見出し画像

感想文:応答とは、別の仕方で

これは、同人作家・楼さんの『ALTERNATIVE』という作品についての感想文です。ネタバレが含まれます。ご了承ください。
※現在、楼氏のTwitterアカウントにて、Twitter版を全編公開中。(楼@C_Yagura 2020/3/1のツイート参照)

楼『ALTERNATIVE』N/F/R/C
コミティア130 

1.問いかけ、呼び声

繰り返される「問いかけ」が発するリズム。ベタ塗りのコマに浮かぶ「問いかけ」のひとつひとつに身体が揺さぶられる。

「問いかけ」が刻むリズムに乗って、読者は主人公リオの生活に共感し、いつの間にか「問いかけ」が自分への「呼び声」なのだと錯覚する。こうして、リオの「問いかけ」は、読者への「呼び声」へと変わる。

「Q:生活はできそう?」

漫画内で登場するこの「問いかけ=呼び声」は、ロックバンド・syrup16gの「生活」という曲からの引用だ。この曲は「問いかけ=呼び声」を受け取ってしまう人の心情を見事に描いた名曲である。受け取った呼び声はハウリングして、自分の中で何度も鳴り響く。反復強迫。毎日鳴り響く、目覚まし時計。

いったん、「問いかけ=呼び声」が聞こえてしまえば、その声は耳から離れない。
楼氏の『ALTERNATIVE』は、この「問いかけ=呼び声」との闘いの物語だ。

「呼び声が聞こえる」だなんて言うと、「中学二年生じゃないんだから」と言われるかもしれない。その次に言われるのは「無視しなさい、大人なんだから」だろう。

そして気がつくのだ、これは誰に言われているのでもない、この声は自分の中から発せられている。

「中学二年生ジャナインダカラ、無視シナサイ、モウ大人ナンダカラ」

呼び声は自分の中から聞こえる。うるさい。これを止めるにはどうしたら良い? いっそ応答したら良いのか? 社会の役に立ちます、誰かのためになります、意味があります、価値があります。

しかし、どれだけ応答しても、自分の中で鳴っているのだから止められない。呼び声は答えたそばから回帰する。まるで山びこのように、「何の意味がある? その根拠は? 生活はできそう?」と。

この反復強迫と、どう闘えば良い? 

2.応答とは、別の仕方で

自分の中から反復強迫的に響く「問いかけ=呼び声」とどう闘ったら良いのか?
楼氏は二つのことを描いている。

一つ、声が聞こえたら、まずは酒を飲め。さすれば酔う。酔うと振幅が増す。酒は感情のアンプだ。

二つ、酒というアンプの効果で呼び声が深く響きだしたら、ディストーションを踏め。

ディストーションで音が歪む、その瞬間がチャンスだ。歪んだ隙に一撃を。クーデター。声が聞こえたら、神の声さ。ならば、その神の声ごと歪ませろ。声の出所にフェンダー・ジャズマスターを投げつけてやれ。

呼び声には応答するな、歪ませて一撃を食らわせろ。楼氏が『ALTERNATIVE』で描いてみせたのは、応答とはちがう、別の仕方だ。 

3.二つの道と、か細い線

楼氏は、強迫的に反復して止まない「問いかけ=呼び声」に対して、応答とはちがう「別の仕方」で抵抗する物語を描いてみせた。

「別の仕方」とは、王道とパンクの対立の外側だ。王道ではない、かといってすべてを否定するパンクでもない、第三の道。

趣味でも生業でも、創作活動の経験がある人にとって、王道でもパンクでもない道は、行き先が見えない、とても不安な道だ。創作活動ではなくとも、普段の生活においてもそうだろう。

この道はあまりにか細い。道と言うよりも「線」に近い。か細い線は、先が見えない。そんな線は本当に存在するかも疑わしい。それでも楼氏はこの線を引いた。

『ALTERNATIVE』において、このか細い線は二度引かれる。一本は、主人公リオが創作活動を取り戻すために引かれ、もう一本は、この漫画を成立させるために引かれている。

少し大げさだろうか。だか、二本目の線は、最後のページ、最後のひとコマで確実に引かれている。
この二本目の線にたどり着くため、あえてここで、『ALTERNATIVE 』の粗筋に立ち返ろう。

偉大なロッカーは27歳で死ぬ。28歳になってしまった主人公のリオは、「呼び声」に曝されながら、創作活動と労働の二重生活を営んでいる。「呼び声」の反復強迫によって、創作活動は棄損され、リオはスランプに陥る。
そんな中、小説家の親友が「この先、創作をしなければ、今作った作品が遺作なる」と言うのを聞く。親友の言葉に触発されたリオはいま一度「呼び声」の世界に立ち向かう。
リオは考える。リオの創作イメージは「遺作」にとても近い。だがしかし、単なる遺作ではない。28歳になれなかった自分が作るはずだった遺作を作る、という歪んだイメージ。遺作を作るには死なねばならない、しかし自分は生きている。区切れなかった区切り、死ねなかった人間の遺作、「問いかけ=呼び声」は煮詰まって「禅問答」と化す。
すべてが混沌のまま、リオは缶チューハイ(アルコールは感情のアンプ)を摂取し、ディストーションを踏んだ。
「呼び声」が歪みだす。リオは狙いを定めて、フェンダー・ジャズマスターを投げつける。ジャズマスの一撃で、歪んだ「呼び声」に穴が空く。その穴から光があふれて、ようやくリオは新曲を作ることができた。
リオは気がついたのだ。この経験自体を曲にすること。それ自体が、遺作とは違う遺作、区切れなかった過去を区切ることなのだ。

この一連の出来事が一本目の線だ。王道として「遺作」を作るのではなく、またパンクのように「遺作」を否定するのでもない。
リオは「歪ませた遺作=遺作ではない遺作」を創作した。それは、遺作を作れなかったこと自体を作品にすることだった。
リオは「呼び声」の中で、ディストーションを踏み、ジャズマスを投げつけることで、か細い線を見つけた。

そして二本目の線は、一本目の線の上に重ねるように引かれている。
最後のひとコマ、最後のモノローグ。
「それがこの曲です」
これは「それがこの漫画です」と等価である。

つまり、リオだけではなく、楼氏もまた『ALTERNATIVE』を描くことで、「別の仕方」を実践している。『ALTERNATIVE』は、王道でもパンクでもない、リオの創作と作家の創作が重なり合った二重線なのである。

「リオ=楼氏の二重性」が「別の仕方」の現実性を保証する。物語でしかない、現実には存在しない「リオの新曲」が、『ALTERNATIVE』という漫画として現実に存在する。

「リオの新曲=楼氏の漫画」というメタ構造によって、物語から現実へと階層が一段上がる。

エレベーターに乗って上階へあがるときに感じる重力。この重力だけが、か細い線に重みを与える。か細い線が、重みを得て二重線になる。

最後の一コマで、リオの新曲と楼氏の漫画を同じものとして描くことで、『ALTERNATIVE』は現実的な説得力を得る。これが二本目の線である。 

一本目の線の上に、描き重ねられる線。それは、王道ともパンクとも違う、別の仕方を現実化する、二重の線だ。

4.別の仕方へ

「問いかけ=呼び声」に曝される毎日。
私の眼前に、王道とパンクという二つの道。

「呼び声」は私に言う。
「ドチラカヲ選ビナサイ」
怯える私、眼前の二つの道。

気がつくと隣に楼氏が独り立っている。
そして、楼氏が独り呟く。
「ディストーションを踏め」

私の視界が急に歪み、隣の楼氏は消えていた。
足元に『ALTERNATIVE』と書かれた本が置かれている。
私は屈み、地面に膝をつき、本を手に取る。
掌に感じる物理的な重み。
この物理的な重みだけが、現実性を、そして楼氏がここに居たことを保証している。

楼氏の引いた二重線、か細い線に重みを与えた力。
その力が「問いかけ=呼び声」に怯える私に、そして王道にもパンクにも行けない私に、第三の道を行く勇気をくれる。

私は立ち上がり、眼鏡をかけ直す。
私は独り立っている。
私はディストーションを踏む。
いま私が書いている、この感想文が歪んでいく。
これは批評でも詩でも小説でもエッセイでもない。
別の仕方へ。

fin.


引用・参考
楼 「ALTERNATIVE」
syrup16g 「生活」
syrup16g 「coup d'État」
NUMBERGIRL 「我起立一個人」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?