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『アルジャーノンに花束を』に凸凹な私が魅かれた理由

『アルジャーノンに花束を』は、アメリカの作家ダニエル・キイスによるSF小説です。1959年に中編小説として発表されて、1966年に長編小説として改作されました。日本では2回(2002年と2015年)ドラマ化されているので、ご覧になっている人もいるかもしれませんね。

私は高校生の時に、この小説に出会いました。ページをめくるたびに、心が揺さぶられて止まらなかったのを覚えています。今も大事な一冊です。

2014年に発達障害(ASD)の診断を受けた直後、本棚からこの小説を引っ張りだして再読したところ、未だかつてなく主人公に感情移入して、我を忘れそうになりました。主人公と自分が、あまりにも重なって見えたからでしょうか。

ここでは『アルジャーノンに花束を』の感想を、発達障害を持つ私の視点から語ってみようと思います。


『アルジャーノンに花束を』あらすじ


まずは『アルジャーノンに花束を』のあらすじを、ネタバレしない程度に伝えますね。

32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?

アルジャーノンに花束を:「BOOK」データベース

アルジャーノンは脳手術を受けて天才的な知能を得たハツカネズミです。それに対して人間のチャーリーは、32歳ですが6歳並みの知能しかありません。アルジャーノンとチャーリーが迷路対決をしたところ、アルジャーノンが見事勝利。チャーリーも人間として初めて、アルジャーノンと同じ脳手術を受けることに同意します。

手術は無事成功。チャーリーのIQは数か月間で68から185に急上昇しました。チャーリーは知識を得る喜びや、難しい問題が解ける楽しさに満たされます。ところが知りたくなかった嫌な現実まで、理解するようになりました。天才的な知能に幼いままの感情が追い付かず、やがて孤独と苦悩のなかへ追い込まれて……


発達障害の凹凸の激しさについて


さて、発達障害が見つかったばかりの私が、なぜ主人公のチャーリーに強く感情移入したのか。発達障害とは、脳手術を受けたチャーリーのように、天才性と幼児性が同居しているような感覚があると思ったからです。

私は決して頭はよくないし、当事者の全てが天才だとも思っていません。それでも得意・不得意の差が大きいことは自覚しています。当事者の多くが、それこそチャーリーのように、凸凹したアンバランスな自分を持てあましているのではないでしょうか。

たとえば私は文章の読み書きが好きで、もはや活字中毒なのに、電話では何を言われてもさっぱり理解できません。どちらも同じ言語情報を扱っているにも関わらずです。

発達障害の診断を受けるにあたって、知能検査(WAIS-III)を行った結果、頭が殴られたような衝撃を覚えました!なんと、言語理解の群指数は高めなのに、処理速度の群指数が異常に低いのです。その差は何と30もありました。どうりで電話が苦手なわけだ……と目から鱗が落ちました。言語能力は人並みにあったとしても、耳から入った言葉を脳で処理する速度が異常に遅いためだったんですね。

自分の中に知能が高い凸な部分があると、知能の低い凹な部分がまざまざと見えてしまいがちです。言語能力がある私が、おっとりした私を叱りつけている感覚が、診断直後はありました。「なんでそんなに、やることなすこと遅いの!」「もっと早く動いてよ!!」……って。当時はスピードを求められるコールセンターで働いていたから、どんくさい自分がとにかく許せなかったんです。


大嫌いだった凹な部分に助けられる


ところが、発達障害と診断されてから時間が経つにつれて、だんだんと思うようになりました。この凸凹加減こそ、自分の持ち味なんだって。

私は確かに、言葉を頭にめぐらせて考える癖があります。あまりに考えすぎて、がんじがらめになってしまうほどです。そんなときは、ノホホンとした自分の一面にほっとします。自分自身はアンバランスであっても、自ずとバランスを取ろうとしているのですね。

『アルジャーノンに花束を』において、元々チャーリーは幼児並みの知能しかありませんでしたが、子ども以上に純粋な面がありました。私はこの小説を読むたび、チャーリーの純粋さに癒されます。それと似たような感覚で、私は自分のゆっくり・のんびりした面に救われているのです。(もちろん今でも、自分の天然ボケに落ち込むこともありますが……)

診断直後の私は、おっとりした自分を叱ってばかりいましたが、いつの間にか、おっとりした自分に慰められていました。

凹を一生懸命埋めれば、幸せになると勘違いしていましたが、凹のままでいいんだと気づいたら、幸せはすでにここにありました。


まとめ

『アルジャーノンに花束を』の感想を、発達障害がある私の視点から述べてみました。

主人公であるチャーリーは脳手術を受けてから、天才性と幼児性の葛藤を抱くようになりました。それと似たように、発達障害を持つ人も得意・不得意の差が激しくて、バランスを取るのが難しいことがあるかもしれません。

これを読んでくださっている皆さんのなかにも、自分の嫌な面を責めてしまう方もいるかもしれませんね。その気持ち、よく分かります。でも、自分を叱るその手をゆるめてみたら、敵だったはずの自分が味方になっていた……ということもあるかもしれませんね。

ところで、私が診断を受けたのが2014年5月。『アルジャーノンに花束を』を読みはじめたのが、6月に入ってからのことでした。

そして6月15日、作者のダニエル・キイスさんが、永眠されました。

ちょうど本を読んでいる最中だったので、訃報を知って驚きました。何たるシンクロニシティー……そういった意味でも、この小説は特別な一冊となりました。

『アルジャーノンに花束を』……おすすめです。



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