新スラ日記 Day 8~この国の現在を見て思うこととTwitter~

 最近、大学講義がオンライン型していく等コロナ禍で身体的活動が大幅に制限されるこの現在を見て、「自己責任の部分が増加したよなぁ」と思うことが増えた。

①日本教育のこと

現在大学二年生の春学期を過ごしている俺は、大学一年時には一度も大学に行っていない。他の生徒は複数回登校した、というのもあるが、毎日通えたわけではない。登校せず自宅で受講するというのが現在のスタイル。大学講義はオンラインでいいだろうと思っている人間の一人なので、オンライン型に移行するならするで別に構わないと思っている。何なら高校もオンライン化してもいいだろうなとすら思っている。ただ、身体的活動を通じて経験を積む中で人格形成をしていく小中学期はオンライン化するのは難しいし、寧ろ対面形態の方がいいだろうなとは思っている。高校大学オンライン化を言う理由は何も俺自身が呼吸器官にdisadvantageがあるとかそういうのではなく。義務教育ではないのだから学習ペースとか決めるのも全部生徒に委ねてもいいのではないかというものなのだ。そうなると、如何に自分自身で学習意欲を維持するか、ということが問題になって、学習におけるリスクマネージメントも自己責任ということになるとは思っている。

ただ、そういう一方、高校・大学を出ておかないとこの国では生きていくことすらままならない現代では、茨城の境市の事件の被害者である子供たちの将来どうするのよ、と考えたとき、高校も義務教育化していいのではないかと思うこともある。何しろ今の高等教育って俺からすれば大学行くための通過点的存在の様にしか見えてない。それならいっそのこと高等教育も義務教育化してしまってもいいのではないかと思うのだ。そもそも大学って学問的研究したいから行くというものだったはずだし、大卒でなくとも高卒で働いている人も一応いるのだから大学だけ義務教育対象外にしても問題なさそうでもある。んで、高校までに社会に出て役立つ実用的なものも、数学とか英語とか、そういう所謂「お勉強系」なる科目も両方組み入れた教育形態にしたら、何も大学に行かなくても社会にでて一応は生活できますよ、という状況を作ることは不可能ではなさそうである。そうすれば学歴社会云々も今よりかは解消されそうな気がする。学歴社会も見方一つによっては格差社会の表象とも評価できなくはないと思う。

②消極的ストレスマネージメントとしての密度主義の提唱

この現在、俺らの身体的活動の機会というのは大幅に制限されているのは事実ではある。授業・仕事のオンライン化は通勤時間の解消や体力消費の帽子の観点からも良いと思うのだが、如何せん精神に対する刺激が不足してしまうという弊害が生じてしまう。オンラインでなければ、同級生と会ってワイワイガヤガヤなんてこともできるのだが、それも叶わない。俺はLINE電話とかいいのかなぁとか考えて実践してみようとはするのだけれど、何故か俺は「危ない奴だから関わらんほうが得」という生物的本能(?)とも評価しうるある意味合理的ではありそうな判断で回避されるので、まぁ友人少ないわな。それに他人のスケジュールも知らないので、下手に電話したら取り込み中でした、とかなったら流石に申し訳なく思うので、なかなかかけることもできずにいる。今までに実践できた相手は、高校一年時の同級生2名だけ。

まぁ別に拒否するなら拒否するでも良いけど。でも、すこし面白いなと思ったのは、俺のこと嫌いでしょうがない奴が何故かフォローリクエストしてきたときは「えぇぇぇぇぇ…(-_-;)」となった。まぁ俺自身は拒絶される側に立つことおよそ19年(ほぼ年齢と同じですね)なので、他人に受け入れられるということがどれほど困難なことで有難いこととかはそこらの人間よりも強く理解しているつもりなので、Twitterとかでは正体わかってる人には「ちと下手にツイートを拡散しそうなやばい人だな」とか危惧する等特段の事情が無い限りは許可してるつもりではいる。正体分かってない人については悪いけどDMでメッセージ送ってください。その上で許可するか判断します(プライベートアカウントのプロフィールに同じの書いてたわ)。勿論一度フォローした上で勝手にブロックするならまぁそれは良いけど。こっちも「ふぅん。こいつの許容範囲はたかがその程度か。まぁ一応想定はしてたけど」と勝手にぶった切るだけだけどね。こちらからブロックすることはよほどのことが無い限りしないつもりです。公開垢(このnoteと連携してる)やつについては自己責任でフォローしてね。知り合いだったらこちらもフォローするかもしれないけど、そうでないなら原則フォロバしません。

さて密度主義に話し戻そうか。身体的活動が制限されるけど、それなりに身体的活動をしないとメンタル悲鳴上げるよね。という話。コロナに感染しないようにできるだけの対策して外に出るのはまぁありだと思う(俺からすると呼吸器官にdisadvantageあるので、感染しないかと恐怖覚えるけど、他人からしたら他人の感染とか気にしないと思うしそんな精神的余裕もこの現在ではないという人も多いと想定してる)。その際に、少しでもメンタルの保養になるようなものを付加するのは悪くないのかなと思う。例えば散歩がてら普段聴かない音楽を聴いてみる、何か興味をそそられるものを見つけたら写真に納めて日記につけておくといった身体的活動をする中で外界に目を向けて小さくてもいいから刺激を見つけ出すとか。俺自身、外に散歩しに行くとかいうのはほぼしてないけど、風呂掃除とかでは普段聴かない曲を聴きながら掃除したりしてる。例えばドクターストーンのOPである三原色とか(これは携帯に録音)、「100万回のI love you」(からかい上手の高木さん)とか。偶に依頼を受けて料理作ることもあるけどその時には音楽かける。今はもうしてないけどLINEのタイムラインにアップする用に動画撮ってたりもした。タイムラインが目に入ればコミュニケーションとるトリガーにもなるかもしれないと考えてたので。

如何に身体を動かす活動をする中で自分自身でその活動に付加価値をつけて活動の価値高め、刺激不足という消極的ストレスを管理していくか。それが今の俺らという各個人に課せられた課題の一つだと思うし、直面している課題をどうこなすかにつきあれこれ意見飛ばし合うなかで「共通の脳」(寄生獣で出てくる言葉)を形成していくかが、人類という集団に課せられた課題なんだろうなぁ、と本日近くのドラッグストアにペプシコーラを買うために歩きながら点描の唄(Mrs.Green Aplle)を聴きながらぼんやりと考えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?