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影響を受けた先生 〜美術編

先週〜今週は新しく始まったNHKの朝ドラ『らんまん』を観て
感動で泣いてばかりでした😭 池田蘭光先生、あれぞ先生!!
ちょうど先生について書こうと思っていたので余計響いたのかな。

自分が講師業を始める時、自然と過去にお世話になった先生達のことが思い出されました。皆様もそうだと思いますが、幼稚園から現在に至るまで、数多くの先生に教わりながら育ったことと思います。

その中でも特にお世話になり、私の人生に影響を与えたのが
小学校の時の美術の先生「野々目桂三先生」です。

以下、ひつじcafeさんのblogより引用
「野々目桂三先生は、東京都の図画工作専科として私たちの大先輩であるとともに、映画『絵を描く子どもたち-児童画を理解するために-』(1956年、岩波映画製作所、パートカラー、38分、監督・脚本:羽仁進、撮影:小村静夫、録音:桜井善一郎)の青年教師としてご出演され、戦後の創造主義的な造形教育を開拓されてきました。

戦後の焼け野原の中で子どもの表現の自由や創造性をもとめた野々目先生をはじめとする多くの先達の跡型の上に、現在の造形教育も存在します。

野々目先生のご逝去は、時代の推移を実感させるものです。野々目先生たちが開拓してきた水脈は、途切れてはならないもののひとつです。」
引用終わり。

…知らなかった😨 まさかこんな凄い先生だったとは…!!
今回noteを書くにあたり調べて、初めて野々目先生の経歴も映画も知りました。そして2017年に亡くなられていたことも。blogに書いてくださっていたひつじcafeさんに感謝です。

ただ、思い出と照らし合わせると合点が行くことばかり。
以下 数10年ぶりの答え合わせになります。

私が小学生の頃、一番好きな教科は美術でした。
美術が好き=美術の先生も好き、美術室も道具もどれもこれも好きでした。
あまり喋らない子どもでしたが、しょっちゅう美術室に遊びに行っていたので、私の「好き」は各所に伝わっていたと思います😍

野々目先生は、決して「描き方」を教えたり「頼んでないのにアドバイス」など一切せず、ただ子どもを「見守ってくださる」タイプの先生でした。

なので野々目先生から教わったというより、好きこそものの上手なれ?で好き勝手描いていたら小学校中~高学年になると絵で賞を取るようになったのですが、自ら応募した訳ではなく、陰ながら推薦~応募してくれていたのは野々目先生だったのです。

私はただ目の前の「好き」を追っていただけでも、野々目先生はいつの間にか学校の目立つところに絵を貼ってくれたりと色々動いてくださり、特に言葉を交わさなくとも十分に先生の存在を感じたのでした。

すっかり自信(勘違い?w)を持った私は、小学校高学年で野々目先生に進路相談に行きます。ざっくりと美術の道に進みたいけどどうしたら良いのか?と。先生はまだ小学生の私に、世の中には美術の学校というものがあること、都内の女子美なら中学校もあることなどを教えてくれました😀

それを意気揚々と母親に伝えたところ「母子家庭で私立校なんてとんでもない!」と秒却下 → 公立の中学校に行きましたが、それはともかくとして…

私が後に奨学金などで女子美(短大)に行き、そしてデザイナーになれたのも、幼少期に野々目先生との出会いがあったからです。
講師は始めたばかりで、とても野々目先生の足元にも及ばないけれど

ひつじcafeさんが書いていらっしゃった「野々目先生たちが開拓してきた水脈は、途切れてはならないもののひとつ」を意識するなら、教えているジャンルは違えど、子どもたちが目標を達成できるよう精一杯やらせていただきます!という気持ちです。

3/5が命日だったんだなあ、、皆様には「あの人がいなかったら今の私は居なかった」と言える誰かがいらっしゃいますか?

写真ac/ぴぴふぉとさん


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