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キリスト教の神は児童虐待?

かなり過激な題名で始まりました。結論から言いますと、キリスト教の神学である刑罰代償説を信じる人々は幼児虐待の神を信じています。このアカウントではキリスト教の神学である刑罰代償説を取り扱っています。それはどういう理論かというと

  1. 神は罪人を殺さなくてはならい

  2. 神は人類を虐殺する代わりに、イエスキリスト(自分の子供)を殺して満足した

基本的にこの二つの性質だけが論点となります。
幾度か書きましたが、中の人は「キリストが人類の罪の身代わりになられた」ことはいっさい否定していません。あくまでも否定しているのは、

「神が自分の子供を殺した」

という理論です。否定する理由としては簡単です。なぜなら聖書に書いてないからです。どちらとも解釈できそうな文面は存在しますが、決め手となる事実は

使徒たちの語った福音は

『人がキリストを殺し、神がキリストを生き返らせた』

という点です。使徒たちは一言も、「神が我が子を殺した」と言っていません。

さて、この反論についても考えてみましょう。
よく、反論として出されるのが、「三位一体説」です。つまり父なる神と子なる神は違うからという点で話をして来るわけですが、これはそもそもの三位一体の本質を理解していません。

三位一体の教えをキリスト教の文化圏で必死に守り抜いた人物は、アタナシウスという人物です。彼の言葉にこう言ったことがあります。

「父なる神と子なる神の違いはその呼び名だけ」

イエスキリストこそがヤハウェの表れだと言っています。3世紀までの古代のキリスト教徒たちの十字架の理解は、「人が神を殺した」ということでした。つまり、人間は神に対して暴力を働いたが、神は人間に対して非暴力で戦った。これが福音と呼ばれるものでした。

時折、アタナシウスの三位一体を用いて、刑罰代償説を否定している人がいると思いますが、その人物はかなりの知ったかぶりかもしれません。きっとそういう方は古代教父や東方教会、もしくは三位一体論の専門でもないと思います。何度も言いますが、暴力的な神が表されるのは、ローマ国教とった4世紀以降です。そして12世紀に
「神が自分の子供を殺して満足した説」が公式に定義されました。

それまではそのような発想のクリスチャンはいませんでした。
4世紀以降にキリスト教徒の学者たちが受け入れてしまった「暴力の神」をまだ信じているキリスト教徒はたくさんいるようですね。

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