかするような話さ」
 岡島が顔を伏せる。
 当初は5月4日に受精卵の受け渡しをし、男は鏡の世界に戻る手はずだった。それが日向透の研究室爆発事故によりご破算になる。
(黒幕は岡島だったのか。ラボの所長なら受精卵を持ち出すのはたやすいものね)
「この時点で一度もめてる」
「計画が狂ったから?」
「それもあるが。互いに爆破事故は、相手が起こしたと主張してこじれた」
「それは……考えるのもおぞましいけど。透の暗殺も計画の一環だったてこと? 受精卵の価値を高めるための」
「おい、どうなんだ」山際がナイフで岡島の顎を持ちあげる。
 岡島は顔を背けたまま唇を引き結んでいたが、ナイフの切っ先が首筋に微かにあたると、「そうです」と肩を落とした。
 瑛士と透の読みは正しかったわけだ。アスカは唇をかむ。
「次に鏡が開くのが昨日の10日だった。15時半に受精卵の受け渡しをしたらしい」
「どうやって?」
「ラボの廊下ですれ違いざまに互いのジュラルミンケースを交換したんだとよ。片方には受精卵、片方には札束さ」
「え……」と言いかけると山際が手で制する。
「ところが、また、もめた。それが1307号室での一件だ」
 受け取った現金が約束の半分でしかなかったことに気づいた岡島は男を追った。男は、越境できなかったのはおまえらのデータがまちがってたからだ、越鏡できれば残りの金の在りかを伝えるという。だが、岡島は越鏡の場所と時間を伝えた覚えはない、そもそも男がまちがっていたのではないかと言い争いになり発砲寸前に。そこに俺たちが飛び込んだ。
「ついでに言うとよ。日向透が死亡して受精卵の価値は、倍どころか10倍くらいに跳ねあがったはずだ、その分も寄越せと岡島は迫ってる」
 吐き気がするぜ、と山際は舌打ちする。
「指定された時間はいつ?」
 アスカは男の前に立つ。男はアスカを無言でにらむ。
「洗いざらいしゃべって早く帰ったほうがいいわよ。向こうであんたは受精卵を持ち逃げした裏切り者と思われてた」
 男の眉があがる。瞳にわずかに動揺がちらつく。
「ほんとか?」掠れた重低音がもれる。
「あたしは、あんたが越鏡するはずだった時間に鏡の世界にワープした。一年後の世界で、あんたを裏切り者として組の連中が探しまわってたわよ」
「なに?」動揺が隠しきれない。
「あたしは、10日の15時51分にラボの3階回廊から越鏡した」
「おれの受けた指示は、15時53分」
「その指示はどこから?」
「メール」
「誰からの?」
 男が顎で岡島を示す。
「私はそんなもの送ってない」
 山際が取り上げていた男のスマホをアスカに投げる。
《2035年5月10日15時53分、基礎応用科学研究所3階D―C棟のガラス回廊》とあり、送り主は岡島の公用のアドレスだ。おそらく透が送ったのだろう。メールは筆跡が残らない。コンピューターに侵入できれば偽造はたやすい。
「5月2日の越鏡も指示があった?」
「ノー」
「じゃあ、どうやって」
 男は貝になる。
「アムール川が関係してる?」
 男が目を剥く。「なぜ、それを」
「アムール川は黒龍の鱗のように水面が光るんですってね。それが鏡のようになる」
「そうだ」男は観念したのだろう、表情から剣が抜け落ちた。
「美しいわれらの川だ」
「対岸はロシア、国境の川だな」山際が指摘する。
「むかしから越鏡現象起きた。それ観察して知識蓄えた。俺みたい下っ端わからない、けどボスは越鏡の場所と日付わかるなにか持ってる。でも、時間アバウト」
 瑛士がいっていたように、彼らは経験則から割り出していたのか。
「ねえ、こっちの世界の受精卵を奪いに来たのは、王龍雲ワン・ロンユンの指示?」
「な、なぜ、それを」立ちあがりかけ縛られている椅子と共に転ぶ。
「どういうことだ?」山際が訊く。
「黒龍会ナンバー2の王龍雲には歳の離れた弟がいて、彼が兄に認められたくて暴走する。裏切った男を追って」
 挙句に弟も龍雲自身もアスカたちによって斃されることは、伏せておく。
「てことは、強奪計画は黒龍会内部の権力闘争も関係してるってことか」
「そういうことでしょ」とアスカは男に顔を近づける。顔をそらした男の首筋にそっと針を刺す。
 男が眠りに落ちたのをたしかめると、岡島に歩み寄る。
「あの受精卵はどこから調達したんですか?」
 岡島の顔が引き攣る。
「な……中野の、警察病院」絞り出すように答える。
 アスカの卵子を採取した場所だ。そことも繋がってたのか。ため息があふれる。
「な、胸糞わりいだろ」
 緊張が限界に達していたのだろう。岡島は虚ろな目をしてこくりと首を垂れた。アスカはその首にも針を刺す。
  二人が眠ったのを確認すると、アスカは自らの5日間を語った。ワープした先は鏡で反転した世界で、その世界の瑛士、キョウカ、アラタの協力をえて受精卵を追った。時の越鏡を繰り返し、少子化阻止特別措置法がもたらす結果を見てきた。アンノウン・ベイビーたちが障害をもって生まれ、20歳までしか生きられないこと。法案の成立を阻止するために戻ってきたこと。そして……、受精卵を奪った犯人は透であったことも。
 山際は腕を組んで目をつぶり、シンは両手で膝をつかみ唇を結んでいる。
「一日で帰って来たと思ったら、5日間で20年も駆け抜けてきたのか」
 山際はアスカの金髪をぐいっと自分の肩に引き寄せる。
「ろくでもないプロジェクトだと思ってたけどな。経済ごときのために手を出しちゃいけねえ領域だったんだ」
「それだけでも唾棄すべきことなのに。こいつらは……」
 シンがいつになく強い口調で眼をとがらせる。
「シンに調べさせたんだけどよ、岡島は仕手株に手を出して大損し、研究所の運営費や研究費をくすねてる。早いとこ穴埋めしねえとまずいみたいだ」
「だからって、極秘の国家プロジェクトを売る?」
「岡島は文科省からの天下り。目先の保身しか頭にねえんだろ。やつに、ここまで壮大な計画は無理だ」
 山際が煙草に火をつける。
「一方、黒龍会の本拠地がある黒河市ってのは、国境の貧しく危険の絶えぬ町だ。だから、日本での活動を本格化して資金を得たかった。まさに金の卵にみえたんだろ、日向透の遺伝子を継ぐ受精卵が。新規闇ビジネスに成長させるもくろみでもあったんじゃねえか。金づるをつかんだほうが組での権力も強くなる。ま、そんなとこだな」
 煙をひとつ天井に向かって吐く。
「権力闘争に王手をかけたい王龍雲ワン・ロンユンに話をもちかけ、岡島の弱みにつけこんで手足として動かしたやつ。そいつが真の黒幕さ」
「さてと、真打にご登場いただこうか」
 煙草の火をぎゅっともみ消す。

(to be continued)

32話に続く。


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