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せっかく中学受験したのに不登校(3) ~近過ぎた親子の距離~

2022年 夏休みの終わりとともに始まった我が子の不登校。
でもいまどきは一昔前とは違い、不登校はもう珍しくないのかも?

いまどきの中1娘、いまどきの母(私)、そしていまどきの学校。
私に多くの気付きを与えてくれる娘の不登校が、現在進行中です。


娘の不登校に理解を示す担任の先生の言葉に一安心した私。
そんな私に担任の先生はもう一つ大事なことを気付かせてくれました。

担任の先生が気付かせてくれた「母と子の距離」

担任の先生との面談の際、先生は私たち親子の様子を見ながらあることに気付き、それを私に指摘してくれました。

それは私と娘との距離が、中学生の親子にしては近過ぎるということ。
つまり、母子密着ということですね。
私自身は娘の自立を強く意識して子育てしてきたつもりだったので、思わぬ指摘に最初は驚きました。
しかし、親子の距離について考えを巡らすうちに、不登校だけでは済まない大きな問題があることに私は気付きました。
やっぱり私は過保護な親だったと気付かされたのです。

「言葉」よりも強いメッセージを送る「態度」

これまでの自分を振り返ると、私が娘にかけてきた言葉と実際の行動が、実は矛盾していたことに気付きました。
娘の自立のために良かれと思い、これまで私が娘にしてきたことを挙げると

  • 娘が求めてないのに、自立の大切さについて言葉を尽くして語る

  • 自分の歯を自分で守る習慣を身につけさせるため毎晩「歯を磨いた?」と声をかける

  • 清潔を保つ習慣を身につけさせるため毎晩「お風呂に入って」と言う

  • 自立できる学力を身につけさせるため毎日「宿題したの?」と声をかける

  • 生活のリズムを身につけさせるため毎朝起こす。

  • 娘が求めてないのに、世の中で生きていくのに必要な教養について語る

こうやって挙げてみると、自分でもうんざりするほど娘に指示したり先回りしていたことがわかります。
「我が子の自立のため」と言いつつ、実際の私の行動は娘に対して
「あなたは指示されたり世話を焼かれたりしないと生きていけない頼りない人」
というメッセージを送っていたに違いありません。

子どもに植え付けられる「依存心」と「人生への諦め」

子どもが小さいうちは親があれこれ指示したり世話を焼かなければならないでしょう。
でも、これはあくまで小さな子どもに対してすべきことで、ある程度大きく育てばやめていくべきこと。
まして、思春期を過ぎた子どもに対してすべきことではなかったと反省しています。

一方的に指示されたり世話を焼かれた子どもは、自分自身を頼りない人間だととらえ自信をなくすでしょう。
実際、娘は自己肯定感が低く、私はそれがずっと気になっていました。

また、娘は親に対して依存心が強く、面倒なことはすぐ親に丸投げする一方で
「どうせ親が決めるんでしょ」
と被害者になったように諦めた様子もあり、それも私には不思議でした。
都合よく親に依存したかと思えば親のせいにする娘の態度に、私はずっと悩んできました。
でも、その謎がやっと解けた気がします。

「親の指示に従ってさえいればいいのだから、私に責任は無い」
という無責任な依存心と
「自分の人生はすべて親が決めてしまう、自分では決められない」
という人生への諦め。
娘のこういった態度は、親の過保護が原因だったと気付きました。

親離れが先か、子離れが先か

一方、私がこれまで娘を小さな子ども扱いし続けてしまったのは、娘がとても甘えん坊だったから、というのもあります。
小さな子のように甘えて頼られると、こちらとしてもつい
「助けなければ」
という気になります。
そして、あれこれと世話を焼くうちに、気付けば過保護になっていました。

思春期が始まる小学校高学年ごろになると、多くの子は自然と親に対して反抗的になり、親と距離を取りたがるようになります。
このように親離れが先に訪れるパターンの方が多いでしょう。

しかし、うちの娘のようになかなか親離れしない子に対しては、親が意識して子どもと距離を取らなければならないのかもしれません。
そうやって親が先に子離れすることで親離れを促すということです。

子離れを目指して

親がなかなか子離れできない理由として私が考えるのは、以下の2つです。

  1. 子育て以外の生きがいが無い

  2. 子どもの人生が心配でたまらない

上記のうち1については、私も夫も子育て以外にやりたいことが沢山あるので当てはまらないでしょう。

一方2については、親であれば子どもが心配なのは当然ですから難しいところです。
親にとって我が子の苦しみは自分の苦しみ以上なので、つい子どもに楽をさせようと思い、先回りしてしまいます。

でも、子どもの人生は子どものもの。
子どもが壁にぶつかったり時間を無駄にしたりする姿を見るのは本当に辛いですが、それも子どもにとっては貴重な経験だし、子ども自身の責任でなんとかすべきことです。
親が先回りして問題を解決しようとすると、子どもはその姿を見て
「私の人生の責任は親がとる」
と解釈してしまいます。

「自分の人生は自分のものであり、自分で責任をとる。」
そのことを言葉ではなく、行動で娘に伝えていきたいと思います。


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