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感情と理性

人間から感情が無くなって、善玉の理性にだけ支配されるようになればどれほど生きやすいだろうか。人に裏切られることも、人に対して嫌悪感を持つこともない。朝、出勤前に嫌なニュースを見ることだって無くなるだろうし、道路だって渋滞しないだろう。でもきっと、そんな世の中は面白くない。


あたしは失敗することが怖い。だから常に最悪の状況を想定して何重にも保険をかける。

仕事では、お客さんがどんな性格であるかを観察して、複数の提案を作っておく。社内でも必要なところには十分に根回ししておいて、自分の意見に誰かの同意を得ておく。失敗しないことも大事だが、失敗したときにあたし一人のせいにならない状況をあらかじめしっかりと作り出しておかないと気が済まない(たぶん当たり前なんだけど)。

プライベートではどうだろうか。何人かで連れ立って旅行に行くとなれば、だいたいの場合あたしが幹事をやることになる。そうなると、全員が満足できないと許せないので、しっかりと計画を立てることになる。全員の予算感や趣味嗜好なども考慮しつつバランスよく組み立てていく。しかし、旅行にはハプニングがつきものである。天候や旅程の遅延など、考えだしたら旅行なんてはなからスケジュール通りに行くとは思えない。だから、スケジュールの中には簡単に追加や削除ができる行程を組み込んでおいたり、悪天候時用の別パターンを用意したりしておく。おかげでだいたい全てが時間通りにこなせてしまう。

ではなぜ、あたしがここまで失敗を恐れるのか。たぶん、一度手に入れた大事なものを失うのが怖いからだと思う。

お客さんからの信頼、大切な友人、いま置かれた環境、恋人………。せっかく手にしてきたものを失わないように失敗を恐れ、そのリスクを下げにいく。あたしの力でできる部分は保険をかけまくることで対応できるが、そうもいかない部分がある。それは、人の感情である。どれだけ人を思って生きていても、人の感情が自分の意図せず動くことなんて往々にしてあるだろう。どれだけ好きでいても浮気されるときは一瞬だし、どれだけ懇意にしているお客さんでも他社に流れないとは限らない。それだけ自分でコントロールできない、感情というものは非常に恐ろしい。


あたしにとって、新しいものを得る喜びの大きさは何かを失ったときの悲しみの大きさには到底及ばない。環境の変化ほど怖いものはなく、現状維持ほど心地よいものはない。

感情が1%でも存在する限り、どれほど理性があっても人に対して完全な信用をすることはできない。あたしにも感情があって、そのためにこれまで人に迷惑をかけて生きてきた。身を持って感情が理性を飛び越えていくことがわかっているからこそ、人の感情が信用できない。

感情のない、理性に支配された世の中はきっと面白くもなんともない。ただ、あたしにとっては今よりも考えることも減って、楽な世の中でもあるような気がする。

社会性が高まった集団は滅びる。こんな社会になったら一瞬で人間なんていなくなりそう。

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