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承認欲求を満たすことが怖い

単刀直入に本題へと入るが、私は承認欲求を満たすのが怖い。

多分、人並みにはこの欲求を持ってはいる。ただ満たされることが非常に怖い。
満たされるということは、ここでは「100パーセントに近い状態になる」ということにする。

日常生活の中で50パーセントが平常として、20パーセント近くになると承認欲求を満たしたくなるのだと勝手に思っている。
ここは問題ではなく、「どこまで(何パーセントまで)満たすか」というところである。

皆はどう思うだろう?

個人的にはなるべく50パーセントから遠くないほどでいいと思う。体感70パーセントあたりになってくると自分からブレーキを掛けたいと思うし、実際掛けている。

理由として、100パーセントまで満たされた場合「そこが次の50パーセントになってしまう可能性がある」と感じている。

次に欲求を満たすにはより多くの承認を得たいと思ってしまうだろう。
私はそれに対していかがなものかと感じてしまう。

満たされることより、満たしすぎてしまうのが良くないのではないか。

人間の欲求は青天井、制御しなければどこまでも欲してしまう。
承認欲求を満たすために、ヒトというものは残酷なほどに素直になれてしまう。
きっとそういう欲求が「満たされた」という快感は、「理性」を持つ人間が「本能」によって狂い始めるトリガーになり得る。

これをコントロールできるのであれば問題ない。

きっと私がここまで恐怖を感じるのは、ある意味自分を制御できる自信がないから、自分を信用できていないからかもしれない。

今の自分がもし承認欲求を100パーセント満たしてしまったら、自分は自分でいられなくなってしまう。
形を保てなくなってしまうと思う。

ネットの世界でこうやって文章を公開していることや、何かを発信していることも、ある一面から見れば承認欲求を満たすことになるのかもしれないが、やはりこれも100パーセント満たしきらないことが大事なのかもしれない。

他の考え方になるものがあるなら、
「満たされたことにより、もっと満たされたいと思うことがガソリンのように働く(頑張れる)」だとか、
「どこまでも満たされないものを満たしたいと思う感情がプラスに働く」だとか、このあたりではないか。

んー。
やはり私には上のどちらもうまくコントロールできない。

どこかに変に拗らせたプライドみたいなものがあるかもしれない。もしそれがどこかで垣間見えたらぜひ嘲笑してほしい。

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