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【ミステリー小説】腐心(7)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
住宅街の空家で高齢男性の遺体が発見された。死後五日ほど経つとみられる遺体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。腐敗しない遺体について鑑識の浅田は、ヒ素の関与をほのめかす。検視の結果、死因は吐瀉物による窒息死。死亡推定日時は7月29日ないし30日。だが、行方不明者届の受理は7月31日。事件性が増したため失踪状況を同居家族の次男夫婦から聴取することになった。香山は木本佳代子を取調室で、樋口は和也を相談室で聴取する。香山が失踪と行方不明者届受理に2日の差があることを指摘すると、佳代子は「警察が嫌がるんじゃない」という。

<登場人物>
香山潤一‥‥‥‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史‥‥‥‥巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥‥‥鑑識係員
木本柳一郎‥‥‥被害者・遺体で発見
木本和也(57)‥‥被害者家族・柳一郎の次男
木本佳代子(52)‥被害者家族・和也の妻

「警察が……嫌がる?」
 香山は佳代子の言葉をなぞる。
 行方不明者届を出すまでに二日近くかかっていることを指摘すると、佳代子はそう言い放って冷ややかな目を向けた。取調室の空気が硬くなる。
 無機質な壁の時計は、午後二時になろうとしていた。夏の陽射しが窓辺で踊っている。死体を検分した日は食欲がなくなるが、今日のホトケは傷一つなく腐敗もしていなかったからか、腹が空いてきやがった。まあ、でもメシは抜きだな。まだ聞きたいことの半分も訊けてねえ。
 佳代子の口調には警察への非難が滲んでいる。
 度重なる不祥事で警察への信頼はとうに失墜している。上層部は「日本警察の威信にかけて」というが、そんなものは張りぼての遺物だと香山は思っている。マスコミの尻馬に乗って、理由もなく警察を批判する声は後を絶たない。市民から向けられる視線は冷ややかで、警察と名乗っただけであからさまに嫌な顔をされる。
 だが、佳代子のそれは、誰かの意見に乗ったものではない。届けの場で何かがあったのだ。
 今はSNSの時代だ。爪の先ほどのことでも対応を誤ると警察批判は瞬時に拡散し、火消しが困難になる。行方不明者届は生活安全課が窓口だが、一般市民にとって、生活安全課とか刑事課とかそんな区別は意識されない。皆、同じ警察官だ。
「届けは受理されていますよね?」
 香山は慎重に言葉を選ぶ。
「警察は暇じゃないんでしょ」
 佳代子は薄く微笑み、皮肉を口の端にぶら下げる。
 経験的に女は侮れないと香山は知っている。男は単純だから怯えるとたいてい威丈高になり喚き散らすか、黙秘権を盾にして黙りこむ。自白は取れなくとも攻めどころがわかりやすい。かたや、女は手強い。なめらかに話しても肝心なことは何一つ触れず、話題が本筋からいつのまにか反れる。高圧的な態度をとると、わざと泣くことも厭わない。尋問しているこちらの方が操られているような錯覚を覚えることもある。
 ましてまだ、表向きは被害者遺族から失踪時の状況を伺っているにすぎない。事故とも事件とも判然としない段階だ。相手を立てながら供述を引き出したいが、上っ面の態度では見透かされる。かといって、警察の落ち度を安易に認めるような言質げんちを与えるわけにもいかない。
「確かに様々な事件や事案を抱え、暇な署員などいません。だからといって、多忙を理由に市民の安全確保をおろそかにはできません」
 佳代子がわずかに視線をゆるめる。
「わかっていただければ、いいんですよ」
 どうやら行方不明者届の受理を拒否したのではなさそうだ。あとで樋口に生安生活安全課の記録を確認させよう。
「義父の行方不明は、今に始まったことじゃありません。警察に届け出ただけでも、十回は優に超えています。初めの頃は、それは親身になっていただきましたよ。おかげですぐに見つかって。義父の徘徊は警察にお願いすればいいと心強かった」
 でも、それがいけなかったようね、とわざとらしくため息をつく。
「行方不明が続いたことがあったんです。二週間、いえ十日も経ってなかったかしら。また、お宅ですかって、あからさまにうんざりされてね」
 ひと拍ほど間をおき、試すように香山に目をやる。
「ご家族が保護監督責任を果たしていただかないとって、諭されましたよ」
 香山は天井を仰いだ。これか。
「それからはね、届けはすぐに出さないように気をつけました」
 佳代子は顎をあげて猫背の背をわずかに伸ばす。
 香山はぐっと喉を鳴らし、内心で、クソが、と窓口対応した生安の署員に毒づいた。
 東野市も高齢化が急速に進み、徘徊や行方不明の通報が増え、手が回らなくなっているのは知っている。家族でなんとかしろよ、と言いたくなる気持ちもわかる。だが、口に出して言っちまったらおしまいだろうが。
「それですぐには通報せず、二日後の31日に行方不明者届を出された」
「そうよ」
「警察は市民の安全に努めるべきなのに、誠に申し訳ありませんでした」
 香山は机に両手をついて深々と頭を下げた。小田嶋も席から立ち上がって一礼する。
 届けが遅れたことの説明はついた、が。説明がついたというよりも、正当な理由を警察が与えてしまったという思いが拭えない。ざらりとした嫌な感触が残った。だが、確認すべき点は他にもある。
「発見現場の桜台町は、ご自宅の若草町からだと一駅離れています。これまでも桜台付近まで徘徊されていたんでしょうか」
「遠くても生活圏内というか。せいぜい東野駅前までです」
「どのあたりを探されました?」
「29日は自宅近辺を車で。30日は捜索範囲を広げて駅前付近を。駅向こうのショッピングモール『ウエステ』も探しました」
 東野市は県庁所在地のD市のベッドタウンとして開発された住宅地が点在している。高度成長期に無秩序にディベロッパーが宅地造成したため、新興住宅地間のアクセスが悪く、駅からも離れている。若草町の木本家から桜台町のテラスハウスまで公共交通機関を利用するには、まずバスで東野駅まで行き、隣の晴田駅まで一駅電車に乗って、そこから桜台行きのバスにまた乗車しなければならない。二度の乗り換えが認知症老人に可能だろうか。さらに徒歩となると、成人の足で最短コースをたどっても小一時間はかかり、坂道も多い。老人の徘徊ではかなりの時間がかかっただろう。29日の夜から徘徊したとすれば、あちこちの防犯カメラに写っているはずだ。まずは柳一郎の足取りを追う必要がある。
「発見現場と柳一郎さんとの関係について、何か心当たりはありませんか」
「義父がもともと住んでいた家とは反対方向ですし」
「もとは、どちらに?」
「丸山市です」
 D市を挟んで丸山市は西に、東野市は東に位置する。桜台のある晴田駅は、東野駅よりも一駅東だ。上下線のホームをまちがえた可能性もあるか。
「これまでの徘徊で、丸山市の家に戻られようとしたことは?」
「ありません。そもそも八年前に義母が亡くなったとき、義父は自ら自宅を処分して我が家に転がり込んで来たんですよ。そんな家に執着があるとは思えません」
 そうですか、と合点したところで、香山のスマホが鳴った。樋口からだ。
 すみませんねえ、と断りを入れ、小田嶋に目で合図して廊下に出た。
 座りっぱなしの腰を伸ばしてハイライトに火を点け、一服吸い込む。ニコチンが肺腑に染みわたる。紫煙を細く吐き出しながら、スマホ画面をタップする。
「どうした?」
 ――あらかた聴取が終わったんすけど、一つ妙な点があって。
「なんだ?」
 ――ガイ者が失踪した日付です。
「29日だろ?」
 ――届けには、29日の19時と記載されてます。ですが、木本和也は30日だと言うんです。
「なに?」
 ――木本佳代子の供述は?
「届けと同じ29日の19時頃だ」
 ――おかしいっすね。30日の19時32分に佳代子から和也にメールで柳一郎の失踪を報せてるんです。
「なんだって!」
 香山は携帯用灰皿で煙草をもみ消した。

(to be continued)


第8話に続く。


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