その国のカルチャーが精神をつくり、その人をつくる
「国とか人種とかどーでもよくなる高さまで行って、この目で地球を見てやろうって」
「俺 もう”地球人”でいいや」-宇宙兄弟295話 フィリップ・ルイス
(宇宙兄弟オフィシャルサイトhttps://koyamachuya.com/news/popular/66394/)
フィリップの父はジャマイカ、母はアメリカ人、生まれた国はジャマイカでブラジル、アルゼンチン、ジャマイカと転々として自分っていったい何人なのか悩んでいたフィリップがこの言葉を発したシーンが記憶に残っている。
オーストラリアは本当にマルチカルチャー
今日ニューサウスウェールズ大学の日本語を学んでいる人とカフェに行く機会があった。いたのは中国出身3人、韓国出身2人、親が日本人1人。みんなほとんどの人が小学生より前にオーストラリアに親が来て移住し始めたオーストラリア人だ。もちろんオーストラリアの市民権をもっているし見た目はアジア人でそれぞれの国の言葉も話せるけど英語も話せる。
彼らのバックグラウンドを聞いていたときに疑問に思ったことが、さいしょのフィリップと同じこと。
彼らは自分たちのナショナリティについてどう思っているんだろう?
人生の大半がオーストラリアで生活している。だけどDNA的にはアジア。自分の中でナショナリティについて考えたことはあるのだろうか。オーストラリアは移民国家ではあるがもともとがイギリスの植民地だったため「オーストラリア人」と聞くとヨーロッパ系の顔が思いついてしまう。よくも悪くもこれが完全に日本で20年強過ごしてきた私の感覚だった。でもこれはその人が気にしてたら結構センシティブな質問になってしまうかもしれない。なので「答えたくなかったら答えなくていいけど自分の何パーセントが出身国で何パーセントがオーストラリアなのか聞いてみてもいい?」って質問をしてみた。
すると一人の韓国出身でオーストラリアに小学6年生で引っ越してきた関西弁の日本語ぺらぺらの彼が
「うーーーんあんまり考えたことなかったけど、DNAはたしかに韓国。だけど僕は韓国の文化の嫌いなところもある。敬語とか。だから精神としてはほとんどオーストラリア人かな。」
なるほど。精神か。たしかに日本に住んでてもう日本人じゃん。っていう友達いたな。
日本文化が日本人をつくる
帰り道、Youtubeで音楽を聴きながら帰っているとリコメンド機能で流れてきたMADが流れ始めた。MADというのはアニメをいい感じに編集していい感じの音楽をつけたもののこと。私はこれが大好きで、特におすすめなのは銀魂とワンピースのMAD。
これとか
これとか
ジャンプで育っている私はもうこんなエモーショル詰め込まれまくった動画を見ちゃうとすぐ感動するし、はぁ銀さんもサンジもがんばってるしかっこいいし自分もがんばろって勇気をもらえる(単純かって)
この動画を見てるうちに思った。日本人って芸細かいよな~と。こんな完璧な編集だけどおそらくこれを作ってる人たちは趣味でやっているのではないだろうか。少なくとも銀魂ファン、ワンピースファンがやっているのは間違いない。愛があふれている。ただこのワンピース、銀魂のストーリーが最高なのも事実だ。
ちょっと前にバズったこのツイート、頭をガンガン縦にふって分かる分かると心の中で激しく共感していた。(めっちゃわかる)
私を作っているのはジャンプ(ナルト、ワンピース、BLEACH、銀魂)と伊坂幸太郎だ。親や友達から形作られている部分もあるが私の基礎はこれらからもらっている。あ、あとジブリも若干入っている。あと柔道も6年やってたからわりと日本人で日本文化に触れてない人よりは関心が高いかもしれない。
それで今日このMADを聞いてエモーショルになりながら思ったのが
これ日本文化が好きで日本のカルチャーに触れ続けていたら日本人っぽくなるんじゃない?
ということ。
日本のアニメが世界で評価される&自分が好きな理由は哲学的だからというのを英会話教室でギリシャ人の漫画家を目指す先生(たしか)クリスから聞いた。
ホームステイマザーは南アフリカ出身
マザーに今日アジアのオーストラリア人と交流してナショナリティの感覚に興味をもったよという話をしたらマザーが移民したときの旅の話をしてくれた。
「私は前にも言った通り南アフリカ出身で最初はアメリカに行こうと思ったの。まずは南アフリカからブラジルにヨットで。そこで少し過ごした後にトル二ダードドバコで長女を生んだわ。そのあとにアメリカに移住して次女を生んで、少したってからシドニーに来たのよ。だからオーストラリアで生まれたのはスカイ(三女)だけなの。シドニーに来るまで6年かかったわ。」
ヨ、ヨ、ヨット!?まじでヨットで来たの!?!と何度も聞き返してしまった。写真を見たらほんとにヨットだった。
というかめちゃめちゃ長いトリップ!!!
南アフリカから移住してきたとは聞いていたのでそのままに西に向かって飛行機で移住してきたのかな~と思っていた想像の10倍上の話だった。
移住した理由を聞くとやはり安全性が全く違うらしい。もっと掘り下げて聞いていくと、当時アパルトヘイトで白人黒人同士の諍いが絶えなかったらしい。三女のスカイが学校の授業で発表するために母の移住の歴史をまとめた動画を見せてくれた。冒頭には家に火がつけられ燃やされる様子や各地で爆発が起きている動画があった。マザーは実際にこれを見ていたらしい。
アパルトヘイトの法律が完全に撤廃されたのは1994年。つい最近のことだった。マザーはアパルトヘイト真っただ中の時代に南アフリカにいた人だったのだろう。私はアパルトヘイトという単語は歴史で習ったがしっかりなにがあったか勉強していたわけではなかったので、そう簡単に聞けなかった。
マザーが私に言ってきたたくさんのことが彼女のバックグラウンドを通してより深く理解できるようになった。
「海はみんなの海。プラスチック大量に消費すると海がプラスチックであふれるでしょ。」
「オーストラリアに純粋なオーストラリア人がいるとしたらアボリジニじゃない?」
「Apartheid is horrible. we shouldn't conflict, because human is human.」
グローバル人材グローバル人材って言われてるけど、本当の意味でグローバルの視点になるにはやっぱりたくさんの国と接点をもった経験こそが全てだよな~と。
想像力は大事だけどいくら想像したところでリアルの実感には叶わない。いろんな国にいって、いろんな国の人と出会って、その国のことを自分ごととして考えられたときに初めてその国を理解する最初の一歩になるのかもしれない。
ん~今日はたくさん勉強になった日だったなあ。やっぱりなるべくはじめましての人と知り合った方が新しい情報、知識、考え方を手に入れられるなあ。そのことでもう既に知り合ってる人からもまた深い知見を得られるし。
たくさんありがとうだなあ。
自分はまだまだ何も知らないし、だからこそたくさんのことを相手へのリスペクトを忘れずに学んでいきたいと思った。
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