見出し画像

小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(07)



 銀行のシステムエンジニア、リチャード・ガストンが住んでいたアパートはイコン大学近くのアドラー・ストリートにあった。
 マット警部を中心に数名の警官によって近所の住人への事情徴収とアパートの家宅捜索がおこなわれていた。
「アレイスターはどうした! 連絡がつかないのか?」
 マットが部下にアレイスターの所在確認を指示した。
 リチャードの部屋は南側に大きな窓がある見晴らしの良い3階の部屋だった。
 床に転がっているゴミも無く、本棚の書籍は整理整頓され片付けられており、一人暮らしのその部屋は、とても几帳面な住人の住処であることを示していた。
 付近の聞き込みでは、リチャードは近所の住民とのトラブルも殆ど無く平穏に暮らしていたようだ。
 窓際にあるフレンチカントリー風のチェストの上には、いくつかの立派な優勝トロフィーや表彰楯が飾ってあった。彼はドローンレースの選手だったようだ。
「なるほど趣味の模型製作っていうのは……これのことか」
 そう呟きながら、部屋の奥のウオーキングクローゼットの扉を開けた。中には大小何台かのドローンと操縦用送信機のプロポ、メンテナンス用の工具やパーツ、FPVと呼ばれる一人称の飛行視点で操縦をする為のヘッドセットゴーグルなどが丁寧に仕分けされて置かれていた。
「……ん!」
「ほう、こんなところで……出会えるとはねえ!」
 マットはクローゼットで何かを見つけた。
 目が留まったのはその中にあった一台の機体だった。
 周りのドローンより大きめのそれは、彼にとっては見覚えのある機体だった。スーパーレコグナイザーとしての彼の驚異的な記憶力が、別の事件の重大な手がかりを見つけたのだった。
「誰かタブレットを持ってないか? 持ってたら貸してくれ!」
 家宅捜索中の一人の警官が差し出したタブレットを手に取ると、マットは過去1年間に起きた事件の捜査データがアーカイブされているMPSの犯罪事案管理システムの検索を始めた。
 彼が検索していたのは、アリシマ邸襲撃事件のほぼ1ヶ月前に発生した奇妙な宝石強奪事件の捜査資料だった。
「これだ、間違いない! 誰か本部に連絡をして応援を要請してくれ!」
 タブレットに映っているのは、当時証拠として押収した『ルクソールの秘宝展』の展示品を搬送したトラックの荷台に設置された監視カメラの映像だった。
 クローゼットに置かれたドローンの一台と、強奪の瞬間を捉えた監視カメラに映っていた改造機体と細部が一致したのだ。
「こりゃ、忙しくなりそうだ……」
 呟きながらマットは、現場保全を部下に命ずると家宅捜索中のアパートを後にした。

 MPSでは怪我の治療を終えたアレイスターが同僚からリチャード・ガストンの死体発見の報告を受けていた。
 発見当初リチャードの死因は、暴行によるものと思われていたが、その後の検死結果によると大量の薬物摂取によるショック死だということが判明したのだ。
 リチャードの家宅捜索からマットが戻ってきた。
「ーーアレイスター、お前非番だったのか? ……ん、その怪我はどうしたんだ?」
「飲み過ぎてね……で、この有様だ」
 アレスターは殴られて受傷した口唇裂創にそっと手を添えながら少し痛そうに答えた。
「ところで、聞いたか?」
 マットはアレイスターの見ていた書類を指さしながら言った。
 アレイスターは肯きながら、マットに検死報告書を手渡した。
 マットは窓際にある自分のデスクの椅子に腰掛けて報告書を読みながら目を上げることも無くアレイスターに再度質問した 。
「……で、その怪我は? 交通事故か? それとも喧嘩か?」
「ああ、実は……」
 アレイスターは一昨日の晩から早朝にかけての出来事をマットに話した。

「……成る程、アリシマ邸襲撃事件との関連がありそうだな。気になる……が、何処も彼処も人手不足でな。すまんが、とりあえずお前は優先的にこっちの応援に入ってくれ。
 俺はこれからロンドン市警察に協力要請の依頼をする、お前は被害者の勤務先を洗ってくれ。
 気をつけろよ、スクエア・マイルはMPCの管轄外だ。呉呉もロンドン市警察の連中とはトラブるなよ! それと面倒ついでに言っておくが、宝石強奪事件は国家犯罪対策庁(NCA)の事件(ヤマ)だからな。我々はあくまでも捜査応援だという事を忘れるな」

 ロンドン中心部に位置するシティ・オブ・ロンドンは別名スクエア・マイルとも呼ばれ、一辺が1マイルほどの四角い小さな町だ。
 シティ・オブ・ロンドン(略称:シティ)は世界の保険や金融の中心地であり、グレーター・ロンドンの他の地域を管轄 するMPCとは別に独自警察組織を有していた。それがロンドン市警察(City of London Police )と呼ばれる組織で本部はウッド・ストリートにあった。
 被害者のリチャードが勤務していたアレイオーン銀行はシティ内北東のビショップスゲート地区にあった。アレイオーン銀行とは元々ギリシャで設立された地方銀行だったが、現在では資産額では世界の銀行ベスト50に入る程の成長を遂げたアレイオーン・ファイナンシャル・グループ傘下のメガバンクだ。ここ最近のビショップスゲート地区のビル再開発の煽りを受けて本行機能を此処に移転させていた。リチャードはアレイオーンのシステムエンジニアで保守メンテナンス要員として雇われていた。

 ロンドンで最も高いビルの一つのヘロンタワーを横目に、通りを1区画進んだ辺りの高層ビルの17階にアレイオーン銀行のオフィスが入居していた。
 アレイスターは受付でリチャードの直属の上司とのアポイントメントの確認をすると、ビルの外壁に突き出す形状の展望エレベーターに乗り込んだ。
 ガラス越しのエレベーターから一望できる空模様が、(こんな現象はロンドンでは滅多に無いのだが)昼間だというのにまるで夕刻のようにオレンジ色に染まっていた。先頃ヨーロッパで発生した巨大ハリケーンの影響だろう。サハラ砂漠からハリケーンで運ばれてきた黄砂によって空が異様な黄色に覆われているのだ。オレンジ色に輝く太陽の逆光により代赭色に映し出された高層ビル群のシルエットが、まるでデストピアを描いたSF映画に出てくる建造物のようだった。

 彼を出迎えてくれたのは、エメラルドの瞳とアッシュベージュのカーリーロングヘアが似合う美人だった。彼女の名前はヴィクトリア・モロー、アレイオーン銀行のシステム部門の担当主任だ。手に抱えた資料のファイルをテーブルに置きながらアレイスターに言った。
「座って」
 言われるままにアレイスターは応接室の椅子に腰掛けた。
 彼女は持参してきたファイルの資料を忙しいそうに確認しながら、不意に話し始めた。
「ごめんなさい、1時間後に会議なの。それまでに資料の確認しないと……で、何からお話ししましょう。」
 アレイスターは、ポケットから取り出した官給品のスマホでメモを確認しながら、女性に訊ねた。
「お時間は取らせません。ニュース報道されているので、既にご存じでしょうが、今日こちらにお伺いしたのはリチャード・ガストン氏の事です」
「その件なら既にロンドン市警察の方に詳細をお話ししました。そちらでご確認できませんか?」
「ええ、確かにそうですが、私どもとしても色々ご確認のためリチャード氏についてお聞きしたいと思いまして……ヴィクトリアさん」
「ヴィッキーでいいわ、で、彼の何を聞きたいの? 話す事は殆ど話したけど」
 彼女は一瞬怪訝そうな顔をした。
「確か、最初に行方不明者の捜索依頼をされたのもヴィッキーさんで間違いないですね?」
「ええ、待ち合わせ時間に彼が居なくて、携帯にも連絡したけど全く連絡が取れなくて……次の日になっても彼が出社しなかったのでこれは変だと思って警察に連絡したわ」

 彼女の話によると、リチャードは勤務態度は優良で金銭面でのトラブルも無い模範的な人間だった。況してや薬物に手を出したり、その手の関係を持つ人間との接触も無かったということだった。
 そんな彼が失踪当日に待ち合わせていた友人というのは、実は上司である彼女だった。仕事について相談があるということで、彼女はリチャードに呼び出されたのだ。
 しかし待ち合わせの時間になっても彼は一向に現れなかったらしい。
 彼女は彼の失踪届を警察に提出した際にも事情聴取に協力したという事だった。

「失礼ですが、ガストン氏と個人的なご関係というのは……?」
「――侵害だわ、彼とはプライベートでは何の関係も無いのよ」
 アレイスターが、ヴィッキーにあらためてリチャードとの関係を聞くと、少し興奮したようで、て顔を赤らめながら言った。
「申し訳ございません。ところで、彼の趣味についてはご存じでしたか?」
「ええ……ドローンね? 当行の持株親企業でもあるアレイオーン・ファイナンシャル・グループがメインスポンサーになっているドローンの世界大会で、昨年彼が優勝したので社内報に大々的に掲載されて――当行員なら皆知ってるわ」
「なるほど、そうでしたか……」

 その時、テーブルの上に置いたアレイスターのスマホの着信音が鳴った。
「失礼」
 そう言うとアレイスターは電話をとった。マットからだった。
「……今いいか? アレイスター、サイバー犯罪担当部署からの報告なんだが、ここ数ヶ月の間にハッカー集団によってアレイオーン銀行のシステムの動脆弱性が突かれているようで、どうやら顧客管理データがブラックマーケットに流出していたらしい……銀行側は情報漏洩を真っ向から否定しているようだが……しかもリチャード・ガストン失踪後直後に管理システム自体が変更されているんだ」
「解った、ちょっと探りを入れてみる」
 アレイスターは小声で話すと電話を切った。

「ヴィッキーさん、すまないがアレイオーン銀行のシステム保守についてちょっとお伺いしてもいいですか? ハッキングによって流出した銀行の顧客データがブラックマーケットに流出回っているとう情報を我々は掴んでいるのですが、ここのシステムのソフトウエアの開発および管理はリチャード氏の失踪以降はどなたが保守管理していますか?」
 アレイスターの問いにヴィッキーは少し驚いたような顔で答えた。
「え、ええ……最初に言っておきますが、その件については私どもも把握しております。しかしながら、ご心配をおかけするような当行から情報流出という事実は全くありません。リチャードの後任についてですが、後任人事が決まるまでは暫定ですが私が兼任で保守管理に当たっています。尚、リチャードが在籍中から継続しているのですが、本行におけるセキュリティの脅威を客観的に判断するため、第三者のホワイトハッカーによる手動脆弱性診断を外部委託して……」
 そこまで聞くと、ヴィッキーの発言を遮るようにアレイスターは聞いた。
「脆弱性診断の委託先はどちらですか?」
「――セキュリティサービス企業の『ブラック・サイン・コーポレーション(BSC)』です」


――――物語は08に続く――――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?