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三位一体を理解していない「刑罰代償説論者」

刑罰代償説は聖書の三位一体を信じていません。彼らが信じているのは、「プラトニズム化された三位一体」です。

刑罰代償説を信じる人々は「宥め=神の怒りを抑える」という解釈をしています。これは間違いです。そもそも、ヘブル語の「贖い」(「ケフェル・ガオォル」)の意味を理解していないでしょう。これだけで、1年は語れそうな内容です。ですが、この乏しい理解力から、「人間は神の怒りをおさめなければならない」という神話を展開しています。

刑罰代償説を信じる人々の神は、宥めてもらわないと怒りがおさまらない困ったちゃんのようですね。さらに、彼らはこう展開していきます。

「イエスキリストの死が神の怒りを受け止め、抑えた」

つまり、彼らの三位一体の理解とは、「殺人者という父」と「殺されるという子」の神話で成り立っています。全くのお門違いです。しかも、そういう人に限って三位一体の神学を守り抜いた功労者であるアタナシウスを持ち出します。しかし、彼らがもしアタナシウスを理解していたら、彼を引用することはしないでしょう。なぜならアタナシウスの三位一体に関する理解と、刑罰代償説を支持する人々の理解には不一致があります。アタナシウスは三位一体の理解に関してこう述べています。

「父なる神の違いと、子なる神の違いはその呼び名だけ」

古代のクリスチャンにおいて、三位一体の重要性とは、イエスキリストがヤハウェそのものの現れだったということです。では、もう一度刑罰代償説支持者の語る三位一体と古代のクリスチャンの三位一体を比べてみましょう。

刑罰代償説
「殺す父と殺される子供」が三位一体

古代のクリスチャン
「人々がイエスを殺し、イエスは殺された。つまりイエスを通して表された父なる神は非暴力の神であった」が三位一体

です。
よく違いを考えて見てください。そして、暴力の神を信じているなら、悔い改めて平和の神を信じてください


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