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【取材】ウェルビーイングを成長戦略の中心に 主観指標を重視した富山県の取組み(後編)

公益財団法人流通経済研究所
上席研究員 石川 友博
研究員 寺田 奈津美

こんにちは。後編では、ウェルビーイング指標を活用した政策形成による職員の働きがい創出や、ウェルビーイング推進政策を行う上での課題、ウェルビーイングの観点から見た流通の課題などについて、中編に引き続き富山県 知事政策局 成長戦略室 ウェルビーイング推進課長の牧山さんにうかがったお話を紹介します。

※前編・中編はこちら👇


ウェルビーイング指標を活用した政策形成は職員の働きがい創出にも寄与

牧山さん:実は、このウェルビーイング指標を活用した政策形成の取組みは、職員がやりがいを感じて仕事に取り組めるように、「私たちがこの仕事をしているのは、このためなんだ」と実感できるようにすることも意図しています。特定層の県民の方々のウェルビーイングを向上させることを前提にターゲティングを行っていますが、施策を提供する側で、その事業に派生的に関わる人々や、それに携わる職員もやりがいを感じられるように配慮することも大切ではないかと感じています。

 組織が大きく、仕事の進め方などが複雑になってくると、最前線で仕事を担う現場の職員などは「自分は何のためにこの仕事をしているのだろう?」と思うこともあるのではないかと思います。そのような場合に、「自分の仕事はこの大きなプロジェクトの一部で、それが将来的にはこういう成果につながるんだ」ということを意識しながら働けるようになればいいなぁと思います。

牧山さん:例えば、上の図のような土木の仕事には治水や砂防、インフラの老朽化対策、道路建設などがあります。これらの仕事には膨大な人数の職員や外部の方々が関わり、莫大な資金が投入されます。しかし、一人ひとりの職員のやっている仕事は設計図を描いたり、発注したり、事業者と調整したりといった具合に細分化されます。
 仕事の内容によっては、「仕事のための仕事」と感じられてしまうものもあるかもしれません。そこで、「この仕事にはこういう目的があるのだ」と携わる職員が腹落ちできるようにすることが大切ではないかと考えています。
 
 富山県庁では、このような取組みを通じ、働きがいややりがいを重視した「ウェルビーイング経営」の一つの形として、仕事を通じた職員のウェルビーイング向上も目指していきたいと考えています。

――政策立案において、ウェルビーイング指標を活用し、バックキャスティングで設計するという新しい方法を導入する際に、周囲からの反発や困難はありませんでしたか?

牧山さん:困難な場面はいろいろありましたし、今もまだ過渡期だと思っています。

 まず、人の「主観」というものを念頭に一から仕事を考える、ということ自体に有効性を感じられない、といった方もいらっしゃると思います。そのため、新規の事業に限定せず、今まで行ってきた事業の設計にこの考え方を当てはめてみよう、という呼びかけもしました。自分の仕事の意味や意義を再認識する1つの機会にもできるのではないかと感じています。

 仕事がルーティン化すると、どうしても仕事の現場での動きや、その仕事の先にいる県民を具体的にイメージすることなく、先例踏襲的に物事を進めてしまうこともありがちです。大きな仕事になればなるほど、その仕事によって喜ぶ県民の笑顔を想像するのが難しくなる、ということもあるのではないかと思います。
 県民のウェルビーイングを意識し、仕事の先にある県民の喜ぶ顔を想像することで、やりがいや、お金をかける意義を改めて感じられるようになれば、職員のウェルビーイングも向上するのではないかと思います。

――ありがとうございます。お話を伺っていて、何かを考える際に指標化することの重要性を感じました。単に「みんなの幸せを考えましょう」と漠然と言ってもあまり効果のある施策を生み出せることは期待できない。それを具体的に、主観的ではあるものの定量化されたウェルビーイング指標という形で見える化したということが重要であり、これにより、さまざまな場面で広く適用できる形になっているのではないかと感じました。
 企業の場合を考えても、利益を出すことを最優先に考え、往々にして「誰かの幸せのために」という視点が欠けがちな気がします。ゆえに、企業においてもこのウェルビーイング指標を活用する可能性があるのではないかと感じました。

政策形成における短期と長期視点のコンフリクトを乗り越えるためのウェルビーイング指標の活用

――企業において、自社の利益と社会課題解決の両方を目指す指標として、ウェルビーイング指標を活用することは考えられるでしょうか?

牧山さん:例えば、行政運営において、財政健全化は非常に重要なポイントです。財政が健全であればこそ、行政が住民に安定的、継続的に行政サービスを提供でき、それが住民の日常を支え、安心感につながるからです。ただ、財政健全化そのものが行政の最終目的というわけではありません。単にお金を節約すればいいという話ではなく、住民の日常を支えつつ、長期的視点から、あるいは、災害時などの不測の事態にあっても、適切な判断の下、十分なリソース配分ができるよう備えておく、という観点から、財政健全化は重要とされるのだと思います。

 しかし、行政に限らず、企業においても、特に管理や企画といった部門においては、注意をしていないと、こうした仕事の本質的な意味を見失うこともあるのではないかと思います。だからこそ、どの部門でも、自分の仕事の先に県民の皆さんの生活やウェルビーイングがある、ということを常に意識することが大切なのではないかと思います。これは、民間企業も同じなのではないでしょうか。

――短期的な視点も中長期的な視点もどちらも大事ですが、それらがコンフリクトしやすいということですね。行政でいえば財政健全化と緊急対応的な大型財政出動のバランスの問題であり、リソースの最適配分のためには最終的な県民の皆さんの生活をよくするという視点を忘れないことが重要なのですね。企業で考えてみれば、その短期的な視点での代表は業績ですね。

牧山さん:そうですね。我々地方自治体は住民の皆さんに身近な存在であり、住民目線から施策を考えやすい立場にあると思います。だからこそ、住民のためにどのような政策を立案すべきかを考える際、仰るような短期的な視点と長期的な視点のコンフリクトは、すぐに解決できるものではありませんが、それを無視することなく、むしろそれを意識して、日常的に「頭の体操」をする、より良い施策や制度は、そうした気持ちで仕事に取り組んでいく中で生まれてくるのではないか?と思います。
 ただし、何のルールや目線もないと却って迷ってしまうので、その際に目的を明確化するためにウェルビーイング指標を一つのものさし・羅針盤として使う、というのはアプローチ方法の一つとして有効なのではないかと思います。

――企業においても、短期と長期の視点でコンフリクトが発生することは多いですが、自社のパーパス実現とあらゆるステークホルダーのウェルビーイングを目指すというルールの下で、そのコンフリクトを解消することに挑戦していかなければなりませんね。

ウェルビーイング推進政策を行う上での課題

――ウェルビーイング推進政策を行う上で阻害要因となるものや課題はありますか?

牧山さん:今思い返すと、「言葉の壁」とでもいうようなものがあったのではないかと思います。今はようやく社会的に認知が広がりつつありますが、「ウェルビーイング(Well-being)」はいわゆる「横文字」ですので、当課で取組みを始めた当初は「わかりにくい」というご苦言をよく頂戴しました。また、ウェルビーイング自体が抽象的な概念であるため、どうやって県民お一人おひとりに「自分事」として捉えていただくか、というのは大きな課題でした。
 それについては、先ほどお話ししたように、ダンスを踊ってみたり、県内のいろいろな方の状況を紹介したりすることで、概念を説明するのではなく、「こういうことなんだ」と体感や雰囲気で感じてもらうアプローチも重要なのかなと感じており、今も模索を続けているところです。
 
 県庁内の職員にもっと理解してもらうことも重要だと考えています。県の人事課が定めた、「職員人材育成・確保基本方針」や「職員行動指針」の中にもウェルビーイングの要素が盛り込まれています。これを通じて、職員がこれまで以上に自発・内発的に県民のウェルビーイング向上を目指すようになるものと期待しています。

富山県庁 職員人材育成・確保基本方針と職員行動指針の概要

――ウェルビーイングを推進するうえで、ベンチマークとしているものや参考にされている方はいますか?

牧山さん:いろいろなものを参考にさせていただいていますが、その中にはOECDの調査や、他の県や自治体が先行して実施された調査などがあります。ウェルビーイングに関する様々な研究・調査や書籍等も参考にさせていただきました。また、日本のウェルビーイング研究の第一人者である石川善樹さんには、本県の成長戦略会議ウェルビーイング戦略プロジェクトチームの特別委員もお務めいただき、様々なアドバイスをいただいています。

ウェルビーイングの観点から見た流通の課題:安定的かつ効率的な供給エコシステムの構築

――流通をウェルビーイングの観点で見ると、どのようなことが考えられるでしょうか?

牧山さん:例えば、食品ロス問題をウェルビーイングの視点で捉えると、食品ロスの削減は、企業にとっては廃棄の手間に掛かるコストの削減につながるというメリットがあり、それは家庭にとっても同様だと思います。食べたいときに欲しいものが手に入り、かつ、食品ロスを出さないエコシステムの構築は、企業・消費者双方のウェルビーイングにとって重要ではないかと思います。

 また、現在、物流2024問題などが注目されていますが、流通に関わるドライバーや配送スタッフのウェルビーイングも関係してくるのではないかと思います。例えば、本県のウェルビーイング指標に照らすと、ドライバーにとっては自分時間の充実や、配送を通じて誰かの役に立つという利他意識は、生き甲斐や希望、思いやりということに関連してきます。食品ロスを抑制するエコシステムの構築は様々な面でウェルビーイングの向上につながると言えるのではないでしょうか。

 ある政策を実施する際に、「その先にある誰かの幸せって具体的になんなのだろう?」と考えることが大切なのではないかと思います。流通においても、多くの取引先との配送のやりとりや食品ロス、在庫管理といった様々な課題がありますが、これらをどう最適化するか、そしてその際に経済的な側面だけでなく、関わる皆さんの主観・思いを想像しながら進めていくことが大切なのではないでしょうか。

――富山県の流通において、ウェルビーイング向上が課題になっている事例はありますか?

牧山さん:例えば最近、県内の高齢化率が非常に高いとある地域で、以前から営業を続けてこられたスーパーマーケットが閉店してしまいました。その結果、周辺に住む高齢者が遠くまで買い物に行かなければならない状況が生じるといったケースがありました。
 同様の例は県外でも起こっているとお聞きしています 。

 こうした課題には、民間事業者等と連携したアプローチの余地もあると考えます。具体的な対策としては、移動販売の展開などの取組みがあり、富山県においても事例がありますが、こうした取組みが流通業におけるウェルビーイング向上施策の1つと言えるのではないかと思います。

 今はまだ店舗が存続している地域でも、20年や30年先といった将来を考えると、営業、経営が持続できなくなる可能性もあります。そのような状況を考えると、単に流通、買い物に関する問題だけでなく、購買者が店舗にアクセスするための公共交通の問題など、広範なテーマが浮かび上がります。このように見ると、公共交通システムの問題も流通の問題にどこかでつながっていると言え、住民のウェルビーイングに多面的な影響が出ることが考えられます。

――店舗を持続可能なものにし、働く人々のウェルビーイングを向上させることはもちろん、地域住民のウェルビーイングを向上させることも重要ですよね。
 あるスーパーでは、店舗内で運動をするイベントを開催しています。お客さんが集まってコミュニケーションをとったり、体を動かすことで心身が健康になったりするというのが好評で、大雨の日に他の顧客が来ない中で、体操をする人たちだけは時間通りに集まって来られたほどだそうです。
 他にも、スーパーの隣にデイサービスセンターを併設することで、デイサービスを利用する高齢者にとっては送迎付きで、スーパーでついでに買い物もして帰れるというようなやり方の例もあります。

牧山さん:既存のサービスを組み合わせてビジネスモデル化しているのは面白いですね。もし将来、行政からの支援が不足した場合でも、民間経済が地域で自立して運営できる形でサービスが提供されれば、利用者にとって致命的な質の低下は避けられるのではないかと思います。こうした新しいアプローチがたくさん生まれ、良い方向に向かうと良いですね。

まとめ

 今回は富山県のウェルビーイング推進施策について、富山県成長戦略やウェルビーイング指標の策定、その指標を活用した政策形成の方法や効果、流通業におけるウェルビーイング向上の課題などについてご紹介しました。その中で、特に重要なポイントとして、以下の3点が示唆されました。

  1.   ウェルビーイング指標を活用した政策形成:ウェルビーイングを定量的に可視化し、ウェルビーイング指標を羅針盤にしたバックキャスティングによる政策形成プロセスの導入により、住民の細かいニーズに合った政策形成を行っている。

  2.  ウェルビーイング政策がもたらすつながりと働きがい:ウェルビーイング政策の実行を通して生まれるつながりによって、それに関わる方々のウェルビーイングの向上が見込まれる。さらには職員の働きがいにもつながる。

  3.  政策形成における短期と長期視点のコンフリクトを乗り越えるためのウェルビーイング指標の活用:住民のためにどのような政策を立案すべきかを考える際、短期的な視点と長期的な視点のコンフリクトを避けるのではなく、「頭の体操」として日常的に取り組むくらいの気持ちで政策構築に取り組む。その際にウェルビーイング指標を一つのものさし・羅針盤として使うことが有効と考えられる。

 地方行政の取組みとして、富山県の事例をご紹介しました。ウェルビーイングを成長戦略、政策形成の中心に据えた取組みから、流通や経営にも共通する重要な示唆が含まれていたのではないでしょうか。ウェルビーイングの向上を目指すことは、住民や顧客の最終的な幸せを考えることを意味します。これは、資本主義の負の外部性によって生じるさまざまな問題を解決するために有効な方法の1つと言えます。
 今後、日本が直面する人口減少や過疎化に対応するためには、経済価値の追求だけでは不十分であり、さまざまなプレーヤーが協力して新たなエコシステムを構築する必要があります。企業もウェルビーイングの重要性を理解し、顧客、従業員、地域などのステークホルダーのウェルビーイング向上を目指す経営が求められるようになるでしょう。

――牧山さん、ありがとうございました!

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