暴力の神々へ

初めまして、私はキリスト教徒です。このブログではおもに、ルターやカルヴァンが作り上げた…

暴力の神々へ

初めまして、私はキリスト教徒です。このブログではおもに、ルターやカルヴァンが作り上げた「刑罰代償論」という神学を取り扱っています。この理論がきっかけとなる、歴史的暴力性、精神的障害、子育てや人生への障害、またキリスト教徒のプロテスタント以外の視点を紹介しています。

最近の記事

RTS:宗教的トラウマ症候群

昨今、安倍元首相が思わぬかたちで亡くなられたことに関するニュースが流れています。山上容疑者のことを調べて行くとわかったのは、親が熱心な宗教の信者であり、彼が宗教二世と呼ばれる存在であることでした。 今日取り上げたいのは、暴力的な神感の元で育つ子供たちが陥ってしまう宗教的トラウマ症候群(RST: Religious Trauma Syndrome)と呼ばれるものです。この論文はマーリーン・ウィンネル博士によって書かれたものを日本語に訳しています。 中には、神学用語も出てきま

    • 刑罰代償説を信じる人々は、キリスト教進歩主義

      刑罰代償説を信じる人々は、キリスト教進歩主義です。これは、ちまたで言われている内容と逆のことを言っているように聞こえると思います。それも、そのはずです。ちまたで言っていることの逆だからですw では、ちまたとはどこでしょうか? ちまたとは中世以降の西側のキリスト教です。彼らは刑罰代償説を信じないキリスト教徒を「進歩主義」であると言います。別の言い方をすると、彼らは自分達こそ「正統」だと独善的に述べているのです。 このブログでは何度も言っていますが、言葉遊びをしたいわけではあ

      • 三位一体を理解していない「刑罰代償説論者」

        刑罰代償説は聖書の三位一体を信じていません。彼らが信じているのは、「プラトニズム化された三位一体」です。 刑罰代償説を信じる人々は「宥め=神の怒りを抑える」という解釈をしています。これは間違いです。そもそも、ヘブル語の「贖い」(「ケフェル・ガオォル」)の意味を理解していないでしょう。これだけで、1年は語れそうな内容です。ですが、この乏しい理解力から、「人間は神の怒りをおさめなければならない」という神話を展開しています。 刑罰代償説を信じる人々の神は、宥めてもらわないと怒り

        • 相手を洗脳させようとする刑罰代償説支持者

          刑罰代償説を擁護するために、全く論点の違う話題を上げる人がいます。 そういった人々に皆さんが騙されないために今回も奇抜なタイトルをつけてしまいました。少しでも皆さんの目に止まれば幸いです。さて、今回は刑罰代小説を擁護する人々が用いる論法を考えてみましょう。これは、いくつかのトピックにわたって話せる内容だと思います。 「刑罰代償説は正統な教えではない」という意見は歴史的な見解を用いて支持されています。つまり、11−12世紀ごろになるまで、刑罰的な神論(神とはどのような性格か

        RTS:宗教的トラウマ症候群

          キリストが教えなかった神

          イエスキリストはたとえ話を用いて、本当の神とはどのようなお方か、神の国とはどのようなものかを説明しました。 「たとえを使わずに話をなさることはありませんでした。ただ弟子たちにだけは、その意味を解き明かされました。」 ‭‭マルコの福音書‬ ‭4:34‬ ‭JCB‬‬ 基本的にイエスはたとえ話を用いて天のことわりを説明します。 その中で、「裁判官」としての神を語ったのはたった一つです。しかも、その裁判官のたとえ話は、「懲罰的な神の否定」として用いています。聖書の前に謙虚になる

          キリストが教えなかった神

          毒親:ペナルティをかす親

          ペナルティを科す親 「成績が悪くなったからお小遣いをなしにした」 実はこの言葉で子供の成績が良くなることはありません。罰則からは何も生産的なものは生まれないのです。 昨今、アメリカ保守派のキリスト教プロテスタント団体の中で、牧師やリーダーによる性的被害が多数報告されています。アメリカ保守派の信じる神は、その大半が「刑罰的な神」です。刑罰的な神を基軸にして、素晴らしい人格形成はなされないと思います。もしも、親の世代で大丈夫だったとしても、その影響は家庭や子供に及んでいるのが現

          毒親:ペナルティをかす親

          刑罰代償説の神は「ヤヌス神」?

          刑罰代償説で聖書を解釈する人々は、神の二面性を受け入れています。それは暴力と愛です。この二面的な神は1世紀のクリスチャンには存在しませんでした。ただ、キリストだけがヤハウェの現れだと信じていたのです。では、このような二面性のある神はどこから来たのでしょうか?どうやら、ギリシャの神ヤヌスがキリスト教と土着化しているとの研究が出ています。 このアカウントでは幾度も、4世紀のキリスト教はその教えてにおいて「暴力の神」を肯定するように傾き出したことを述べています。4世紀に古代キリス

          刑罰代償説の神は「ヤヌス神」?

          二重人格の神

          今日は神の二面性について考えてみましょう。このブログでは何度も取り上げていますが、4世紀以降のキリスト教社会は「暴力の神」を受け入れてしまいました。それは歴史、そして神学を学べば明らかです。何よりも、イエスキリストは愛です。しかし、暴力は愛ではありません。この二面性を受け入れるために独自の神学を作り上げることでキリスト教界はこの多重人格の神を受け入れてきました。 神の義と神の愛 特にこの教えが特徴的なのは、宗教改革者であるルターとカルヴァンではないでしょうか。この「神の義」

          二重人格の神

          愛着障害を引き起こす宗教

          今日は愛着障害を引き起こす「教え」を考えていきましょう。結論から述べますと、刑罰代償説は愛着障害を引き起こします。 赤ん坊を抱き抱え笑顔を向けると、その赤ん坊が笑い返してくれることがあります。 赤ん坊は母親の声を聞き、顔を見て自分の母を認識します。自分に向けられた愛の目、表情に何ら敵意のないことを読み取り、安心を覚えます。 では、刑罰代償説はどのような神様を表しているでしょうか? それはどのような愛の表情をしてても、まず「あなたを殺そうとした神」を描いています。どのよう

          愛着障害を引き起こす宗教

          キリスト教の神は児童虐待?

          かなり過激な題名で始まりました。結論から言いますと、キリスト教の神学である刑罰代償説を信じる人々は幼児虐待の神を信じています。このアカウントではキリスト教の神学である刑罰代償説を取り扱っています。それはどういう理論かというと 神は罪人を殺さなくてはならい 神は人類を虐殺する代わりに、イエスキリスト(自分の子供)を殺して満足した 基本的にこの二つの性質だけが論点となります。 幾度か書きましたが、中の人は「キリストが人類の罪の身代わりになられた」ことはいっさい否定していませ

          キリスト教の神は児童虐待?

          「神の正義」は「復讐」?それとも「癒し系」?

          今日もイエスキリストを通して表された「平和の神」とギリシャ神話的な「暴力の神」について考えていきましょう。 今回の記事で取り上げたいのは、神の目的はこの世界を「裁くこと」なのか、「回復する」ことなのか、という議題です。イエスはもうすでにこの世を裁いていると言い、暴力的なことを人に向けませんでした。ギリシャ神話が語る裁きはわかりやすいように思えます。白い髭を伸ばしたおじいさんが雲の上から雷を手に取り、人類を見下ろし、今にもそれを地上に向かって投げようとしている絵が目に浮かんで

          「神の正義」は「復讐」?それとも「癒し系」?

          キリストの十字架の解釈は1つじゃない

          いつも私はこのブログで刑罰代償説を否定しています。正確にはその神学に表されている暴力の神を否定しているわけです。しかし、イエスキリストの十字架を否定したことはありません。 どの時代においても、キリスト教徒が理解しておかなければならないことは 「私たちはぽっと出の流行りの新説をすぐに追いかけていいわけではない」 ということです。 要点を述べますと、刑罰代償説はキリスト教史においても比較的新しい説だということです。十字架を見るとき、いくつかの側面が見えるのは確かです。この

          キリストの十字架の解釈は1つじゃない

          暴力の神とキリスト教の暴力

          刑罰代償説が歴史的に与えたインパクトはどう言ったものがあるでしょうか? この暴力的な説は様々な要因をキリスト教文化圏に与えました。そのうち最も影響を与えたのは暴力の過激化かもしれません。今日は、キリスト教社会において暴力がエスカレートした2つの時代を見てみましょう。 ①キリスト教界においての暴力の神の容認(4世紀) ②十字架論における暴力の神の定説化(11世紀、16世紀) ①キリスト教界においての暴力の神の容認(4世紀) 遡ること4世紀、キリスト教界で大きな方向転換が起こ

          暴力の神とキリスト教の暴力

          刑罰代償説って何?

          刑罰代償説とは16世紀の宗教改革の時代にキリスト教文化圏で確立した理論です。その理論に至るまでの、歴史的プロセスを話すと長くなるのでここでは記しません。ここでは、刑罰代償説についての分かり易説明をします。 刑罰代償説 1. 人間は罪人である 2. 神は罪人を殺さなければ満足できない 3. 神は罪人を殺す代わりにイエスキリストを殺して満足した 4. 神は満足したのでイエスキリストを信じるものは殺さない とても単純化した定義ですが、わかりやすくすると上記のようになります。 少

          刑罰代償説って何?

          暴力の神々へ

          初めまして管理人のパックスです。 このブログでは、宗教の教えに見られる「暴力的な神々」が人々の歴史や生活に与えてきた影響を考えていきます。 私はキリスト教徒であり、イエスキリストを「平和の神」だと信じているものです。しかし、キリスト教徒も様々あり神についての教えも少し違いがあります。ここでは、プロテスタントという宗派が教える「刑罰代償論」について取り扱っています。 この理論は16世紀にカルヴァンやルターといった宗教改革者たちに提言され、今でも多くのプロテスタントの教職者が

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