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『オールド・クロック・カフェ』6杯め「はじまりの時計」(11)

第1話は、こちらから、どうぞ。
前話(第10話)は、こちらから、どうぞ。

<あらすじ>
『オールド・クロック・カフェ』には、時計に選ばれた者しか飲めず、飲むと過去の忘れ物を思い出す「時のコーヒー」がある。
12月のある日、カフェの店主桂子の祖父と母が訪れる。桂子と母親には長年、わだかまりがある。時計が母と桂子の両方に鳴る。「時のコーヒー」を飲んだふたりは、桂子が中学一年生のときの顔見世を思い出す。幕間で桂子は学校でのいじめを打ち明ける。回想からめざめた桂子は、母との不和の原因はいじめではなく、自立に目を背けた自分にあることに気づく。だが、母の万季は別のことが原因と思いこんでいた。
母は南座のロビーでぶつかった男性が、桂子の実の父親であり不倫をしていたのだと告白する。しかも母は、祖母へのあてつけから不倫したと。長年、桂子に隠していたことを次つぎに打ち明ける。

<登場人物>
桂子‥‥‥‥カフェ店主
祖父‥‥‥‥カフェの前店主
万季‥‥‥‥桂子の母
公介‥‥‥‥桂子の義理の父
泰郎‥‥‥‥カフェの常連客・ガラス工芸作家
瑠璃‥‥‥‥泰郎の娘・桂子のおさななじみ

 * * * The Old Clock * * *

 からからから。
 格子戸が乾いた音を立ててすべり、寒風がさっと吹きこむ。
「うー、さぶ。桂ちゃん、こさえてきたで」
 泰郎さんが小脇に何かを抱えて入って来た。
「泰郎君、ええとこに来た」
 祖父が高く手をあげて招く。
「なんや、皆さんお揃いで」
 ぺったぺたとクロックスが土間を鳴らす。さすがに裸足ではないが瑠璃ちゃんがまた呆れそう、と桂子はくすっと笑くぼをへこませる。
「万季、けったいなかっこして、こそこそうろついてるんやてな。皺しわの京雀たちが楽しそうに噂しよるぞ」
「大きなお世話よ」
 二人の掛け合いに目を細めながら公介が隣のテーブルから椅子を一脚運んでくる。
「公介さん、おおきに」
 泰郎はどっかと古時計の対面に腰かけると、
「桂ちゃん、こんなんはどないや」とガラスの皿を斜め前方の桂子に渡す「何それ」と万季も身をのりだす。
 細かな気泡が散らばるガラスの丸皿に、金属の細い長針と短針が嵌めこまれ、皿の縁には金の点が時計の文字盤と同じ十二個並んでいる。桂子はキッシュランチ用の皿を泰郎に頼んでいた。
「何時がええか迷た。食べていくと針が現れて、時計やとわかるほうがおもろいか思ってな。右下にキッシュを置いてたやろ。四時の短針の上にキッシュを盛ったらどないやろか」
「すてき」
 桂子が目を輝かす。ふうん、と万季が鼻をならす。
「これ二十枚作ってもらえる?」
 桂子と泰郎のやりとりを目尻をさげながらながめていた祖父は、交渉終了とみてとると話の矛先をかえた。
「あんな、桂子。泰郎君が毎朝通ってくれとるやろ。わしが店をやっとったじぶんは、気の向いたときだけやったんやで」
「えっ」
 桂子は皿を手にしたまま泰郎に顔を向ける。泰郎は人差し指でこめかみをさすり目をそらす。
「おまえに店をまかせるときに泰郎君に頼んだんや。さすがにわしも心配やったからな」
「今さらばらさんでも」
 泰郎が祖父をにらむ。
「桂ちゃん、誤解したらあかんで。俺は無理して通ってんとちゃう。毎朝楽しみなんや。ここで朝の一杯を飲まんと一日がはじまらん」
 左右の手をちぐはぐに動かしながらまくしたてる。
「瑠璃が結婚した寂しさも、まぎれとる。おおきにな」
 おはようさん、と泰郎が格子戸から顔をのぞかせると店を開ける。それがおきまり。そう思いこんでいた。
 桂子は祖父と泰郎を交互に見る。泰郎は首の後ろを搔いていた。
「瑠璃ちゃんにも頼んだんや。けど、大きなお世話やいうて断られた」
 くっ、くっ、くっと祖父が思い出し笑いをする。
「お願いされんでも入りびたるにきまってるやん。けいじいちゃん、早よ引退したらええのにって前から思ってたわって。そない言われた」
 わっはっはは、と祖父は堪えきれずに腹をかかえる。
「瑠璃あいつ、そんなこと言うたんか。口の悪い娘ですまん」
 謝りながら泰郎は急に気づいたのだろう。
「あかん、店ほったらかしにしてきたから戻るわ。こういうときに限って瑠璃に見つかるんや」
 そそくさと立ちあがる。
「万季、冬にグラサンはやめとけ。公介さん、今度ゆっくり祇園で。正孝いうおもろい男がおるから、そいつも誘うわ。ほな」
 盃を傾けるしぐさをしながら、からからと、引き戸をすべらせる。
「せわしいやっちゃな」
 風に巻きあげられた暖簾の裾が格子戸にはさまった。
 店はまた静寂を取り戻す。かたかたとガラス窓が風と戯れる。
「コーヒー冷めてもたな」と祖父がカウンターに戻る。
 豆を挽く鈍い回転音が響く。ゆっくりと時が螺旋でほぐれる。
 
「これ、ええやん。泰郎にしたら上出来や」
 母がガラスの皿を手に取る。
「あいかわらず、ええ仕事しはるなあ」
 公介が細い目を糸にして感嘆しながら桂子に目をやる。
「桂ちゃん、ランチはじめたんやな」
「一日十八食だけよ。慣れたらもうちょっと増やせるかもしれんけど、今はそれがせいいっぱい」
 桂子は笑くぼをきゅっとすぼめる。
「ぼくもお母さんといっしょに食べに来ても、ええやろか」
「ちょっ……あなた、勝手になに言うてはるの。桂ちゃんのじゃまに……」
「いつでも、どうぞ。ほんでアドバイスもらえたら、うれしい」
「えっ」
 母が皿に手を添えたまま桂子を見つめ、口角を微妙にあげて泣き笑いのような顔をする。涙の筋跡がファンデーションを剥がしていた。
 こんなにお母さんと向き合って話したのは、いつぶりやろ。
 目の前の母は眉をさげて頬をぴくつかせ、ためらいがちな笑みを貼りつけている。怒られるのかとびくついている少女のようだ。
 不倫をしていたのか、この母が。それも子どもが駄々をこねるような理由で。
 ――この人の不倫のはての婚外子か。
 なんか言葉に現実感がなさすぎて、ぴんと来んけど。だからといって、あたしがあたしでなくなるわけやない。
 桂子は掌を広げてかざす。
 おじいちゃんがいて、お母さんがいて、お父さんもいる。瑠璃ちゃんも、泰郎さんもいて、カフェがある。なんも変わらん。
 おじいちゃんの云うとおり。あたしはあたし。
 そうよね、と古時計を見あげる。
 なんだかあほらしなって、おかしくなって、お腹の底から笑いがふつふつとこみあげる。
 母も祖母に甘えたい子どものまま大人になってた。お母さんも、あたしも、いつまでも自立でけへん子どもやった。それだけ。
 それだけのことを、こんなにこじらせてたなんて。
 似た者どうし、ね。
 そう思うとこらえきれなくなって、桂子はぷふっと吹きだし、目尻の玉を人差し指の関節で拭う。
「どないしたん?」
 母が心配そうにのぞきこむ。
「お母さん、顔見世に行かへん?」
 亜希がくれたチケットをテーブルに置く。
「あら、あの日とおんなし二階席やね」
 もう一度あそこからはじめよう。

 ぼーん、ぼーん、ぼーん。
 はじまりの古時計がうなずくように時を打つ。

(6杯め The End)

「またのお越しをお待ちしております」 店主 敬白
 
 


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