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刑罰代償説の神は「ヤヌス神」?

刑罰代償説で聖書を解釈する人々は、神の二面性を受け入れています。それは暴力と愛です。この二面的な神は1世紀のクリスチャンには存在しませんでした。ただ、キリストだけがヤハウェの現れだと信じていたのです。では、このような二面性のある神はどこから来たのでしょうか?どうやら、ギリシャの神ヤヌスがキリスト教と土着化しているとの研究が出ています。

このアカウントでは幾度も、4世紀のキリスト教はその教えてにおいて「暴力の神」を肯定するように傾き出したことを述べています。4世紀に古代キリスト教社会で起こった大事件といえば、キリスト教がローマの国教になったことです。

実は、国教になるということは一大事です。なぜなら、それまでのキリスト教はローマ帝国に迫害され、殺される側でした。しかし、これからはローマの戦争や迫害を宗教的に支持していかなくてはならなくなりました。わかりやすくいうと、殺す側になり増田。この問題に対して都合のいい解釈を与えてくれる神様像があります。それがヤヌス神です。

ヤヌス神

見てわかる通り、ヤヌス神は二つの顔を持ち合わせています。愛し憎む神、赦し滅ぼす神、祝福し呪う神です。内側にいるものには愛を、そして外にいるものには暴力を振り撒く神です。これは、人類が幾度も造ってきた偶像的な神、都合のいい神です。キリスト教界隈はこの都合のいい神を自分たちの信仰の中に取り入れようとしました。イエスが語った神は誰にでも愛を注ぐ神です。

「それこそ、天の父の子どもであるあなたがたに、ふさわしいことです。天の父は、悪人にも善人にも太陽の光を注ぎ、正しい人にも正しくない人にも分け隔てなく雨を降らせてくださいます。」
‭‭マタイの福音書‬ ‭5:45‬ ‭JCB‬‬

Dietrich Ritschl The Logic of Theology (Philadelphia: Fortress, 1987), 63. で「教会史のヤヌス面性」について語っている。

リッツェルはこの本の中でこう論じています:「教会の二面性の悲劇とその深さは世俗的かつ科学的な歴史学の方法で測り知ることはてきない。教会のが犯した3つの決定的な過ち―教会のユダヤ教からの分離、政治的な権力構造と教会の同化、経済的・教育的に貧しい人々の知的能力―これらと、無数の慈悲、赦し、治療的援助などの活動の対比は、教会とイスラエルを同じ歴史の二面性としてその物語の中に立つ者のみそれを見ることができ、妥当な結論を導き出すことができる。」

この神話は今でも、西回りのキリスト教界の中を脈々とながれています。
多くの場合、人類史を見てみると「都合のいい宗教」の中で語られる神は、
『自分達にとっては愛、敵にとっては暴力』です。その暴力を正義や聖なるものといい、人の命を見下すことを肯定してきたのが、宗教の歴史です。しかしキリストは違います。

「しかし、わたしはあえて言いましょう。暴力に暴力で手向かってはいけません。もし右の頰をなぐられたら、左の頰も向けてやりなさい。」
‭‭マタイの福音書‬ ‭5:39‬ ‭JCB‬‬

いつか刑罰代償説を信じる人々が、ヤヌスからイエスに導かれることをお祈りしています。

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