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17歳になる私の人生観

もうすぐ17歳になる私が、いまの言葉で自分の人生観についてを記録したものである。恐らくもう少し歳を重ねた後に、加筆修正し再投稿するだろう。



【人生観とは】

そもそも人生観という言葉の意味がピンと来なかったので辞書を引いた。

人生観──人間の生き方や生きることの意味に関する考え。人生の価値・目的・態度などについての考え。(大辞林より)

要するに、自分が人生についてどう考えているか、という意味だと汲み取った。ということで、辞書の例に載っていた人生の価値・目的、そして私が思う人生の生き方について今回は書いていこうと思う。


【人生の価値】
人生の価値とは、ひとりひとりが自分で決められる自由なものであると、私は思っている。ただ、決められると言っても自主的に決められる訳ではなく(もちろん自己の中で思うのは自由だが)、最終的に自分の人生の価値を評価するのは他人な訳である。
ひとつ分かりやすく例を出してみる。画家のゴッホである。彼は画家でありながら、生前に数枚しか作品を売ることが出来なかったと言われている(諸説あり)。だが今日に渡り、没後125周年記念の展覧会が開かれるほどに彼の作品が注目されるようになった。それでは、彼の人生に価値はあっただろうか?この問いに多くの人があったと言うだろう。しかし、生前に数枚しか作品が売れなかったゴッホ自身は、己の人生について価値があると考えたのだろうか?どう考えたかは誰にも分からないのである。つまり、本人がどう考えていたかは別として、本人が意志の主張をしない限りは最終的に人生の価値は他人によって大きく左右されるものである。

というのが、私の半分が考えていることである。
ここから先は、私のもう半分が思っていることである。

だからと言って、自分の人生の価値を他人に評価されることだけを考えて生きていくべきなのだろうか?いいや、それだけは絶対に違うと思う。例え、誰かが私の人生を批評したとしても私はそれでいいと考えている。結局のところ、自分の人生を生きていけるのは自分自身だけであり、それは変えることのできない決定的事実である。だからこそ、人生というものは主体的に自分が動き、自分勝手でいいと思っている。自分以外に頼れる人は居らず、全ては自分の意思で動いているものであるからだ。その考えでいくと、人生の価値というものは自分の心の中に秘めておけばいいのだ。他人と共有しなくて良くて、自分さえ自分の人生の価値をわかっていれば良いのだと思う。

また成功=人生の価値があるというわけでもない、というのは次の項目で綴っている。


【人生の目的】
人生の目的は特にないと思っている。毎日人が死んで誰かが生まれている。その中のたまたま生まれた1人に過ぎないので、目的などは特にない。強いて言うなら、死ぬということ(循環を途切れさせないこと)だと思う。ただ目標はある。(個人的に、目的=達成すべきこと、目標=努力して達成に近付くこと、だと思っている)他人に必要とされることである。よく言えば、他人を助けることである。私は強い人間では無いので、他人から必要とされることでしか自分の存在意義をまだ見いだせずにいる。それを理解した上で自分が弱者と呼ばれる困窮者の上に立ち、救済したいと思っている。助けるという行為には必ず弱者がいる。その事を忘れてはならず、常に弱者側に配慮しなければならないと思っている。話が逸れたが、人生の目標達成(成功)が人生に価値があることになるという訳では無いと思っているのも私の意見の一つである。目標達成までの道のりで出会った人間や、乗り越えたことがその後の己を構築し、また人生の価値となるのだと思う。目標というのはただの目安にしか過ぎないのである。

【人生の生き方】
人生の生き方というのは実に多種多様なものであり、誰一人として同じ生き方をしている人はいない、故に参考にするべき教材もなく、こればかりは自分で自問自答しながら長い時間をかけて漸く答えにたどり着くのであろう。そんな問いに16歳ぽっちの私が何を語れるのかと言われると、なんにも言い返せないが私なりの考え方を並べてみようと思う。

ひとつめは人生はまだまだ長いので、無理をしないことである。終わらそうとその気になれば、いつだって終わらせられるのだが、自然の循環に逆らうのはあまり好きでは無いのでそのことは一旦棚に上げておく。無理をしたところでどうにもならないのだし、人生の道のりはまだまだこれからなのである。大して急がなくたって平気なのだ。そして次に大切だと思っているのは、自己愛である。こんな嫌になるほど長い人生をずっと一緒に生きていくのは家族でもなく、あなた自身なのである。嫌いになるよりは好きになった方が何倍もマシであろう。と言いつつ、自己愛はこれまた難しい問題なのである。この時代に自分のことばかり気にかけていては変な人だとレッテルを貼られるのだろう。なので、自己愛と言っても、嫌いでなければいいと思うのである。傷付けたりせず、だけれども特別気にかける訳でもない。それくらいの距離が1番ちょうどいいのだと思う。そしてこれが1番大切なのだが、大抵の事はとうにかなると考えることである。結局のところ、大抵の事はどうにかなるし考えたって無駄なのだ。だから、こんな長い文を書かなくたって良くて、こんなに書いてる暇があるなら部屋片付けたり明日に備えて早く寝るべきなのだ。というふうに別にこんなに書くつもりはなかったのだが、ついつい書いていたら止まらなくなってしまったので今回はこれくらいにしておこうと思う。もし余裕があれば、これを読んでくれた人も、自分の人生について価値や目的、生き方など少し向き合ってみては如何だろうか?寝ながら考えると、きっとすぐに寝れるだろう。


それでは、おやすみ。


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