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駅家町の玲子さんの「うずみ」 grandma’s life recipes

 世界を旅していると、容姿もカルチャーも唯一無二な個性豊かなばあちゃんたちに出会う。そして、そのばあちゃんそれぞれが繰り出す料理も同じく。育ってきた国も文化も違うのだから容姿も味わいも違って当然のこと。そうは思っていても、箸やフォークを口に運んで、「……あれ!?」と驚いたり、「……なぜ?」と手が止まる料理がある。今回出会った料理もそのひとつ。何気ない見た目に驚きと不思議が隠されている。そして、その不思議の由来は、味わい深い一口ずつが私の胃袋に落ちていくまでに、ばあちゃんがちゃーんと紐解いてくれた。名家に嫁いだ玲子ばあちゃんが教えてくれたのは、この地域でお祭りの際につくられたという秘密のご馳走、「うずみ」。

「遠いところからわざわざご苦労様でした。まずは、お茶で一服されてはいかがでしょう」

 裏千家の師範であるという卜部(うらべ)玲子さん。訪ねたのは、町内に(古代)山陽道が通り、宿駅が設けられていた歴史に由来して付けられたという「駅家町」エリア。近隣には寺跡や大規模な古墳が集合して見られる。知らされた住所を片手に到着したのは、美しい日本庭園とともにある立派な日本家屋。まずは、とお茶室に案内していただいたけれど、ピンチである。あぁ、こんなお作法が問われる局面になるとは。お作法をきちんと学ぶことなく生きてきたことへの漠然とした後悔に襲われそうな私に、「リラックスして楽しんでくださいね」、優しくそう言って、玲子さんは栗きんとんを出してくれた。

 ぎこちなくいただくその栗きんとんは、手作りだそうで、優しく甘い。そして、玲子さんは凛とした所作でお茶を点てる。

「この茶碗は、先代のものなんです。わびさびを大切にする素晴らしい茶人でした」

「例えば」と言って玲子さんが教えてくれた。指したのは、お茶室の床の間。

「床の間は蹴込床と言って粗末な床なのです。その上、床板も5枚の板(樫・肥え松・黒柿・桜・欅)の寄木床です。お客さまの見えるところはあえて質素にして、対比は客用の湯殿・手水は欅1枚板で漆塗り。祖父はそのような風雅と遊び心の持ち主のようでした」

 これまでに出会ってきたばあちゃんたちとは、始まりからひと味もふた味も違ううえ、88歳だというのに、「ばあちゃん」という感がない。料理は、有名なクッキングスクールに20年通い、講師の資格まで持っている。和食も洋食も、お菓子までもだ。今も、「ご飯は必ず自分で作ったものだけ」なのだと言う。

 教えてくれる料理に玲子さんが選んだのは、今でもこの地で行われる収穫を祝うお祭りで出されるという「うずみ」。一見すると、盛られたごはんに出汁が注がれた質素な料理。玲子さんの話では、由来はこうだ。江戸時代、福山藩藩主(初代藩主 水野勝成公)によって倹約令が出された。贅沢品が御法度になったなか、えびなどの贅沢な具を隠して食べようと、ご飯の下に埋(うず)めたのが始まり。今では、福山の郷土料理となって語り継がれている。研究熱心な玲子さんだから、質問の一つひとつに、この土地の歴史風土を紐解いて答えてくれる。

 「10月15日のお祭りご飯ね。親戚じゅうが集まって、何人来ても良いようにと新米をたくさん炊いて作ったの。当時は松茸は山に行けばあってね、ご馳走はどちらかというとエビの方でしたよ」

 まず、出汁を取る。小えびはさっと洗い、少しの水と酒でひと煮立て、冷めて頭尾皮を取る。その汁を使う。煮干し、昆布を濃いめにとり、えびの汁を加えたものを用意する。

「この前ね、孫が来た時に、出汁を少しだけ手抜きしたら、『あ、おばあちゃん手抜きしたでしょ』って言うの。うちの子たちにはわかるのね」と、愛おしそうに笑う。

 出汁に里芋を入れて少し煮て、松茸、エビ、ネギ、豆腐を入れる。素材はどれも、同じ大きさにきちんと切り揃えてある。性格って、こんなところによく現れる。そして、お酒、醤油、みりん、塩で味を整える。少し火を入れたら、お椀によそい、具が隠れるように炊きたてのご飯を乗せる。

 被せたごはんの上にはゆずの皮を削ってふりかけて完成。お椀の蓋を閉めれば、ほら、あのごはんの下に豪華な具があるなんて、誰にも知られていない。

 うずみを乗せたお膳に、玲子さんは、さらに料理を並べていく。菊菜と柿とこんにゃくの白和え、大和芋をすりおろして作った酢の物に、出汁巻やなすの焚き合わせ。最期に香の物が乗り、美しい懐石料理となった。

 席に着き、うずみのお椀の蓋を開けてみる。すると、真っ白いごはんから、ゆずと松茸の香りがふわりと広がってくる。これでは埋めた秘密がすぐにバレてしまったんじゃないかとドキドキする。私がご飯をそっと食べると、「ずずずっと、かきこんでくださいね」と、玲子さんは言う。上品な器に乗った秘密のご飯をかきこんでしまうだなんて、さらなるギルティプレジャーだ。しかし確かに、ずずずっとかきこむと、より美味しく感じられる。どのお皿も、玲子さんの几帳面な性格が現れた切り方と、丁寧な味付け。品格が漂っている。

「忙しいんですよ」と楽しそうに笑う玲子さんは、毎月1冊の本を読み、お茶の教室も開く。そして、村の文書を解読してはパソコンでデータ化。私には何ひとつ読めない古文書だ。これは、地域でのボランティア活動なのだそう。さらにパソコンで自作しているというレシピ冊子たちは、美しい仕上がりで本棚に並ぶ。そんなにたくさんのスケジュールをどうやりくりするのかと思うと、朝は毎日5時から動き出しているのだそう。家の前の畑も自ら手間をかける。畑もやっぱり整然としている。大根、白菜、葱……、と順に整列。なんとこれ、娘さんたちに送るための「お鍋セット」の畑なのだ。

 知性と教養、品格が漂う玲子さんだけれど、実は、4歳で出身の笠岡から大阪に移った後、大変な戦時期を過ごしたのだそう。

「焼夷弾は毎日落ちてくる。本当に辛抱の日々でした。高女2・3年生の頃は軍需工場へ。お国の為にと学徒總動員。勉強なんてできなかった。女の子たちはみんな栄養不足で足がむくんでいました。それでも、その時に支給される『ぬかパン』をいただきたいために行ってたの」

 本当に食べるものがなくて、1合のお米にたくさん水を加えてできる限り量を増やして家族5人で分けて食べた。

「育ち盛りの兄が、『もうないの?』と何度も聞くから、母がね、半分分けてあげるんですよ。自分の食べる分まで。あの時の母の姿は、今でも思い出すの……。その兄は20歳余にしてルソン島付近で戦死したようで不明です。親は本当に悲しんでいました」と、こみ上げる思いと涙を溢れさせまいとまた胸に詰めこむようにして飲み込む。26歳の時、卜部家へ嫁いだ。この家は江戸時代に庄屋・地主として地域を支え貢献したが、不遇没落し、その上農地改革でわずか600坪を残すのみになった。

「昔は一度家を出たら戻れなかったし、嫁いでからは、『はい』以外の言葉は言えなかった」

 それからは、家の仕事を一挙に引き受け、卜部家の味付けを覚え、子どもたちを育てあげた。子どもが少し大きくなってからようやく許された玲子さんの自分の時間が料理とお茶の教室への外出だった。

やっと巡ってきたその時間は、どんなに大切なものだっただろう。与えられる時間を無駄にせず、誰よりも研究して身につけていく。今、玲子さんが「忙しいんですよ」と言っても笑っているその理由が少しわかった気がした。

 「みんな同じ人間なんだから、あなたも努力してできないことはない」

玲子さんのお母さんはいつもそう言ったのだそう。努力で身につけた教養や立ち振る舞いは、凛として強く美しい。ごはんの下に隠されていたご馳走と一緒に、今日の教えをしっかり吸収しなければと身の引き締まる思いがした。

【ばあちゃん訪問】
中村 優(なかむら・ゆう)
タイ・バンコク在住の台所研究家。『40creations』代表。大学時代にさまざまな国をまわる中で「食は国境や世代を超えて人々を笑顔にする」ことを実感。2012年、世界各国の地域からの「とびきりおいしい」をおすそ分けするサービス『YOU BOX』スタートと同時に、世界中のばあちゃんのレシピ収集を開始。3年間で15カ国の100人以上のばあちゃんたちと台所で料理しながら会話し、彼女たちの幸せ哲学を書き上げた『ばあちゃんの幸せレシピ』(木楽舎)著者。2018年、タイにてTASTE HUNTERSを現地パートナーとともに立ち上げる。
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