『オールド・クロック・カフェ』6杯め「はじまりの時計」(10)
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* * * Another Confession * * *
「あんたに中学受験をさせたやろ」
六年生を控えた春休みに突然、同志社中学の受験を母から提案された。塾に通ってはいたけれど、中学受験の勉強をしていたわけではない。あのころからだ、母が桂子の成績をとやかく言いだしたのは。一年そこそこでは準備が足りずもちろん不合格だった。
「南座のロビーで会うた、あの人のお嬢さんが同女、同志社女子中学に合格したいう噂を聞いたんや」
そういうことか。塾からも何度も志望校を下げるようにと説得されたが、母は頑なに受け入れなかった。
「桂ちゃんが同志社に行ったら、見返してやれると。意地になって、しょうもない対抗心を持ってしもて。それがまさかいじめにつながって、桂ちゃんを苦しめることになるとは思うてもみんかった。かんにんな。自分のこと棚にあげて、とことんあほな母親でごめんな」
学校に行けなくなったあの頃、お母さんがあんなに熱心に学校と交渉してたのは、母なりの負い目があったからか。それがかえって、桂子には追い詰められているようで苦しかったのに。
あたしも、お母さんも、ちょっとずつ言葉が足りなかった。もつれた糸は、無理に引っ張れば引っ張るほどほどけなくなる。
――あのころに、と桂子は考える。
お母さんと自分とにちゃんと向き合っていれば、こんなふうにもつれることはなかったんやろか、でも……。中学生のあたしが、不倫とか受けとめることができたやろか。たぶん無理ね、と否定する。お母さんのことを不潔やと毛嫌いし、あげくのはてに自分の存在も否定したかもしれん。
――今やから、と桂子はそっと古時計に目をやる。
「桂子、はっきり言うとく」
祖父が桂子に真剣なまなざしを向ける。
「おまえが万季の腹にいるとわかったとき、わしも久乃も、ほんまに喜んだ。不倫やとか、婚外子やとか、そんなもんは法律の区分だけの話や。生れてくる命とは関係あらへん。そないなことでおまえの価値が下がるわけちゃう。おまえが時の記念日に生まれてくれて、時の神様が授けてくださったんやと思った。こないに嬉しいことはなかった」
母の目は真っ赤だった。公介がその肩をさすっていた。
「桂ちゃんは、うちの宝物。それはほんとよ。かわいくてかわいくて。ほんで、行き過ぎてしもたんやね。最初をまちごうたから、これ以上はまちごうたらあかんと。心配ばっかり先だって、がんじがらめにしてしもて。麩屋町のおばあちゃまとおんなしことをしてたんやね」
「お母さん……」
「ごめんな、何ひとつうまいことでけへん母親で。父さんに入院先の病室で諭されるまで気づかんかった」
「え?」
桂子は祖父に首を向ける。祖父は店を桂子に譲る二年前の年末に肝炎で入院していた。
「賭けやった、桂子が乗ってくるかどうかは」
祖父はにっと笑う。
「おまえたちを引き離したほうがええ思てた。万季は過保護になっとるし、桂子は縮こまって動けんようになってたからな。共依存いう言葉があるんやてな。万季は桂子にかまうことで、幼い頃の満たされへんかった自分自身をかまってたんとちゃうやろか。桂子もな、拒否しながらも甘えてたんや。お互いがお互いを必要としてがんじがらめになっとる。一人暮らしさせるんがええ思た。けどな、わしからお願いして、やってくれへんかでは、ほんまの自立にはならん。せやから、『店を畳もうと思てる』いうた」
桂子は「あっ」といって両手を口の前で合わせる。
祖父はまなじりを下げてうなずく。
「自分から『やる』いうのが、だいじやった」
連獅子の子落しの場面を思い出した。獅子は子を深い谷に蹴落とし這いあがってくる子を育てるという。
桂子は店内を見渡し、この二年を想う。わずかだが祖父から継いだ店に桂子の色もついてきているだろうか。
モミの木の緑がかすかに薫った。
(to be continued)
最終話(第11話)に続く。
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