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大河ファンタジー小説『月獅』42         第3幕:第11章「禍の鎖」(7)

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」第10章「星夜見の塔」は、こちらから、どうぞ。
前話(41話)は、こちらから、どうぞ。

<あらすじ>
(第2幕までのあらすじ)
「天卵」を宿したルチルは王宮から狙われ「白の森」に助けを求めるが、白の森の王は「隠された島」をめざすよう薦める。そこでノアとディア親子に出会う。天卵は双子でシエルとソラと名付ける。シエルの左手からグリフィンが孵るが飛べず成長もしない。王宮の捜索隊が来島し、ルチルたちは島からの脱出を図るが、ソラがコンドルにさらわれ「嘆きの山」が噴火した。

(前回までのあらすじ:舞台はレルム・ハン国の首都リンピア)
孤児のシキは星司長ラザールの養子となる。「天は朱の海に漂う」との星夜見に、ダレン伯が天卵の探索に向かう。王国の禍は2年前に王太子アランとラムザ王子が相次いで急逝したことに始まる。以来、王太子の空位が続き、王宮には不穏な権力争いの災禍が渦巻く。それを北のコーダ・ハン国と南のセラーノ・ソル国が狙う。

<登場人物>
ラザール‥‥星夜見寮のトップ星司長
ウル王‥‥‥レルム・ハン国の王
ラサ王妃‥‥レルム・ハン国の王妃・トルティタンの第一皇女だった
カムラ王‥‥レルム・ハン国の前王
アラン‥‥‥元王太子・18歳で事故死
ラムザ‥‥‥レルム・ハン国の第3王子・病で急逝
キリト‥‥‥レルム・ハン国の第4王子
カイル‥‥‥レルム・ハン国の第2王子・妾腹
ルグリス侯爵‥王太后の兄・カルム王急逝後の実質の権力者
ウロボス将軍‥軍のトップ・カルム王急逝後の難局を乗り切る
ヨシム准将‥カイル派の陸軍准将

 飼い殺しという言葉が脳裡をかすめた。
 玉座を降りることはできないが権力も与えられない。ウル陛下は即位以来、飼い殺しの王であった。まつりごとの頂点に君臨しながら、政から最も遠かった。
 カルム王が戦場でたおれられた折、ルグリス侯爵もウロボス将軍もカルム王の遺命に従い難局を乗り切るのに身命をいとわず尽くされた。その働きによりレルム・ハン国の国威は保たれた。それはまごうことなき事実である。
 だが権力という魔物に一度捕り憑かれると人はその美酒に酔いしれる。
 五年前に王太后が薨去され王権はようやくウル陛下のものとなったはずであった。むろんルグリス侯爵もウロボス将軍もとうに第一線を退いていたが、老獪な彼らの息のかかった重臣たちに太刀打ちするには、ウル王は圧倒的に経験も胆力も知略も足りなかった。綿菓子にくるまれ目と耳を閉ざしてきた陛下にも非はある。たとえ傀儡に甘んじられてきたとしても、それを逆手にとって民の暮らしに目を向け、政の真髄について考えることはできたはずだ。諦めることを覚えた者は、生きる意志すら投げ出したといっていい。
 ウル王とはまた別の意味で、カイル殿下もキリト殿下も飼い殺しのお立場であられた。アラン王太子がご健在であった昨春まで、おふた方とも忘れられた王子であった。違いがあるとすれば、目立たぬように生きよと諭されてきたか、末っ子ゆえにのびのびと自由に育ってきたかぐらいであろう。
 いったんは鎮まっていた王統の純血の議論。それが再燃している、カイル派の大義名分として。不意に表舞台に引きずり出され、カイル王子ご自身がもっとも困惑されているのではなかろうか。
 アラン殿下やラムザ王子はよく王宮の広場で剣の鍛錬に励まれていた。歳の順に従えばカイル王子のほうがラムザ王子よりも二歳上であるのだから、武術の鍛錬を共になさってもよいはずだ。だが、そこにカイル王子の姿を見かけたことはない。一度だけ広場を囲む回廊の端でお見かけしたことがある。あれはまだ十二、三歳のころであったか。画帖をかかえ柱にもたれて熱心に衛兵の鍛錬のようすをスケッチされていた。
「みごとな腕前ですな。カイル殿下は画がお好きですか」
 画帖に落ちた人影にちらっと目をやり、うつむいたまま応える。
「好きかどうかはわからぬ。筋肉の動きを観察するのはおもしろい」
 風に散らされそうな声だった。ラザールには目もくれず衛兵をまねて腕を動かしていた。王子の存在に気づいたのだろう。大柄な兵が声をかける。
「カイル殿下も剣の鍛錬をなさりますか」
 一瞬、王子の目に光が宿ったのをラザールは見た。が、はたと気づいたように、次の瞬間にはまつげを伏せて首を振る。
「われにかまわず訓練を続けてくれ。邪魔をして悪かった」
 そう云いおいて、王子は画帖をかかえ去って行った。
 武術は苦手でお嫌いなのかと思っていたが、そうではない。妾腹というお立場ゆえに、剣だけでなく多くのことを諦めてこられたのだろう。共も連れずに去る薄い背を目で追いながら鳩尾みぞおちきしんだ日のことを、ラザールは思い出した。
 息をひそめて生きてきたものを今さら権力の汚泥に引きずりだそうとするのか。ヨシム准将の筋骨隆々たる体躯とカイル殿下の線の細い神経質そうなまなざしを思い起こす。王族とは権力の亡者たちに翻弄されるジェムの駒となることを強いられる運命さだめなのだろうか。
 貴重な宝玉のきらめきが虚しい。大理石のジェム盤の上では輝石でできた駒が転がっている。
 おそらくヨシム准将に誘われていたことを耳に入れられたのだろう。
「むろん、引き受けてくれるであろうの」
 王妃が嫋やかにほほ笑む。
 ラザールがカイル派にくみする前に先手を打ってきたのだ。引き受けるということは、キリト派つまり王妃派であることを表明することになる。
 もしや、とラザールの胸にひとつの考えが灯った。
 キリト王子の立太子を引き延ばしておられるのは、立太子までに不穏分子をあぶり出そうとのお考えではあるまいか。
 黒いベールに顔を隠した王妃に目を向ける。あの幼くあどけなかった皇女はいつのまにこれほどのしたたかさを身につけたのか。母は子のためにつよくなるという。ラザールは瞑目する。カイル殿下の寂しげな顔が脳裡をかすめる。一国の存亡と、一王子の将来とを等しく天秤にかけることはできまい。我もまた王子をジェムの駒として扱うのか。ラザールは奥歯を噛みしめる。立ってしまった波を鎮めることはかなわぬか。ならば、レルム・ハン国がこの大波にのまれて沈まぬように力を尽くすほかない。
 天卵は今どこにあるのか。もう孵ったのだろうか。天卵の子がこの混沌とした淀みを統べる要となるのであれば、禍玉まがたまとなる前に見つけださねばなるまい。
 熟れた桃は地に落ちるしかないのだろうか。


(第11章「禍の鎖」了)
 


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