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アンノウン・デスティニィ 第32話「帰還(3)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第32話:帰還(3)

【2035年5月12日早朝、つくば市・山際調査事務所】
 朝靄にけぶる山際調査事務所に一台の黒いセダンがすべりこみ静かにエンジンを切った。車に同乗者はいない。運転席の男はしばらくハンドルを握ったままあたりをうかがい車を降りた。ピチ、チチチチチ。実験林とのあいだを鳥が往来していた。
 扉を開けて入って来たのは、内閣情報調査室の上田情報官だった。
「おはようございます、情報官。朝早くからお呼びだてしてすみません」
 山際にしては最上級の丁寧さで迎える。
 上田はそれを無視し、無言で視線を走らせる。仮面のクールフェイスが崩れる。驚愕が恐怖にやがて諦念へと変わった。
 欅の一枚板のテーブルの向こうに、長塚厚生労働大臣と新垣総理大臣の二人がそれぞれ一人掛けソファに憮然とかまえていた。少し離れて岡島と黒龍会の男が後ろ手に椅子に縛りつけられている。
「ホルスターをはずさせていただきます」
 扉脇にいたアスカがホルスターから拳銃を抜き取ろうと上田の前にまわった瞬間だった。
 上田はさっと背後から別の銃を抜き取り黒龍会の男に向ける。
 バン! バン!
 2丁の拳銃が火を吹いた。山際の弾が上田の銃をはじくほうがコンマ数秒速かった。 
 アスカがスタンガンを手にするのと、上田が左手でもう1丁の銃を自身の左こめかみに当てようとするのとほぼ同時だった。だが、それよりも山際が上田の左手首を撃ち抜くほうが速かった。
 ゴトン。
 ベレッタ92が木の床を叩く。山際が足で蹴りとばす。アスカが上田にスタンガンを見舞い、その体を正面から抱きとめる。山際が背にまわってジャケットを剥ぎ、他に銃や刃物を隠し持っていないか身体検査する。
 長塚も新垣も眉根ひとつ動かさなかった。
 上田が意識を取り戻し、椅子に縛りつけられていることに気づく。
「おまえが察庁イチのスナイパーだったことを忘れていたよ」
 朦朧とした瞳で山際を見る。警察庁あがりの上田は山際のかつての先輩だ。異例のスピード出世で40代半ばにして内調トップの座を射止めた。
「上田さん、死んでもらっちゃ困るんだ。ちゃんと落とし前つけてもらわねえと」
「上田君、どういうことかね」
 上田の組織上の上司である総理大臣の新垣が問う。上田の顔がゆがむ。
「今からご説明申しあげます」山際が総理に向きなおる。
「本日は未明より片田舎にご足労いただきありがとうございます。官邸では他人目ひとめを排除できないためご無理申し上げました。国家の機密事項に係わる非常にデリケートな問題です」
「前置きはいい、早くはじめろ」長塚がいらつく。
「優性卵プロジェクトについては、総理もご存知ですね」
「ああ」新垣が肯定する。
「第1号被験者が事故死した日向透と、うちの鳴海アスカであることも」
「報告を受けている」
「では、その優性卵が盗まれたことは?」
「なに!」声をあげたのは長塚と新垣だけでない。黒龍会の男も目を剥く。
「ほんとうか?」長塚が上田に迫る。
 上田は「はい」と蚊の鳴き声で肩を落とす。
「貴様、なぜそんな重要事項を報告せん!」長塚が声を荒げる。
「大臣、上田情報官の隣の男をご存知ですか」山際がたずねる。
「知らん」
「優性卵を保管していた基礎応用科学研究所の岡島所長です」
「そいつがなぜ縛りあげられてる」
「優性卵の強奪計画に加担していたからです」
「なに!」長塚が立ちあがる。
「そして」と山際は長塚を制しながら、テーブルを迂回する。岡島を通り過ぎ上田の前でぴたりと止まった。
「上田、おまえだろ。裏で岡島を動かしてたのは」
 上田は顔を背ける。
「大臣。上田が自殺を図ったのは、ことの露見を瞬時に悟ったからですよ。こいつを見てね」
「誰だそいつは」新垣が問う。
「黒龍会構成員。ただし鏡の裏の世界からやって来た」
「何を言っとるんだ」長塚がうろんな目を向ける。
「シン」山際が指示を出すよりも早く、シンがモニターに画像を映し出す。
「画面に映っているのは強奪犯。場所はラボ3階の回廊です」
「そ、その画像は……」岡島が声をあげる。
「うちの優秀な技術者があの日複写したんだよ」
 山際はもはや岡島や上田に敬語は使わない。
「この直後です」
「消えた?!」新垣と長塚が身を乗り出す。
「犯人は鏡の世界にワープしました。こいつは逆に鏡の世界からこっちにワープしてきた。鏡を超えることから越鏡と呼んでいます」
「証拠ならまだあります」とアスカのほうに顔を向ける。「彼女は犯人を追って5月10日に鏡の世界に越鏡し、昨日、帰ってきました」
「その証拠映像については、後ほどご覧にいれます」
 アスカが長い金髪を耳にかける。
「上田、あんたはインテリジェンスのトップとして、鏡の世界が存在することを知ってた。アスカの話じゃ、向こうには不法越鏡を監視する鏡界部というのがあるらしいじゃねえか。そことのコンタクトは情報官だけに受け継がれるトップシークレット。違うか?」
「おまえも鏡の世界を往復したことがあるんじゃねえか」
 アスカを振り返る。アスカはうなずくと上田の前にかがみ「失礼します」とズボンの裾をまくりあげる。
「何するんだ」上田が抵抗する。アスカは両腕で上田の左脚を抱えこむ。
「ありました。傷が2つ」上田の傷を長塚と新垣に見せる。
「あたしにも同じ傷がある。越鏡するたびにガラスで擦られたような傷がつくんです」
 ストッキングの脚を向ける。6個の傷が透ける。
「鏡の世界では優性卵プロジェクトが存在しないことに気づいたあんたは、精子提供者が日向透に決定すると、鏡の世界の黒龍会の王龍雲ワン・ロンユンに接触し優性卵の取引を持ちかけた」
 上田は沈黙を貫く。
「ラボの保管庫にも所長の岡島なら簡単に入れる。岡島の研究費横領を知っていたあんたは、それをネタに岡島を手足とした」
 シンが岡島による研究所資金横領の資料を映し出す。
「加えてこいつらは、優性卵の価値を吊りあげるため日向透の暗殺も視野にいれていた」
「なんだと。あの爆発事故は貴様らが」長塚は憤怒の形相で立ちあがる。
「こいつらのしわざと決まったわけじゃありません。ただし、あれと同じことを計画してた」
 長塚は上田を睨みあげたまま腰かける。
「なぜ、上田がこんな計画を立てたか。なぜ大金が必要だったか」
 山際が長塚に視線を向ける。
「一年前、大臣は1カ月間昏睡状態に陥られた。時を同じくして森山たか子が参院選への出馬を取り下げた」
「せっかくお膳だてしてやったのに」
 長塚が苦にがしげに吐き捨てる。
「あの2件はうちの事務所による工作です」
「何!」長塚がぎろりと目をとがらす。
 上田が「やめてくれ」と山際の背に叫ぶ。山際は無視して続ける。
「鳴海アスカのコード名は『眠り姫』」とアスカを振り返る。
「彼女は毒のスペシャリスト。きっちりと眠らせる時間をコントロールできます」
「あの日、彼女は大臣と森山弁護士を眠らせました。詳細については企業秘密なのでご勘弁ください。2件とも上田情報官からの依頼でした」
 山際は新垣の前に立つ。
「ほんとうの依頼者は、総理、あなたではありませんか?」
 新垣が喉を詰まらせる。
「上田が勝手に忖度したのかもしれない。だが、結果的に参院選でねじれ国会を解消し、最大派閥の長塚派の力も削ぎたいあなたに有利に働いた」
 新垣は弁舌の爽やかさと整ったルックスの人気で総理の座に担ぎあげられたと評されている。事実、長塚派の後ろ盾がなければ難しかった。だからこそだろう。長塚派の意見を吞まねばならないことが多い。傀儡政権と揶揄される。少子化阻止特別措置法にしても、新垣は懐疑的である。
「少子化阻止特別措置法に対する反発があの時点では強かった。選挙の争点になっては困る。法案の顔ともいえる長塚大臣には選挙期間中おとなしくしていて欲しい。美人で舌鋒鋭い森山は認知度抜群だ。彼女が長塚派から出馬するとまた長塚派が勢いづく。少数派閥の総理としては、党内パワーバランスをできるだけ平らにしたかった」
「手土産を持参すれば、次の解散総選挙で新垣派から公認を出すと、人参でもぶら下げたのでは?」
 新垣が渋面をつくる。
「そう考えると辻褄があうんですよ。上田が優性卵を売って大金を手に入れようとしたのは選挙資金が必要だったからだ」
 長塚は鋭い眼光で新垣を射る。
「と、ここまでは前座です」山際が手を広げる。
「これが前座か」長塚がすごむ。
「権力闘争にからむ不正なんて政治の世界じゃ朝飯みたいなもんでしょう。俺たちは警察じゃない。どう処理されるかは、おふた方におまかせします」
「では、なぜ」
「闇に葬るにしても、有効に葬ってほしい。使えるカードを提示したまでです。このカードを使ってご英断いただきたい」
「何を、だ」
 山際が長塚の目に焦点をあて言い放つ。
「少子化阻止特別措置法の廃案です」
「寝言をいっとるのか」ドスの効いたしゃがれ声で返す。
「たわ言でもざれ言でもありません。俺たちは真剣です。大臣のご子息も」
「恭介が?」
「少子化阻止特別措置法がもたらす結果をその目で見てご判断ください」
 モニターにバンクラボの映像が映し出された
「あたしは『時』をワープし、少子化阻止特別措置法によって誕生したアンノウン・ベイビーたちの宿命を見てきました」
 子宮器格納庫の場面で自身にそっくりの姿が映し出され、長塚はぎょっとする。だが、どうやらそれで一連の映像を信じる気になったようだ。
「こちらは5年後の映像です。この時点で子どもたちはみな、なんらかの障害を持って誕生することが明らかになっています」
 映像からノゾミのささやきが聞こえる。
「コウモリの羽のリュックを背負っている子たちは、目が見えません」
 アスカは熱いものを喉の奥に押し込めながらノゾミの声をなぞり、子どもたちの障害を指摘する。画面が20年後に変わる。
「なぜ、どの教室も空き教室なのかわかりますか」
「思春期を迎えると、死期を迎える子が指数関数的に増えます。すでにこの時点で彼らの寿命は長くて20年と学者が試算しています」
「20年……」
 寿命が20年しかないことの意味を即座に理解したのだろう。さすがの長塚も沈思する。
 
「親父、見てるか」長塚恭介がアップで写しだされる。「これが親父が百年の大計と豪語して作った法律のなれの果てだ……」
 20年後の息子を長塚が食い入るように見つめる。
「……彼らが20歳までしか生きられないのが現実だとしたら。少子化を阻止して経済を立て直すどころか、この20年で莫大な税金をつぎこんでいる。本末転倒じゃないか。……法案を成立させちゃいけないんだ。息子が人質にとられる未来は望んでいないだろう」
 長塚恭介の訥々とした声が部屋の空気を支配した。
 長塚繁雄は目を閉じて腕組みをしたまましばらく微動だにしなかった。
「三代にわたってこの国の政治を担ってきた。国を良くしようという気概はもっとる」
 深く長い吐息をもらし瞑目する。意を決したのだろう、やおら刮目した。
「10人だな。10人造反すれば法案は参院を通過しない。ねじれ国会が解消されても通過しなかったということの意味は大きい。次の通常国会に審議をかけることも事実上難しくなるだろう。その間にネガティブキャンペーンを煽動し世論の波を起こしてくれれば、廃案はまちがいない。落としどころはそこだろう」
「ソフトランディングですね」
「うちからは5人が限度だ。残りは……。新垣派から3名だ。上田の件には目をつぶる。これは貸しだ。もともと極秘プロジェクトだった。明るみに出すことができない以上、闇に葬るしかなかろう。2派だけでは不自然だな。他の派閥からも1,2名ずつ……」
「私が尽力します」新垣が口を添える。
「数名、体調不良にしたてることは可能ですよ」山際が請け負う。
「ではよろしく頼む」

 黒龍会の男は翌日13日12時21分にラボを南にくだった場所から、札束を抱えて鏡の世界に帰った。岡島はこれから横領罪に問われるだろう。 
 少子化阻止特別措置法の参院での議決は、与党から若手を中心に15名が反対票にまわり、5名が体調不良で退席、両院協議会を開くこともなく廃案となった。2035年通常国会は6月15日に衆議院議長の挨拶をもって閉会した。長塚大臣の周りに報道陣が群れをなし、廃案についての意見を求めたが、苦虫をかみ殺したような表情を変えることなくすたすたと歩み去る。その裏で何があったかを知るのは、わずか7名だけだ。
 似たような法案がまた起案される可能性は払拭できない。長塚は「俺の目が黒いうちは阻止する」と明言した。新垣も「先生のご意思を継ぎます」と。
 
 透、ノゾミと空に呼びかける。「任務完了したよ」
 アンノウン・ベイビーたちが脳裡に浮かぶ。すでに映像から彼らの姿は消えている。
 ――あたしが忘れない、あなたたちのことを。
 アンノウンなんて呼ばれる子がもう二度と生れないように。
 あたしがしたことなんて、悲しい命の大量生産を防いだにすぎない。
 透のように親に傷つけられる子。あたしのように親から捨てられる子がゼロになることはない。親なんて不要だと思っていた。それでも、と今は思う。子どもは生まれてくる場所も親も選べなくとも、母の子宮で育まれる時間は必要なのだと。

 変えられない宿命ではなく、運命は未知でいつだって自らの意思で変えることができる。アンノウン・デスティニィ。未知の可能性、それを人は望みと呼ぶ。

 (to be continued)

最終話に続く。


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